sweet sweet home 01

「そんなに緊張しなくてもいいのに」
「無理です」
 即座に帰る返事に、綱吉は苦笑する。
 隣りに立つ獄寺は、青ざめるとまではゆかないものの、ひどくこわばった余裕のない表情をしていた。
 本来不敵で大胆な彼がこういう表情をするのは、かなり限られた状況だけだ。
 でも、一週間余り前に見た表情よりは、ずっといい、と綱吉は考える。
 綱吉がひどい言葉で突き放したあの日の獄寺は、余裕がないという表現を超えて、そのまま息絶えてしまいそうな、最後にか細く残った命綱を断ち切られるのを目の当たりにしているような顔色をしていた。
 それに比べれば、今の獄寺の横顔には強い緊張があるばかりで、悲壮感は薄い。
 だから、綱吉は励ましを込めて、獄寺の肩をぽんと軽く叩いた。
「そろそろ中に入ろ? 母さん、待ちくたびれてると思うし」
「は、はい」
 綱吉の言葉に、獄寺は土産物の紙袋を提げた手をぐっと握り締める。
 何とも分かりやすい反応に、また微苦笑を噛み殺しながら、綱吉は玄関のチャイムを鳴らした。
 ピンポーンという昔ながらの電子音が響き、数秒の間をおいて、「はーい」と軽やかな返事が奥から返ってくる。
 そして、更に待つこと数秒、内鍵が外される音がして、ためらいなくドアが開かれた。
「おかえりなさい、ツナ」
 満面の笑みと共に母親の奈々が綱吉を見上げる。が、その視線はすぐに横に逸れて、心の底から嬉しそうに奈々の瞳がきらめいた。
「おかえりなさい、獄寺君」
 輝くような笑顔と共に差し出されたその言葉に。

