I am. 35

「証拠はないよ」
 隼人の問いかけを、綱吉は否定はしなかった。
「事実は分からない。かなり調べたけれど、尻尾は掴めなかった。ただ、ものすごくカーシェ好みのシチュエーションだったとは思う」
「……つくづく、俺の父親は馬鹿ですね。そんな口先だけの連中に踊らされるなんて」
 呆れと怒りと蔑み。
 そんな慣れ親しんだ感情のうちに、もう一つ、ほのかに揺らめく感情が混じる。
 初めて感じるそれは、憐憫、に良く似ている気がした。
「馬鹿過ぎて、もう何も言う気になれません」
 そんな風に告げながら、隼人はもう一つ気付く。
 綱吉が今回、堪忍袋の緒を切ったのは、カーシェのせいで新たな犠牲者が出たというのは、確かに真実の理由だろう。
 だが、おそらく理由はまだ他にもある。
(十代目は、まだ俺に負い目を感じている。)
 一つ、父親はボンゴレを敵視するカーシェの唆しをきっかけとして、ボンゴレにより死に至らしめられた。
 二つ、そうして荒廃したカテーナの町をボンゴレ支配下の町として建て直すために、隼人は召喚された。
 三つ、更に今回、カーシェの新たな企みによって、隼人自身が綱吉の巻き添えで殺されかかった。
 そんな風に考えるのは、自惚れが過ぎるかもしれない。
 だが、綱吉が負い目を感じてでも隼人を傍に置こうとしている意図が、昨日、山本に聞いた通りの理由であるのなら、この自惚れた仮説も成り立つはずだった。

(十代目がカーシェの殲滅を決断した理由の何分の一かは、俺のためだ。)

 まなざしを上げると、綱吉は相変わらず静かに沈んだ表情で隼人を見つめていた。
 隼人の内面をその勘の良さで読んでいるのか、それとも読む気すらないのか、それさえも分からない。
 だが、そんな綱吉を隼人は何にも代えがたく感じた。
 唯一無二の、ドン・ボンゴレ十世。
 父親も過去も、何も関係ない。
 彼だけが居ればいいと、その瞬間、心の底から思った。
「事情は了解しました、十代目。そろそろ敵の本拠地の詳細な見取り図も出来上がっている頃ですから、もう一度作戦を山本と詰めてきます。馬鹿な父親の敵討ちなんざしてやる気は毛頭ありませんが、カーシェの山城を瓦礫の山にするくらい、俺には簡単なことですから」
「──その辺りは君たちに任せるよ。俺は計画を立てるのは得意じゃない」
「はい」
 うなずき、隼人は深く一礼して執務室を後にした。

*     *

 十日前の言葉の通り、カーシェの山城は今、至る所から黒煙と白煙が噴き上がる瓦礫の山と化していた。
 その中を、隼人は周囲を警戒しつつ、ゆっくりと進む。
 既に作戦は、掃討戦へと移っていた。まだ時折銃声が聞こえてくるが、散発的なものだ。視界に動くものは殆どない。
 無線で聞く限りは、現時点ではボンゴレには怪我人以上の犠牲者は出ていなかった。作戦は完璧に成功したと言っていいだろう。
 隼人自身の役割は、爆薬による建物の破壊であったため、作戦の初期に役割は殆ど終わっている。だから、後方に撤収してもいいのだが、まだ戦場に留まっているのは、綱吉がまだここに居るからだった。
 綱吉は作戦が始まると同時に、部下の一人も連れず、単身で敵の本拠地に飛び込んでいった。
 隼人は無謀だと止めかけたのだが、山本に制止されたのだ。「大丈夫だぜ、ツナは鬼みたいに強いからよ」という台詞と苦笑と共に。
 確かに一度手合わせして、綱吉の強さの一端は隼人も知っている。それこそプロの傭兵が複数でかかっても、綱吉は勝つだろう。それほどの技量だった。
 だが、大量に爆薬も使用する戦場に、軽装で飛び込んでゆくというのは、常識外れに過ぎる。しかし、その懸念さえも、山本はツナの敏捷さと勘のよさがあれば、まず怪我などしないと請け負った。
 そう言われてしまえば、綱吉の強さの底を知らない隼人は、それ以上の反論はできない。
 ゆえに、その後は黙って役割をこなしたのだが、程なく問題に気付いた。
 ──無線に応答がない。
 他の面々とは、多少ノイズ交じりであっても、ほぼクリアに通信が可能なのに、綱吉だけは応答しないのだ。山本に尋ねてみれば、山本からの呼びかけにも応答しないという。
 しかし、彼がその身に埋め込んでいる極小サイズのチップからの生体反応は消えていない。
 つまり、綱吉は彼の意思で、無線に応答しないということになる。
 となれば、隼人は探しに行かなければならなかった。
 いつもいつも彼を探しに行くように、この戦場から彼を見つけなければならない。
 だから隼人は、山本に自分が十代目を探すと告げ、瓦礫の中を一つ一つ確かめながら、城の残骸の奥へと進んでいた。
 ここはボンゴレの本拠地ではないから、勝手は分からない。そして、綱吉自身もどこに行けば自分好みの場所があるかなど分かるはずもないだろうから、居るとすれば、城の奥の方。それも中央付近ではなく、少し外れの方ではないか、と隼人は見当付けた。
 城の東翼には小さな塔と、その周囲には庭園があった。そこではないか、という気がしたのだ。
 根拠は何もない。
 ただ半年以上の間、毎日彼を探し、見つけ出していた。その積み重ねた事実が、直感の源だった。
 埃っぽく、きな臭い空気の中を、用心深く一歩ずつ進んでゆく。
 と、埃っぽさが急速に薄れてきて、薄くなった煙の向こうに外壁が崩れ落ちているのが見えた。ここまでの順路を考えると、ここが東翼の端だろう。
 いつ崩れてもおかしくない周囲の壁や天井に用心しつつ、崩れたところから外に出る。
 そして煙交じりとはいえ、屋内よりは随分とマシな空気に深呼吸してから、周囲を見渡した。



 居た。



 やはり、ここだった。
 少し先、崩れた塔の傍らに綱吉は立っていた。
 一見、かすり傷さえもなく、日が傾いて翳ってきた空を見上げている。その横顔は、ピエタ像のマリアのように静謐だった。
 そして、綱吉はゆっくりと隼人を振り返り、かすかに微笑む。
「やっぱり君は俺を見つけるんだね」
「偶然です」
「それでも。すごいよ、こんな所まで」
 手の届く距離まで近付いて見れば、綱吉はインカムをきちんと装着していた。
 見た目に傷はないから故障でもないだろう。ただ綱吉が応答しなかった、それだけだ。
 だが、その理由を問おうとは隼人は思わなかった。
「作戦はそろそろ終わります。戻りましょう」
「……隼人、怪我したの?」
「かすり傷ですよ」
 破れかぶれで襲い掛かってきた手負いの敵のナイフが、肩口をかすめた。
 服は裂かれたが、身体は皮膚一枚が切れただけだ。筋肉までは届いていないから、縫合も必要ない浅手だった。
「本当だ、大したことなさそうだね」
 更に半歩、距離を詰めて傷口を覗き込んだ綱吉は、良かったと呟く。
 そう呟きながら。


 綱吉は隼人の銃を持つ手を──拳銃ごと掴んで、銃口を己のこめかみに押し当てた。



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