sweet sweet home 05

 二人だけになると、途端に照れくさいような気恥ずかしさと、嬉しさが立ち昇ってくる。
 おまけに、たった今までの会話内容が内容だ。照れるなという方が正直、無理だった。
「──お母様は、相変わらず素晴らしい方ですね」
「そう?」
 首をかしげて答えながら、綱吉は、獄寺の顔に浮かぶやわらかな表情に、また一つ安心する。
 先月に再会して以来、昨日まで辛そうな表情しか見せなかった獄寺が、今ここで穏やかに満ち足りた様子でいるのが何よりも嬉しい。
 一緒に帰ってきて良かった、と心の底から思う。
「でも、嫌じゃない? 母さんは、ああいう性格だし、なんていうか愛情に歯止めのかかんない人だから」
「そこがお母様の一番素晴らしいところですよ。……昔から、ずっと感謝してます」
 低い声の影から、俺なんかを気をかけてくれて、いう呟きが聞こえるようだった。

 昔から、何故か獄寺は、自身に対する評価が低い。
 普段は明るく不思議な自信には満ち溢れているくせに、どこか紙一重で、もろい部分が見え隠れする。
 中学生だった頃は、その落差がどこから来るのか綱吉には分からなかったが、今は少しだけ分かる。
 家族と不仲だった(あるいは、そう思い込んでいた)獄寺は、幼少期に誰かに大切にされた経験が薄い。
 持って生まれた単細胞的な楽天性が、幾分彼の心を救ってはいるものの、それでも、「家族に愛されなかった」という思いは、事ある毎に彼を揺らがせ、彼自身を肯定しきれない不安定さを生み出すのだ。

 今も、それが滲んで見える、と思いながら、綱吉は言葉を探した。
「そうだね、母さんにとっては……、獄寺君もずっと『うちの子』だったと思うよ。あの頃も、今もさ」
「───…」
 うちの子、という表現が彼の心のどこかを揺すぶったのか、獄寺は少しだけ驚いたような顔になる。
 そして、それを受け止めるように表情が深くなってゆくのを綱吉は、愛しいような切ないような気分で見つめた。
 ───獄寺君は、もっと幸せになっていい。
 獄寺の横顔を見つめているうちに、ふと、そんな思いが湧き上がってくる。
 この五年近くの年月、ずっと辛かったのなら、その分まで、これから幸せだと感じて欲しい。
 そう思いながら、綱吉は獄寺と目を合わせて言った。
「これからは、また時々、母さんに会いに来ようよ。俺と一緒でもいいし、獄寺君が一人でうちに来たっていいんだよ。獄寺君が顔を見せるだけで、母さんは喜ぶと思うから」
「沢田さん……」
 綱吉の言葉に、獄寺は少しだけ戸惑うような困ったような表情になる。
 嬉しいけれど恐縮してしまう。そんな、かつてよく見た表情だった。
 そして、その表情のまま、獄寺は予想通りの言葉を紡ぐ。
「そう言っていただけるのは、嬉しいです。でも、俺は沢田さんと一緒の時だけでいいですよ」
「そんな遠慮は要らないよ?」
「でも、やっぱりけじめがありますし」
「ないってば。少なくとも、『うちの子』と『よその子』の区別なんか、母さんにはないんだから」
「でも……」
「いいんだよ、獄寺君」
 言葉を遮るように、けれど、穏やかな口調のまま綱吉はゆっくりと告げる。
 そして、真正面から獄寺の瞳を捉えた。
「いつでも母さんに会いに来ればいいし、電話すればいい。これからは好きな時に、そうしていいんだよ」