「──只今、戻りました」

 目をみはって一瞬言葉を詰まらせた後、獄寺はそう告げて、深々と頭を下げた。





 久しぶりに訪れる沢田家のリビングを獄寺は、随分と懐かしそうに見渡している。
 その様子を横目で見ながら、綱吉は奈々から温かな緑茶の注がれた湯飲みを受け取った。
 今現在、奈々が一人で暮らしている沢田家は、とても静かだ。かつてのように騒がしい子供たちの声などしないし、子供向けアニメやテレビゲームの賑やかな音もない。
 いつもリビングの片隅にまとめられていたゲーム機やソフトもなく、テーブルの上もきちんと片付けられていて、置かれているのはリモコン置きを兼ねたペン立てばかりだ。
 だが、それでもここには、かつて獄寺も共に一時を過ごした頃と変わらない何かがあった。
 それは温かな空気であったり、やわらかなお茶の香りであったり、おそらくは奈々がいる限り変わらない何かであって、獄寺は敏感にそれを感じ取っているように綱吉の目には見えた。
「獄寺君、お茶、冷めちゃうよ」
 そんな彼の様子を微笑ましく感じながらも、そっと声をかけると、獄寺は我に返ったように綱吉を振り返る。
「あ、はい。すみません」
 ぼうっとしていたことを詫びて、自分の前に置かれた湯飲みを手に取り、じんわりと熱いお茶を一口啜る。
 そして、失われていた月日を思うかのように瞳を深い色に翳らせてから、美味しいです、と控えめに呟いた。
「本当に久しぶりねえ、獄寺君。来てくれて、本当に嬉しいわ」
 そんな獄寺のことを、綱吉に負けず劣らず優しい瞳で見つめていた奈々が、春先の花のような笑みと共に告げる。
「すっごく大きくなって。それに元気そう。ちゃんと御飯を食べてるのね」
「あ、はい……昔、お母様に怒られましたから」
 獄寺が殊勝にうなずいて言ったそれは、もう随分と前の話だった。
 獄寺が沢田家に出入りするようになって間もない頃、獄寺が一人暮らしで少々不規則な食生活を送っていると知った奈々が、かなり真剣に説教をしたのだ。
 いわく、食事は全ての基本で、きちんと食べないと栄養障害が起きるばかりか、精神状態にも大きく影響を及ぼすのだと。
 それは隣りで聞いていた綱吉が思わずはらはらしたくらいにきちんとした叱り方で、獄寺もひどく衝撃を受けたらしく、こくこくとうなずいて、すみません気をつけます、とひたすらに繰り返すばかりだった。
 もちろん綱吉は、いま獄寺が言い出すまで、そんなやり取りがあったことはすっかりと忘れていたのだが、奈々は違ったらしく、顔がぱっと輝いた。
「あら、きちんと覚えていてくれたのね」
「勿論です。あれから栄養バランスとかカロリーとか、気を付けるようになりましたから……。どんな時でも食事だけはきちんとしてました」
 そうしないと軽蔑されそうな気がして、と小さく獄寺は告げる。
「でも、いつも思い出して、お母様に感謝してました。あんな風にきちんと怒ってもらったこと、俺、初めてだったんで……」
 そんな風に訥々と告白する獄寺を、綱吉はひどく愛おしい気分で見つめた。
 彼は本当に、不器用すぎるくらいに真っ直ぐだ。
 昔も今も。
 そして、そんな風に真っ直ぐで嘘のない所が、恋心の自覚を伴わない友情止まりの感情であっても、綱吉はあの頃からとても好きだった。
「そういう真面目なとこって、獄寺君、本当に昔から変わらないよね」
「え、あ、そんなこと、ないっスよ」
 綱吉が微笑んで言うと、獄寺は赤くなって慌てたように言い返す。
 相当に動揺しているのか、語尾が昔に戻ったのが何となく可愛らしく思えて、綱吉は小さく笑った。
「ねえ、母さん。獄寺君って本当に変わらないよねえ」
「ええ、そうね」
 綱吉の確認に、奈々も微笑んでうなずく。
「あの頃のまんま。うんと優しくて、一生懸命で。あの男の子が、こんな素敵な大人の男の人に育ってくれて、おばさん、すっごく嬉しいわ」
「―――っ…」
 満面の笑顔と共に贈られた手放しの奈々の賛辞に、どう反応すれば良いのか分からなくなったのだろう。獄寺は真っ赤になってうつむいてしまう。
 さすがに綱吉も、奈々を敬愛してやまない獄寺にはちょっとキツイかも、と思いながら母親の様子をうかがうと、奈々は全く悪びれた様子もなく、にこにこと獄寺を見つめている。
 その表情は、獄寺が可愛くてならないと叫んでいるようで、あーあ、と綱吉は苦笑した。
 おそらく母性愛の塊のような奈々にとっては、獄寺もランボもイーピンも、沢田家に出入りしていた面々は、皆我が子と変わりがなかったのだろう。
 なのに、そのうちの一人である獄寺は、綱吉の事故を契機として突然、並盛を去ってしまった。
 当時の綱吉の傷心を思いやってか、獄寺の名を口に出すことは滅多になかったが、奈々はそのことにひどく心を傷め、心配していたのに違いない。
 だが、音信不通の数年を経て、突然、その獄寺が戻ってきたのである。
 結果として、彼女の内で密かに溜められていた数年分の愛情がまとめて注がれてしまうのは、無理からぬことだと言えそうだった。
「それはそうとしてさ、母さん」
 とはいえ、このままでは少々気の毒過ぎる。
 早晩、獄寺は奈々のダムが決壊したような愛情で溺れ死んでしまうに違いないと見て、綱吉は助け舟を差し向けた。
「獄寺君にはどの部屋を使ってもらえばいい? 客間?」
 格別に広い屋敷というわけでは決してないが、標準サイズの一戸建てである沢田家には、使われていない部屋が複数ある。
 特に一階は、不在の父親の部屋も含めて二部屋が空いているし、リビングでも寝具を運び込めば泊まれないことはない。
 だが、奈々は首をかしげて綱吉を見直した。
「あら、とりあえずお布団は、あなたの部屋に運んでおいたけれど?」
「……ええ!?」



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