きらきら 09

 こうして会うのも七回目、と綱吉は声には出さず数える。
 獄寺と会うときのパターンはいつも同じだ。綱吉からの電話で会う予定を決め、あの交差点で待ち合わせて、少し離れたこのコーヒー専門店まで歩き、一時間程、茶飲み話をして別れる。
 いつもその繰り返しだった。
 別にそれが嫌だと言うわけではない。
 綱吉が電話をかければ、必ず獄寺は応答したし、どんなに仕事が立て込んでいようがスケジュールはいつでも空いていると言い張った。
 だから、獄寺なりに自分との時間を大事に考えていてくれるのだろうということは分かる。
 けれど、と綱吉はコーヒーを飲むふりで、獄寺の表情を窺った。
 南欧と北欧、そして東洋の血が入り交じるがゆえの華やかで端正な顔は、一見、物憂げな無表情に見える。
 だが、長年獄寺を見てきた綱吉の目はごまかせない。銀色に翳る翠色の瞳を見れば、彼が途方に暮れているのは一目瞭然だった。

 いつもそうだった。
 再会して以来、獄寺は常に自分と会っている間中、困惑して途方に暮れている。
 かつてはひっきりなしに綱吉に話しかけていた彼が、何を話せばいいのかすら分からないかのように言葉少なく押し黙ったまま、綱吉の小さな仕草、言葉の一つ一つに過敏に反応しては戸惑っている。

 獄寺に会えるのは嬉しい。
 顔を見るのも、言葉を交わすのも。
 もう二度と叶わないと思っていたからこそ尚更に、共に過ごす一分一秒が惜しくてならない。
 けれど、これでは。

「そろそろ出よっか」
「……はい」
 話題が途切れた所で、綱吉がそう切り出すと、獄寺の瞳にかすかながら寂しげな、怯えにも諦めにも見える影がよぎる。
 が、獄寺は口に出しては何も言わず、静かにうなずいた。
「たまには俺も出すよ?」
「これくらい、奢らせて下さい」
 いつものように立ち上がりながらレシートを手にした獄寺に、いつもの抗議をすると、その時だけほのかに獄寺のまなざしが和らぐ。だが、瞳の奥の寂しい悲しい影だけは消えず、和らぎが微笑へと昇華することもない。
 カウンターのレジで支払を済ませる獄寺の後ろ姿を眺めながら、もうどうしようもないのだろうか、と綱吉は自分に問いかける。

 もう、どうにもならないのだろうか。
 自分たちは。

「今日はあったかいよね。もう日が傾いてるのに、そんなに寒くない」
「そうですね」
 他愛無い言葉を交わしながら、十歩、二十歩と店から離れて。
 綱吉は、足を止めた。
「沢田さん?」
 当然のように獄寺も立ち止まり、こちらを見つめてくる。
 その瞳に浮かぶのは。

 ―――相変わらずの、不安げな翳り。

 こんな目をして自分を見る彼に、こんなことを言いたくはない。
 決して口に出したくはなかったけれど。

「……獄寺君」
「はい?」
「もう俺たち、会うのは止めた方がいいのかな……?」

 静かに問いかけると。
 獄寺の表情が凍り付いた。

「……ど…うして……、いえ、俺は……あなたが、そうおっしゃるのなら……」
「俺はまだ何も言ってないよ、獄寺君。止めた方がいいのかなって、君に聞いただけ」
 ある程度予想していた通りの返答に、綱吉は淡く微笑む。
 獄寺は獄寺だった。
 何年経っても、何年会わなくても。
 初めて出会った時から、何一つ変わっていない。
 いつでも彼にとって、自分の言葉は絶対なのだ。自分が『十代目』でなくなった今でさえ。
「正直に、言うね。俺はずっと君に会いたかったし、再会できて嬉しかった。この街の大学を受けて、この街で暮らしてて良かったって思ったし、君と電話で話すのも、こうして会って話すのも、ものすごく嬉しい。――でも、君がそうじゃないのなら、俺は無理に会ってもらおうとは思わない」
「さ…わだ、さん……」
「獄寺君、君は気付いてないかもしれないけれど」
 綱吉は真っ直ぐに獄寺を見つめる。


「俺と再会してから一度も、君は笑ってない」


「もっと正確に言うなら、あの事故の日から。俺が君の目の前で事故に遭った、あの時から、俺は君の笑った顔を見たことがないんだ」


 ―――桜の花が散り終えて葉桜に変わったばかりの、いつもと変わりのない放課後だった。
 獄寺と他愛無いことを喋りながら校門を出た所で、綱吉は英和辞典をロッカーに忘れてきたことに気付いた。
 英和辞典がなかったら宿題も予習もできない。中学時代から引き続き宿題の面倒を見てくれる獄寺は、英伊辞典は持っていても英和辞典は持っていないバイリンガルだったし、自力で辞書を引かずに獄寺に単語の意味を聞いたら、リボーンのきつい仕置きが待っている。
 仕方がないと、綱吉は教室まで英和辞典を取りに戻った。
 付き合うと言った獄寺には、校門を出てすぐの所にあるコンビニで待っていてくれるように頼んで。
 そして鞄に英和辞典を放り込み、再度、校門を出てコンビニへと向かう途中。
 常軌を逸したスピードで交差点を突っ切ってきたダンプカーが、綱吉めがけて突進してきたのだ。

 本当ならば、避けられない速度ではなかった。
 死ぬ気モードや超死ぬ気モードになっていなくとも、リボーンの特訓を三年近くも受けていれば、それなりに反射神経は敏捷になる。
 だが、避けようとした綱吉の視界の端に、衝突コースに向かってくる自転車が見えた。
 それが近くの中学生の女子生徒だったと知ったのは後の話で、その時の綱吉は、ただ咄嗟に後方に逃げるのを止め、前方に走り出て自転車を思いっきり突き飛ばした。
 その次の瞬間のことは、もう何も覚えてはいない。

 だが、獄寺は。
 交差点の向かい側のコンビニの表で、その時間にすれば十秒足らずの一部始終を見ていたのだ。


「オ…、レ…は……」
 獄寺の顔は蒼白だった。
 この世で一番恐ろしいものに遭遇したような獄寺の顔色を、綱吉はひどく悲しい思いで見上げる。
「……病院で二度目に意識を取り戻した時、俺は君を捜した。みんな枕元にいたのに、そういう時は他の人を押し退けてでも一番近くにいるはずの君がいなかったから。……そうしたら、君は今の君みたいに、まるで何日も寝ていないみたいな今にも倒れそうな真っ青な顔で、入り口に一番近い所に立ってた」
 訥々と告げて、綱吉はそっと自分の右手を上げ、右目を覆った。
「君は、この目が見えなくなったのも、俺が十代目でなくなったのも、全部自分のせいだと思ってる。何一つ、君のせいじゃないのに」
「――俺の、せいですよ!」

 初めて、獄寺が声を荒げた。



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