sweet sweet home 08

「やっぱり、あちこち変わってますね」
「そうだね。あっちの店も二年前にできたやつだし……」
「なんか変な感じです。すげえ懐かしい感じがするのに、あちこち違ってて。違和感?じゃないんですけど、なんか微妙なズレみたいな……」
「うん。俺も感じることあるよ。大学入ってからこの一年、何ヶ月かに一度しか帰ってこないから。昔からあった店が知らないうちに閉店してたり、新しい家が建ってたり。変わるのは当たり前なのに、なんか変な感じがするんだよね」
「はい」
 夕暮れ時が近づいた並盛は、海からの風で昼間の温もりがあっという間に冷めてゆく。
 そろそろ桜の蕾も膨らんできた時節とはいえ、まだジャケットが手放せない肌寒い空気の中を、二人は歩調を合わせてゆっくりと歩きながら、言葉を交わす。
「でも、やっぱり懐かしいです。あの頃はいつも、こうやって歩いてましたよね」
「うん。一緒に学校行って、帰って、遊びに行って……」
 いつも一緒だったね、と綱吉は微笑んだ。
「大変なことばっかりだったけど、毎日楽しかった」
「はい。……この三年半、俺はあの頃のことばかり思い出してました」
「うん……」
 大好きな人と一緒に過ごした日々。
 戦いや陰謀に巻き込まれることの連続だったが、その中で自分たちは絆を育(はぐく)み、そして、恋をした。
 幼い恋はその後、実ることもなく一度は壊れてしまったけれど、今はまたこうして大好きな人と共に居る。
 辛く悲しい涙を零した果てのことではあるが、だからこそ、今はたとえようもないほど幸福だった。
 やがて商店街の向こうに、あの頃にはなかった並盛駅のロータリーが見えてくる。
「並盛駅がロータリーって、来た時も思いましたけど、なんか違和感ありますね」
「うん。でも車やバスの出入りは便利になったみたいだよ。俺はほとんど歩いてきちゃうから、関係ないけど」
 並盛駅周辺の再開発が始まり、駅前がロータリー化されたのは、つい昨年のことだ。今は更にその先で商店街の再開発工事が進んでいる。いずれこの辺りは、五年前に未来の世界で見たような風景になるのかもしれなかったが、今の綱吉たちにとっては、それはもう遠い世界の話だった。
「三十八分の電車だっけ?」
「はい。あと三分くらいです」
「時間ぴったりだね。そうなるように家を出たんだけどさ」
 他愛のない会話を交わしながら、改札口の前に立ち、ホームを眺める。
 上りの電車が到着し、発車してゆき、そして、下りの電車がホームに滑り込んできて。
「あの電車かな」
「多分、そうでしょう。乗り過ごしたとは連絡ないですし」
「うん」
 そして、待つこと一分。
 春先だというのに真っ黒に日に焼けた長身の青年が、改札口に現れた。

「ツナ、獄寺!!」

 満面の笑顔で手を振った山本が、ICカードを改札に読み込ませるのももどかしく、駆け寄ってくる。
「おかえり、山本」
「おう、ただいま」
 綱吉の出迎えに笑顔で応え、それから山本は獄寺に向き直る。
「獄寺」
 安堵と喜びと懐かしさと、そんなものが溢れんばかりに入り混じった瞳で獄寺を見つめ、そして、両手を上げてチームメイトにするように強く抱き締める。
「久しぶり。めちゃめちゃ会いたかったぜ」
「──ああ」
 何気なさを装いながらも感極まった山本の声に獄寺は短く応え、一瞬だけ強くその背を抱き返す。
 が、すぐに日焼けした筋肉の塊を無情に引き剥がした。
「抱きつくんじゃねーよ。暑苦しいだろうが」
「別に今は夏じゃねーからよくね?」
「季節の問題じゃねぇ。気分だ、気分」
 そんな遣り取りを傍らで見ていた綱吉は、不意に目元が熱くなるのを感じた。

 他愛のない、当たり前だった二人の遣り取り。かけがえのない宝物だったそれを取り戻すまでに、こんなにも時間がかかってしまった。
 山本と二人、学校の昼食の合間に、あるいは帰宅途中に、何度どうにもならない沈黙を持て余しただろう。
 互いに獄寺の名前を出したくて、けれど、出しても空しさが募るばかりと分かっていたから押し黙る。そんなことの繰り返しだった。
 けれど、取り戻したから、もう失くさない。
 固く心にそう誓って、綱吉は強くまばたきして滲みかけた涙を散らしてから二人を見上げる。

