きらきら 10
「俺のせいじゃないですか! 俺があの時、お傍を離れなければ、あなたはあんな事故に遭わずにすんだ! 俺がダイナマイトであのクソダンプをふっ飛ばしていれば……!!」
蒼白な顔で告げる血を吐くような叫びに、綱吉は泣きたくなる。
獄寺がそう考えていることは、ずっと前から分かっていた。病室で意識を取り戻した時から、分かっていたのだ。
けれど、その時既に、獄寺には自分の声は届かなくなっていた。
自分が右目の視力を殆ど失ったことも、ボンゴレ十代目ではなくなったことも。
どれもこれも、獄寺には受け入れられない現実だった。
この右目は、彼にとっては生涯消えない罪の証。
自分という人間そのものが、彼に罪を知らしめる存在なのだ。
彼がそう思っている以上、自分の声が彼に届くわけがない。
「俺のせいで、あなたはたくさんのものを失うことになったのに……なのに、俺はあなたに何もできない!
あなたは俺に数えきれないくらいたくさんのものを、大切なものをくれたのに、俺はあなたに何ができるのかすら分からない。
どうやっても、俺は、あなたに償えない……!!」
関節が白くなるまで握りしめられた獄寺の拳が、小刻みに震えている。
それを見つめながら、何故だろう、と綱吉は思った。
何故、こんなにも自分たちは傷付かなければならないのだろう。
自分も獄寺も、元をたどれば何一つ、悪くはないはずなのに。
自分がボンゴレ十代目だった、そしてそれを面白く思わない人間がいた。おそらくは、それだけのことのはずなのに。
「いっそ、事故に遭ったのが自分なら良かった……?」
「!」
静かに問いかけると、獄寺ははっと顔を上げてこちらを見返す。
その痛々しいまなざしを、綱吉はまっすぐに見つめた。
「俺は鈍いけど、こういう時に君の考えることくらい分かるよ。俺だって君と立場が逆だったら、自分を責めてた。
でもね、獄寺君。あの事故は、俺のせいでも君のせいでもなかった。ただ間が悪かった。それだけのことなんだ」
「―――…」
綱吉の言葉にも、獄寺の表情は凍り付いて動かない。
彼の性格を思えばそれも当然のことだった。綱吉は、どうにもならない現実を心に冷たく噛み締める。
「そんな理屈は受け入れられない? そうだよね。現に俺は事故に遭って、この右目はほとんど見えない。それは絶対に消せない事実だ。だから、この目が元に戻らない限り、君は君自身を許せない」
そっと指先で右目のまぶたに触れ、綱吉はまた手を下ろす。
そして獄寺を見上げた。
「……獄寺君」
静かに静かに、綱吉は呼びかける。
ここで泣いてはならないと思った。自分が涙を零せば、それだけ獄寺を追い詰めることになる。
それだけはしたくなかった。
「そんなに辛くて苦しいのに、俺に電話をくれたり、会ったりしてくれたのは、それが償いになると思ったから?」
そう問いかけると、獄寺は驚いたように綱吉を見つめ返した。
「まさか……! そんなじゃありません、俺は……、」
俺は、と言いかけて獄寺は、はっと言葉を飲み込む。
「俺は……、何?」
「いえ……。でも、償いのつもりでしたことじゃありません。こんなことが償いになるはずがないってのは、いくら俺が馬鹿でも分かってます」
「……そう」
それなら、と綱吉は獄寺を見上げる。
「俺はね、獄寺君。これからも君に会いたい。君と色んなことを話したいし、一緒にあちこち遊びにも行きたい。……でも、君がそうしたくてするんじゃないのなら、君の中に少しでも償いの気持ちがあるのなら、俺は、要らない」
そんな君は要らない、と綱吉は告げた。
「さっき、君は俺に対して、何ができるのか分からないって言ったよね。でも、俺が君にして欲しいのは、すごく単純なことなんだ。
『昔みたいに、いつも傍にいて欲しい』
君にして欲しいことも、君が今の俺にできることも、それだけ」
「十…代目……」
十代目と呼んだ獄寺に、綱吉は微笑んだ。
