sweet sweet home 03

「──俺、自分を抑える自信がありません」
 綱吉を離さない癖に、そんな風に正直に獄寺は心情を訴えてくる。
 不意に彼がひどく可愛らしく思えて、綱吉は小さく笑った。
「その時はその時で、いいんじゃないかな」
 自然にそんな言葉が口をついて出て、自分でもその大胆さに驚く。
 だが、愛して愛されていれば、遅かれ早かれ二人の距離はゼロに縮まる。それは当然のことで、罪でも何でもない。
 無理をして我慢をする方がよほど不自然だと、今は感じられた。
「……そうはおっしゃいますが、本当に俺が暴走したらどうするんです?」
「暴走、するの?」
 苦虫を噛み潰したような、困惑の極致に追いやられたような獄寺の言葉に、綱吉は笑いを噛み殺しながら問いかける。
 と、白旗を掲げるように獄寺は深い溜息をついた。
「最大限、自分を抑える努力をします」
「うん」
 知ってるよ、と綱吉は小さく呟く。

 獄寺が綱吉を傷つけようとしたことなど、これまで一度もない。
 綱吉が傷ついたことがあったとしても、それは綱吉自身が勝手に反応して傷ついただけで、獄寺はいつも、綱吉を守り、大切にすることにひたすら一生懸命だった。
 そんな彼が、綱吉に意図的に乱暴を働くことなど想像することもできない。
 とはいえ、獄寺も男である。暴走する可能性がゼロと言い切れないことは綱吉も分かっていたし、彼にばかり自制を押しつける気もなかった。

「でもさ、獄寺君。自分を抑えなきゃならないのは、俺もだとは思わないわけ?」
 心に抱いている思いは二人とも同じなのだ。
 それで獄寺が暴走しかねないような状況なら、間違いなく綱吉も同じ状況に陥っているはずである。
 そんな状況になったら、お互いに我慢が出来るわけがなく、その時は一方の暴走でも何でもない合意の上での恋人同士の行為だ。
 場合によってはシチュエーションに難が残るかもしれないが、行為としては何の問題もない。
 その辺りへの想像がすっこ抜けている辺りが獄寺らしくて、綱吉は小さく含み笑う。
 すると案の定、綱吉の言葉に獄寺が意表を突かれて驚くのが、抱き締められた胸から伝わってくる。
「あ、の……」
 どう受け止めればいいのかと考えを巡らしているらしい獄寺を、綱吉は背に回した手に力を込めてぎゅっと抱き締めた。
「俺だって、どうしようもなくなったら暴走するかも」
 情欲に駆られて獄寺を襲わないとは断言できない。それくらいに好きだったし、傍に行きたい、触れたいという欲求も強いのだ。
 自分の中にある欲望を言葉にするのは恥ずかしさが伴うが、それでも分かって欲しいという思いの方が強くて、綱吉は呟く。
 すると、少しの沈黙を挟んで、
「……やっぱり俺、客間に行った方がいいような気がしてきました」
 情けない声で獄寺が言うから、つい綱吉は気恥ずかしさも忘れて、また笑ってしまう。
 そして、笑いを納めて獄寺の胸に顔を埋めた。

「行かなくていいよ。ここに居て」

 そう告げる綱吉の心臓は、先程からずっと早い鼓動を刻みっぱなしだ。そして、綱吉を抱き締めている獄寺の胸からも、セーター越しに早い鼓動がかすかに伝わってくる。
 それは気恥ずかしさと嬉しさを伴った、とても幸せな響きで、
「──はい」
 獄寺が短い返事と共に、ぎゅっと抱き締める力を強くした途端、恥ずかしさも嬉しさも幸せ感も、綱吉の中で倍に膨れ上がった。
「でも、俺が暴走しそうになったら、ぶん殴ってでも止めて下さい」
 その言葉に、幸せに浸ったまま綱吉は五秒ほど考える。
 だが、出た答えは。
「──それは無理、かな」
「え」
「無理だよ」
 俺も君が欲しいから、とはさすがに言葉にはできなかったものの、綱吉は想いを込めて、ぎゅっと獄寺の胸に顔を押し付ける。
 獄寺が暴走したら、きっと自分は喜んで流される。そう確信できるくらい、獄寺のことが好きでたまらないのだ。
 止めるなど、どうやっても無理に違いなかった。

 結局、と綱吉は自分の気持ちを確かめる。
 自分はいつどこで、獄寺とそういうことになっても構わないのだ。あとは、昔から綱吉を大事にしすぎるきらいのある獄寺の気持ち次第、ということになる。
 逆に、大事にされすぎて焦らされすぎたら、ぷちんと切れて獄寺を引き倒しかねない。
 その辺りの綱吉の気持ちを、獄寺はまだ良く分かっていないのだろう。だから、暴走だの何だのという話が出てくるのに違いなかった。