 話していて、一つ、気付いたことがある。
 あの三年前の日から、獄寺はずっと一人だった。少なくとも、ずっと一人だったと言った。
 つまり、それは誰にも心を開けず、この三年半の間、体の具合が悪い時も、どうしようもなく気分が落ち込んだ時も、獄寺は一人きりでやり過ごしてきたということだ。
 比べて、綱吉の傍にはいつも誰かがいた。
 奈々はもちろんのこと、大学合格まではリボーンもいたし、山本や了平、京子やハルといった友人たちも、高校卒業まではいつも一緒だった。
 どうしても打ち明けられない悩み──主として獄寺のことだった──が無かったわけではないが、それ以外のことについては何でも彼らと話し、それぞれ笑ったり落ち込んだりを繰り返しながら、これまでを過ごしてきた。
 そして大学に進学してからも、旧来の友人に加えて、決して数は多くはないが、幾人かの新しい友人ができている。
 ずっと一人だった獄寺と、一人ではなかった自分。
 もうこれからは、獄寺を二度と一人きりにするつもりなどないが、それでも綱吉一人だけでは足りないことがこの先、きっとある。
 何かに悩んだ時、綱吉には相談できない何かが起きた時、電話をしたり相談をしたりできる誰かが獄寺にはきっと必要になる。
 そう思い至った時、綱吉の脳裏に浮かんだ人物は二人──奈々と山本だった。
 母性そのものの奈々と、どんなに邪険にされても獄寺の親友を自称し続ける山本は、間違いなく獄寺が芯から信頼している数少ない存在だ。
 そして、山本の今の連絡先は昨日、半ば強制的に教えたばかりである。
 残るは、奈々だった。

 だが、そんな綱吉の思いを、今すぐ獄寺が理解する必要はない。
 ただ、いつか……傍にいれば温もりが伝わるように、自然に獄寺のうちに何かが伝わればいい。
 そう思い、綱吉は微笑んで、獄寺を混乱させないようそれ以上の言葉を抑える。
 と、獄寺は、やはり困ったような顔で、やっぱり俺には難しいです、と呟いた。
「そう?」
「はい。……お母様のことは尊敬してますし、素晴らしい方だと思ってますから、余計に畏れ多くて……」
「そんなに構えなくてもいいんだけどね」
 仕方ないなぁと綱吉は笑う。
 こればかりは獄寺の性格だ。一朝一夕でどうにもなるものではない。
 だから、
「まあ、母さんは見ての通り、今は一人暮らしなわけだしさ。世話する相手がいないのはやっぱり寂しいんじゃないかと思うし。だから、気が向いたら獄寺君も会いに来たりとか、甘えてあげたら、母さんは喜ぶだろうし、俺も嬉しいかなっていう話だよ」
 そんな風にやんわりと搦手(からめて)気味に言葉を切った。
 すると、獄寺は、また考え込むような顔になる。
 普段は感情で動くくせに、妙に理詰めで考えようとする辺りが、いかにも彼らしくて、綱吉はまたこっそりと微笑み、そして。

 ちらりと壁掛け時計に目を向けると、十一時を回っている。
 さほど遅い時刻というわけでもないが、就寝には早いとも言えない。
 昔から夜更かしが苦手で、今でも零時前には就寝してしまう綱吉にしてみれば、そろそろ寝支度をしようかな、という時間だった。
 とはいえ、眠いかと問われれば、まだ眠くないとしか答えられない。
 昨夜も、世界がひっくり返った衝撃でロクに眠れなかったのだが、今日も状況に大差があるわけではない。
 ずっと好きだった相手と両想いになれたばかりである以上、同じ屋根の下に居ようと居なかろうと、隣りに居ようと居なかろうと、目が冴えて安眠などできるわけがなかった。
 だからといって、いつまでもリビングに居ても仕方がないし、返って不自然でもある。
 BGM代わりにずっとついたままのテレビの音声が不意に耳につくのを感じながら、獄寺の方にまなざしを向ける。
 と、獄寺と目が合った。

 まなざしとまなざしが合った。
 ただそれだけのことなのに、何かが伝わって。

 獄寺もまた、少しだけためらいと戸惑いを滲ませて、綱吉を見つめる。
 それは、綱吉が心を決めるには充分だった。



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