sweet sweet home 07
「……獄寺君……?」
しばらく待っても動かない獄寺に、どうしたのかとためらいがちに綱吉は呼びかける。
と、獄寺は何かを小さく呟いた。
「え? 何?」
「──やっぱり、駄目です」
「へ?」
何が、と問い返すと、ぎゅうと抱きつく腕に力が込められた。
「やっぱり駄目です。これ以上は、お母様に顔向けができません……!」
「は……」
獄寺の声は、悲痛なほどに真剣だった。が、綱吉は思わず全身の力が抜ける。
ここまできてこれか、と思わずにはいられない。
熱愛しているはずの恋人を腕に抱きながら、恋人の母親を思い浮かべて、据え膳を食べるのをやめるとは、何とも獄寺らしいといえば獄寺らしい。
しかし、何だかなあと思わず綱吉は心の中で溜息をついた。
「獄寺君のそういうとこも好きだけど……」
しがみついたまま動かない獄寺の背を、ぽんぽんと宥めるように優しく叩きながら、思わず心の中の声が零れて出る。
「──だけど、何ですか?」
「え、あ、俺、口に出てた?」
「出てました」
「あー」
ついうっかり、と綱吉は視線を泳がせる。
首筋に顔を埋めたままの獄寺には、その様子は見えないはずだが、微妙な沈黙に何事かを察したのだろう。すみません、と綱吉をぎゅっと抱き締める。
「や、別に謝らなくてもいいんだけど」
「でも、情けないっスよね、俺」
余程落ち込んだのか、また語尾が昔に戻った獄寺に綱吉は考えた。
情けない、とは思わない。
むしろ、ありがたく思うべきだろう。
獄寺は、それだけ綱吉のことも奈々のことも大切に思ってくれているのだ。
非難するには当たらない。
「あのね、獄寺君」
「──はい…」
返ってくる声は、随分と沈んでいる。なんだか懐かしい響きだと思いながら、綱吉は小さく微笑んだ。
三年半前、綱吉が事故に遭うまでの獄寺は、いつも綱吉の言動に一喜一憂して、妙にテンションを上げたかと思えば、次の瞬間には地の底まで沈み込んだり、忙しいことこの上なかった。
そんな獄寺に振り回されながらも、綱吉は毎日が楽しかったのだ。
───獄寺が傍にいてくれることが、何よりも嬉しかったのだと気付いたのは、彼を失ってからのことだったけれど。
「俺も、今夜、その……最後までしたら、さすがに明日から母さんと顔を合わせ辛い気がするし。だからいいよ、気にしなくても」
「────」
「それに、それだけ母さんのことを大事に思ってくれるのは、俺も嬉しいし」
「そう、ですか?」
「うん。……何ていうか、気が抜けちゃったのは確かだけど、これでいいんだと思う。急がなきゃいけない理由なんかないわけだしさ」
これからはずっと一緒なのだから、と想いを込めて、綱吉は獄寺の頭を撫でた。
少し癖のある銀の髪は、けれどなめらかな手触りで、指の間をさらさらと抜けてゆくのが気持ちいい。
「好きだよ、獄寺君。そういうところも、全部好き」
「沢田さん……」
やっと獄寺が身動きして、顔を上げる。
そして綱吉は、獄寺がしがみついている間も、自分に体重を掛けてしまわないように気遣っていてくれたことに、やっと気付いた。
獄寺はいつもそうなのだ。
何の勘の言いながら、激しく浮き沈みしつつも、綱吉のことを一番に考えていてくれる。
綱吉を傷つけるような真似も、綱吉が嫌がるようなことも、決してしない。
改めてそのことを感じ、目の前のまだ少し情けない表情をした獄寺が、とても好きだと思った。
「獄寺君」
綱吉が目を細めて、優しく名前を呼ぶと、獄寺は、はい、と答える。
そうして二人は、もう一度、触れるだけのキスをした。
「大好きです、沢田さん」
「うん」
体勢が体勢のままだけに、少しだけ気恥ずかしさの混じった微笑みを交わして、こつんと額を合わせる。
続きはまた今度、帰ったら、とは口に出しては言わない。
けれど、互いに暗黙の了解ができたことは分かっていた。
「じゃあ、寝よっか」
「ですね」
昂ぶりかけた熱は、まだ少しばかり体の内に燻っているものの、まだこの程度なら、放っておけば収まるだろう。
ずっと綱吉を組み敷いたままだった獄寺は、綱吉の上から退いて、横に転がる。
それを追いかけるように、綱吉はぎりぎり触れるか触れないかの近さまで寄り添った。
「……このまま一緒、はまずいかな?」
「──かなり、まずい気がします。つーより、俺が自分を抑える自信がありません」
「でも、俺がベッドに上がったところで、この距離なわけだし、返って気になって眠れなさそうな気がするんだけど……」
もそもそと綱吉が呟くと、獄寺もまた、困ったように眉根を寄せる。
「やっぱり俺、客間に行くべきなんじゃないでしょうか」
「……それは駄目」
「駄目、ですか?」
「うん、駄目。別の部屋に居るんだと思ったら、きっと余計に気になるから」
「………」
即答しない獄寺も、おそらく綱吉と同じ結論に至ったのだろう。小さく溜息をつく。
そして、綱吉の髪をそっと撫でた。
「やっぱり、このままがいいです」
「うん」
たとえ甘く苦しい拷問になってしまうとしても、離れてしまうのは、やはり嫌だった。
一分一秒でも離れるくらいなら、このまま一晩中、二人で悶々としている方がいい。
うなずいて、綱吉は上半身だけ起こし、ベッドの上から自分の枕を引き下ろす。ついでに、そのまま掛け布団と毛布も引き摺り下ろした。
敷布団は一枚でも、上が二枚あれば、風邪を引くことはないだろう。ましてや、互いの体温もある。
そして、電気を消して二人は布団にもぐりこんだ。
「ふふ、何だか懐かしい感じ」
「そうですね、あの頃はよくこうやって、雑魚寝してましたよね」
「うん」
リボーンが居て、ランボとイーピンとビアンキが居て、獄寺が入り浸っていて、山本や了平やハルや京子が、時々遊びに来て。
この上なく賑やかだった、遠い日々。
ほんの昨日まで、あの頃のことを思い出すのが辛くてたまらなかった。
なのに今は、こうして笑いながら話すことができる。
「……なんか、夢みたいだ」
「夢じゃ、ないですよ」
「うん」
夢なら、目が覚めたら消えてしまう。そうして何度、泣きながら目を覚ましただろう。
でも、これは夢ではない。
目が覚めても、明日もその先も、ずっと一緒に居られるのだ。
「おやすみ、獄寺君」
「はい、おやすみなさい」
やわらかな温もりの中で、互いの指先が触れ合う。
子供のように獄寺と手を繋ぎ、その確かな感触に微笑んで、綱吉は目を閉じた。
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