「あのね、獄寺君」
 気持ちを言葉にするのは恥ずかしい。
 だが、きちんと言葉にしなければ伝わらないということは、心が潰れるほどの辛さと共につい最近、思い知らされた真理だ。
 だから綱吉は、できる限り分かりやすい言葉を選びながら、獄寺に告げた。
「俺は君が好きだから。本当に、本当に好きだから。君が暴走しても怒らないし、軽蔑もしない。……ううん、きっと嬉しい、と思う」
 正直な言葉を綴るたびに、小さく体が震える。心臓がどきどきと速いビートを刻んで、その響きが指先までを小さく震わせる。
 けれど、綱吉は言葉を止めなかった。溢れ出す想いを糧(かて)に、全てを獄寺に告げる。
「俺を絶対に傷つけようとしない君が、暴走するくらい俺を欲しがってくれるのが、すごく嬉しい」
「……沢田さん……」
 綱吉の言葉に、獄寺は呆然と名を呟く。
 だが、その一秒後、綱吉は痛いほどきつく抱き締められた。

「好きです。本当に好きです。あなたを愛してます……!」

 獄寺の腕の力が急に強くなったことに驚く間もなく、耳元で性急に愛の言葉を紡がれる。
「今こうしている間も、あなたが欲しくてどうにかなっちまいそうなくらい、好きです」
「──うん…」
 獄寺の言葉に、綱吉は小さくうなずき、高鳴る鼓動に震える腕をそっと獄寺の背に回した。
 好きな人に痛いほど求められる。これ以上幸せなことがあるとは思えない、と回した腕に力を込める。

 そうして、どれほど自分の鼓動と相手のぬくもりを感じていたのか。
 獄寺が、そっと腕の力を緩める。
 その動きに応じて綱吉も少しだけ体を離し、獄寺を見上げた。
 互いの手は、まだ互いの体に回されている。そんなごく近い距離で見上げた獄寺の瞳は、ひどく優しく、そして、切ないほどの熱を帯びていて。

「沢田さん」
 瞳と同じく、優しく深い何かを帯びた声が、綱吉を呼ぶ。
「俺は本当にあなたが好きです。心の底から、あなたが欲しいと思ってます。でも、それはまだ、今じゃないんです」
 そう言い、獄寺は片手を上げて、綱吉の頬にそっと触れた。
「ここは、あなたとお母様の家です。俺にとっても大事な大事な場所です。だから、ここでは暴走したくないんです。お母様も、このお家も、俺にはあなたと同じくらいに大切ですから」
「獄寺君……」
 獄寺の声もまなざしも、彼が持て得る限りの誠実さと愛情に満ちていて、受け止めた綱吉の心は深く震える。
 これほどまでに大切にされ、愛されていること。
 そのことにたまらないほどの喜びと、獄寺に対する泣きたいほどの想いが溢れてくる。
「獄寺君」
 込み上げる想いのままに綱吉は獄寺の名を呼び、告げた。
「ありがとう、そんなにも俺を大切にしてくれて。俺のことを好きでいてくれて、ありがとう」
 その言葉に、獄寺はふっと微笑む。
「いいえ、感謝しているのは俺の方です。──あなたは、どうしようもないクソったれだった俺を変えてくれた。俺を生かして、許して、誰かを愛することを教えてくれた。今の俺という人間があるのは、全てあなたのおかげです。今の俺の全ては、あなたのためにあるんですよ」
「俺のため?」
「はい。俺の心も体も、魂の最後のひとかけらまで、あなたのものです」
 何のてらいもない獄寺の言葉に、綱吉は目をみはり、そして、さっと上から下まで獄寺の全身に目線を走らせる。
「……全部、俺のもの?」
「はい」
 ためらいなく獄寺はうなずき、そんな獄寺を目をみはって見つめていた綱吉は、二、三度まばたきしてから、ゆっくりと微笑んだ。
「すごい」
「そうですか?」
「うん」

 事実、獄寺が告げた言葉はとてつもないものだった。
 人間一人が丸ごと、しかも本人の意思で誰かのものだなんて、神様がくれたプレゼントとしても最大級だろう。
 とてつもなく、大きく、重い。
 だが、綱吉にとっては、それはそのまま喜びと幸せの重みだった。
 誰よりも好きで、どれほど泣いても想い続けた存在が、自分のものだなんて。
 こんな幸せが、一生に何度もあるとはとても思えない。

「ありがとう、獄寺君」
 まなざしを伏せて、綱吉はこつんと獄寺と額を触れ合わせる。
「でもね、君が俺のものなら、俺も君のものだから。それは忘れないで?」
「……沢田さん」
「もう、返品不可。いい?」
 少しだけ悪戯めいてそう告げ、目を合わせると、瞠られていた獄寺の銀翠色の瞳が優しく細められて。
「一生、大事にします。何よりも、誰よりも」
「うん」
 迷いのない獄寺の答えに綱吉は微笑み、そして二人は、そっと唇を重ねる。
 優しく甘い互いのぬくもりに酔いしれ、心の底から、魂の最も深い部分から湧き上がってくる幸福感に浸る。
「大好きです」
「うん、俺も」
 甘く囁き交わし、また微笑んで。
 そして夕食までの時間を、二人は離れていた長い時間を埋め合わせるように、語り合い続けた。



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