「そろそろ行こうよ。いつまでもここにいたら他の人の邪魔になっちゃうし」
 山本も獄寺も身長は180cmを超えているし、綱吉自身も平均身長は十分にクリアしている。そんな三人が改札の前で群れていたら、邪魔以外の何物でもない。
 だから移動しようと提案すると、すぐに二人は応じた。
「山本は荷物それだけ?」
「ああ。でかいものはもう、アメリカのチームの宿舎に送っちまったし、着替えは家にもあるしな。財布とパスポートさえあれば足りるぜ」
 山本が持っているのは、標準サイズのスポーツバックだけだった。
 ラフな服装も相まって、その外見は、自主トレのためにアメリカから帰ってきて、またニ、三日後には飛行機で太平洋を渡るのだとはとても思えない。隣町に練習試合で遠征に行くよりも軽装だった。
「にしても、メジャーリーガーが在来線で帰ってくんなよ。タクシーくらい使え」
「んー。でも別に俺は有名人じゃねーしなー。成田からここまで、気付いてくれたメジャーファンも何人かいたけど、それだけだぜ。第一勿体ねーだろ、タクシーなんて。まだルーキーで、契約金も安いし」
「それでも三千万超えてるだろ。大学新卒の初任給が一体幾らだと思ってんだ」

 高校卒業後、即渡米した山本は、日本のプロ野球で活躍した経験が無いために、日本国内ではそれほど名前を知られてはいない。
 もちろん甲子園では剛腕投手兼強打者として有名人だったが、高校野球でヒーローが誕生するのは毎年のことだから、すぐに世間は忘れてしまう。
 それでもインターネットなどを見る限り、メジャーファンの間では期待の逸材として評判が高く、そういった記事を目にするたびに綱吉は誇らしく、嬉しさを抑えることができなかった。
 そして、獄寺もまた、山本の年俸を知っている辺り、ニュースのチェックはこまめにしていたのだろう。
 一見ひねているようで、本当は驚くほどに素直かつ友人思いの恋人に、綱吉はそっと口元に笑みを刻む。

「でも、面白いぜ、アメリカは。何でもでっかいしな。ケーキも真っ青なのとか真っ赤なのとか、すごい色のばっかりだし」
「へ? ケーキでしょ? 真っ青って……」
「色が付けてあるんですよ。理由は俺も知りませんが、アメリカ人にとっては青は食欲をそそる色なんだそうです」
「そうなんだよなー。真っ青のペンキみたいなクリームのケーキを、美味そうだろう!って嬉しそうに持ってくるんだぜ。あれにはビビった」
「……なんかちょっと、凄過ぎ」
「あと飯がなー」
「御飯? やっぱりハンバーガーとかステーキとか?」
「ああ、まあその辺はいいんだけど、基本的に味がついてねーんだよ。で、テーブルに塩とケチャップと砂糖と酢が置いてあって、好きなのかけてどうぞ、っていう感じなんだ」
「……味付けって、それだけしかないの?」
「さすがに中華料理屋とかイタリアンレストランはちゃんとした味がついてるし、高いレストランとかだと違うかもしれねーけど、街の食堂はそんな感じだな。どこも量さえあればいいって感じ。安くて多いのが一番なんだよ」
「うーん」
「だからもう、親父の寿司が食いたくて食いたくてさ」
「おじさんのお寿司、美味しいもんね」
 半ば同情を覚えながら、綱吉はうなずく。
 綱吉はファーストフードも好きだが、基本的には奈々の手料理が一番美味しいと感じる。その点、プロの寿司職人を父に持つ山本は、尚更、食生活の違いが堪えるだろう。
「あっちは魚も、料理の種類はあんまりないしな。とにかく肉、肉、肉だから、食うんなら肉の方が絶対に美味いんだ」
「へえ」
「だから、日本に居る間は魚ばっかり食うことにしてんだ。宮崎も魚の美味い所だから、すっげえありがたかった。でも寿司だけは我慢したんだぜ。親父のヤツが一番美味いに決まってっからさ」
「じゃあ、今日は久しぶりにおじさんの寿司を思い切り食べられるんだね」
「そうそう」
 大きくうなずきながら、山本は道の向こうに見えてきた竹寿司ののれんに目を細める。
 そして、懐かしさのこもった手つきで店名の入ったのれんを上げ、入口を開けた。
「ただいま、親父」
「おう、武。おかえり。ツナ君に獄寺君も久しぶりだな」
 カウンター越しに山本の父が、山本に良く似た笑みを向ける。
 そして、その笑顔のまま山本にこっちへ来いと示した。
「腹空かしてきたんだろ、とにかく座れ。すぐに美味いもん食わせてやっから」
「うん。夕べも、明日親父の寿司が食えるんだと思ったら、もう腹が減ってきて眠れなくってさ」
「馬っ鹿野郎。嬉しいこと言うんじゃねえよ」
 父子家庭の山本親子は、互いに愛情と尊敬を持ち合っているのが目に見えるほどに仲が良い。
 久しぶりに見る光景に、自分まで嬉しくなりがら、綱吉は獄寺を見上げる。
「俺たちも座ろっか」
「ですね」
 微笑み交わし、綱吉が山本の隣り、獄寺が綱吉の隣りの席に腰を下ろす。
「本当は了平さんも来られたら良かったんだけど」
「試合前の減量中じゃ仕方ないですよ。終わったら、また呼んでやればいいんじゃないですか」
「うん、そうなんだけど」
 大学生の綱吉と、システムエンジニアの獄寺はともかくも、メジャーリーガーの山本と、プロボクサーの了平は、会おうにもなかなか都合がつかない。
 少しだけ寂しい、と思いながらも、綱吉は気を取り直してコップを手に取り、山本の父が注いでくれる日本酒を受けた。



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