sweet sweet home 02

「だって、昔はいつもそうだったじゃない。だから、ついそのつもりで用意しちゃったんだけど……ちょっと狭いかしら?」
 言いながら、今度は獄寺に目を向け、身長を測るように視線を上下させる。
 その視線の先で獄寺が固まっているのは、わざわざ見なくとも隣りにいる綱吉には感じ取れた。
 確かに奈々の言う通り、中学生の頃はお泊まりといえば綱吉の部屋が当たり前だった。
 他の客間はビアンキやランボ&イーピンといった居候たちで占められていたし、獄寺自身が自称右腕という立場を盾に綱吉と一緒に居たがったという当時の事情もある。
 だが、昔は昔、今は今だ。
 何の自覚もなかった中学生の頃ならばともかく、今の綱吉と獄寺は今年二十歳になろうという年齢であるし、また関係そのものも、あの頃とは全く意味合いが異なってしまっている。
 そんな状況下で、夜眠る時に同室というのは、ちょっと問題があるのではないか。
 ……そう、思わないではないのだったが。
「……狭いかもしれないけど。まあ、布団敷くスペースくらいはある、かなぁ。今は俺、部屋にあんまり荷物置いてないし」
「え……」
 考え考え、顔色が変わらないように努めて平静に言葉を選んで告げると、獄寺は今度は綱吉をぎょっとしたように見つめる。
 そんなに驚かないの、と心の中でたしなめながら、綱吉は奈々に向かって言った。
「とりあえずいいよ、俺の部屋で。狭いようだったら客間に引っ越すから」
「そう? じゃあ、そうしてちょうだい」
 母親独特の勘の良さを持つ奈々が、獄寺の微妙な反応に気付いていないとは思えないのだが、しかし彼女は一向に気にする様子はなく、あっけらかんと応じる。
 そんな母親を横目で見ながら、おそらく、と綱吉は考えた。
 奈々の中ではきっと、五年前に綱吉が事故に遭った際、痛々しいほどに自身を責めていた獄寺の印象が強いのだろう。
 何しろ、彼女が最後に獄寺に会ったのは、綱吉が退院した直後、憔悴しきった顔色でイタリアに帰ると別れを告げに来た時だったのだ。
 だから、そのイメージをもって見れば、今の獄寺の戸惑った反応は、単に恐縮して遠慮している程度にしか感じられないのに違いない。
 そして、そんな息子同然に感じていた少年と実の息子が、多少の戸惑い交えながらも昔のように親しくしようとしているのは、彼女にとってはひたすらに微笑ましくも嬉しい光景であるに違いなかった。
 そう見当を付けた綱吉は、それならそれで、と獄寺がこれ以上本格的な挙動不審に陥る前にと、湯呑のお茶を飲み干し、さっさと立ち上がる。
「じゃあ、とりあえず部屋に行こうよ、獄寺君。母さん、夕飯は何時の予定?」
「六時半よ。それじゃ遅いかしら? おなか空いてる?」
「ううん、普通。六時半でいいよ」
「そう? じゃあ、それくらいになったら降りてきてね。とびっきりの御馳走作るから」
「分かった」
 うなずき、まだどこか呆然としたままの獄寺を促して、綱吉はリビングを出る。
 そして、行こう、と更に獄寺を促して、自室へと続く階段を上った。



 高校卒業と共に家を出て一人暮らしをしているとはいえ、この家の綱吉の部屋自体は、さして変わりがない。
 お気に入りの漫画やゲームは下宿に持っていってしまっているため、床上や本棚が多少すっきりしているのが以前と違う程度だ。
 その部屋に獄寺を押し込んで、綱吉はドアを閉め、自分のバックパックを勉強机の足下に置いてから、獄寺と目線を合わせた。
「……あの……」
 銀翠色の瞳と真正面から目を合わせると、獄寺はひどく戸惑った顔で口を開く。
「何?」
「──…」
 だが、続く言葉はすぐには出てこず、綱吉はそんな獄寺を見上げたまま小さく首をかしげた。
「……客間の方が良かった?」
 そう問いかけると、獄寺は更に困惑した面持ちで黙り込む。
 そんな獄寺の様子に、相変わらずだなぁという思いと、仕方がないなぁという思いを同時に感じながら、綱吉は、座ろ、と促してカーペットの上に直に腰を下ろした。