「俺、君にそう呼んでもらうのが好きだった。いつもいつも、すごく嬉しそうに呼んでくれたから。呼ばれる俺も、何だか嬉しい気分になれた。……でも、沢田さん、って呼ぶ時の君の声は、すごく辛そうに聞こえる」
「さ……」
名前を呼びかけて、途方に暮れたように獄寺は唇の動きを止める。
泣いてしまいたいような光を浮かべた銀緑色の瞳を見つめて、綱吉はもう一度悲しく微笑んだ。
「ごめんね、俺はものすごく自分勝手なことを言ってる。分かってるけど、このままじゃ俺たちは、この先一生、罪とか償いとかそういうものを挟んでしか向き合えない。そんなのは、俺は嫌なんだよ」
「沢田さん」
「もう一度言うけど、俺が君にして欲しいことは、俺の傍にいてくれることだけ。でも、君の気持ちがないのなら、何にも要らない。……それで、君がどうしたいのか、答えが出たら、また連絡して」
「沢田さん……!」
「ごめんね、獄寺君。でも、俺も譲れないんだ」
こうして会う時間が、何よりも大切だから。
誰よりも大切な人だから、もう譲れない。
それが全てを失うことに繋がるかもしれないとしても。
「……それじゃ、またね。獄寺君」
さようなら、とは言わなかった。
まだその言葉を使う時ではない。
もう一度獄寺の、途方に暮れて泣いてしまいそうな銀緑色の瞳を見つめてから、ゆっくりと綱吉は踵(きびす)を返す。
「沢田さん……!」
行かないでくれと、俺はどうすればいいのですかと獄寺の声が呼ぶ。
だが、綱吉は振り返らなかった。
振り返ったら、自分が今、告げたばかりの言葉を取り消してしまう。
理由も気持ちも何でも構わない。本当はただ傍にいて欲しいだけなのだと、すがってしまう。
そんな真似をしても、またすぐ後悔する羽目になるだけだ。だから、綱吉は振り返らなかった。
自宅のアパートに辿り着くまで、あと十五分弱。
それまでは涙を零すわけにはゆかなかった。
* *
名を呼んだ声にも振り返ることなく、遠ざかってゆく。
その背を追うこともできなかった。
要らない、と言われたのだ。
とうとう、言われてしまった。
いつかこんな日が来ることは、分かっていたように思う。
彼がどんなに優しくとも、限度はある。
会いたいと言ってくれているのに、ただ連絡を待つばかりで。
会いたいのに、会ってもらえるのが嬉しいのに、いざ会っても、怯えて怖がって、まともに会話すらできない。
そんな自分は愛想をつかされても……見捨てられても当然だった。
「でも……俺は笑えません。笑えないんです。あなたの前で、笑えるわけがねえ……っ」
目の前で、華奢な体はダンプカーに跳ねられて宙を舞い、アスファルトに叩き付けられた。
ぴくりとも動かない白い顔と手足、乾いたアスファルトの上に零れ落ちた血の色を、まだ鮮明に覚えている。
手術室の前に駆け付けた人々を、震えながら泣きながら祈っていた奈々の姿を覚えている。
そして、「十代目じゃなくなっちゃった。ごめんね」と彼が謝った時の、魂が半分抜け落ちたように青ざめた顔を、昨日のことのように覚えている。
なのに、どうして平気で彼の前に立てるだろう。
どうして笑えるだろう。
だが、そんな自分は要らない、と彼は。
「沢田さん……、十代目…っ…!」
ただ、ひたすらに傍にいたかった。
彼の役に立ちたかった。
全ての脅威から、彼を守りたかった。
なのに、何故自分はそれができなかったのだろう。
あの日の、あの事故。
それさえなければ。
それとも、あの事故がなくとも、いずれはこういうことが起きていたのだろうか。
盲目的に慕うことしかできなかった自分には、いつか必ずこんな罰が落とされたのだろうか。
そして時間切れとなった今、今度こそ、あの人を失ってしまうのか。
「十代目……!!」
返事の返らない呼び名を、血を吐くような思いで繰り返す。
もう、この場所から一歩も動けそうになかった。
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