 そうして改めて向き合うと、記憶のうちにある光景との対比で、自分たちが本当に成長してしまったことに気づく。
 昔は遊んだり宿題したりするのに程よいサイズだった六畳間が、今は少しだけ手狭で、傍にいる相手の体温まで感じ取れそうな気がする。
 その距離感に反射的に緊張感が立ち上ってくるが、それは決して嫌なものではなかった。

 綱吉が視線を合わせると、獄寺は目を逸らしはしなかったが、銀翠色の瞳ははっきりと困惑と動揺をにじませている。
 だが、獄寺が何を考えているのかは十分に分かったから、そのことに綱吉は傷付きはしなかった。
「獄寺君」
「……はい」
「あのさ、」
 こんな時、どんな風に言葉を選んで話を持ってゆけばいいのかなんて、さっぱり分からない。
 だから、綱吉は出来る限り正直に話をしようと考える。
 昔から何かと先走ったり空回ったりすることが多かった多い獄寺だが、綱吉が本当にきちんと話をすれば、最後は理解してくれた。
 今回のことでさえそうだったのだ。綱吉が突き付けた残酷な言葉を、身を切られるよりも辛かっただろうに、獄寺は正面から受け止め、答えを返してくれた。
 だから大丈夫、今もきっと分かってくれると信じて、綱吉は切り出す。
「俺、君が何を考えてるかは、多分、分かってると思う。でも……」
 ためらって、綱吉は少しだけ目を伏せる。
 頬が熱い。かすかに手が震えそうになって、それを抑えるためにぎゅっと手のひらを握りこんだ。

「それでも傍に居て欲しいし、……俺は君の傍に、居たい」

 離れて傷ついて、やっと思いが通じた大切な大切な人だから、ほんの一瞬でも離れたくない。
 常に手を伸ばせば届く位置に居て欲しい。
 もし獄寺が客間で寝(やす)んだとしても、きっと気になって眠れないのは同じだ。
 昨夜のように別々の部屋に帰るのならまだしも、一つ屋根の下に居るのに、しかも一緒に過ごすことを許容されているのに、わざわざ離れるのは節度があるというよりも、むしろ自虐的というべきではないか。
 そう思って言葉にはしたものの、どうしようもなく恥ずかしい。
 轟くような心臓の鼓動を感じながらうつむいていると、獄寺が動く気配がして。
「──沢田さん」
 近い距離でそっと名前を呼ばれて、遠慮がちな仕草で髪に触れられる。
 おずおずと顔を上げると、獄寺は何とも表現しがたい、ありったけの切なさと優しさを集めたような瞳で綱吉を見詰めていた。
 綱吉と目が合うと、かすかにまなざしが細められ、優しい仕草でひたいに羽のようなキスをそっと落とされる。
 その優しいぬくもりに満ちた感触に綱吉が目を閉じると、続けて両の目元にもやわらかなキスが落とされ、そして最後に、同じだけの優しさで唇をそっとついばまれた。
 優しいキス一つごとに骨格が純白の砂糖菓子に変わってゆくような甘い感覚を味わっていた綱吉が目を開こうとすると、それよりもほんの僅かに早く、獄寺の腕に抱き締められる。
 うんと大切なもののように優しく、少しだけ強く胸に抱き込まれて、予期しない動きに一瞬綱吉は驚いたものの、目を閉じたまま、ためらいがちに体の力を抜いて全てを獄寺に預けた。

「俺も、あなたと一緒に居たいです」
「……うん…」

 低い声でささやくように告げられた言葉に、綱吉は小さくうなずく。
 そんなことは最初から分かっている。一緒に居たいからこそ──その気持ちが子供だったあの頃よりも遥かに強いからこそ、獄寺は戸惑いをあらわにしたのだ。
 もう子供とは呼べない年齢になった今、切実なまでに存在を求め、求められている。
 ただそれだけのことに、切ないほどの喜びが心の底から湧き上がってきて。

「じゃあ、傍に居て……?」
 そっと両腕を獄寺の背に回し、ささやくと、抱きしめる獄寺の腕の力がぎゅっと強くなった。



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