I am. 34

 その日の空は、恐ろしいほどに青く澄んでいた。
 晴れ渡った美しい空の下、何かを確認するかのように綱吉は、ちらりと執務室内に視線を走らせてから、ゆっくりとした足取りでドアを出る。
 隼人もまた、無言のままでその後に続いた。
 綱吉は、あまりエレベーターを使わない。特に、今日のように何かが待ち受けている日には、その足で階段を一段ずつ踏みしめて下りる。
 そして地階(1階)まで辿り着くと、威風堂々たる装飾の凝らされた玄関ホールを真っ直ぐに抜け、外に出た。
 屋外に出た途端、深い庇(ひさし)の下であっても強い日差しが視界に満ちる。
 眩しさに目を細めながら、隼人は前を行く綱吉の背中を見つめた。

 今日の綱吉は、普段良く身につけるピンストライプの洒落たスーツ姿ではなかった。
 胸元や袖口から覗くシャツの白が怖いほどに映える、純黒のクラシカルなスーツ。その強烈な色の対比は、黄金色の何かを感じさせる彼の存在に、言い様のない昏い華を添えた。
 威圧感と呼び変えても間違いではないそれは、普段は物柔らかな彼の表情を、ひどく冷たく見せる。
 なのに、それでいて彼にはやはり、黄金色の光に属する華があって、それは思わず目を吸い寄せられる磁力を持っていた。
 既に車寄せに待機していた車に綱吉が乗り込み、隼人も隣りに落ち着くと、車は滑るように走り出す。
 目的地は本土の南部、海に迫る山地にある小さな町だった。
 今日の午後には到着し、現地にいる先発隊と合流する。そして、作戦開始から撤収までは三時間。
 綿密に立てられた作戦計画に無駄はなく、それ以上の時間は必要ないはずだった。

 先日のドン・ボンゴレ襲撃直後、カーシェというファミリー名を聞いた時、隼人の脳裏に浮かんだのは、何故、という疑問符だった。
 カーシェは歴史こそボンゴレと同程度に古いが、決して大きなファミリーではない。本土の南部、それも更に僻地といっていい幹線道路からは離れた地域にある、いわば田舎の弱小ファミリーだ。
 隼人も名前だけは知っているものの、過去に関わりを持ったことはない。だから、綱吉が何故、敵をカーシェと断じたのか分からなかった。
 その理由が語られたのは、翌日のこと。
 二人しかいない執務室で、綱吉はひどく淡々と言葉を紡いだ。

「カーシェは、うちと同じくらい古い。けれど、うちと違って、カーシェは勢力地域内に産業らしい産業を持たない。なのに、どうして百五十年もの年月を生き延びてきたのか。──君なら分かるだろ?」
 問われて考える。
 豊富な資源も資金もなくとも、街中でなくともできる商売。それは。
「情報、ですか」
「そう」
 綱吉は少しばかり物憂げな表情を変えないまま、うなずいた。
「古いということは、それだけ独自のネットワークを持っているということだから。ましてやカーシェは、戦前から情報による戦いに特化してきた。情報を右から左に流し、あるいは流れを調節することで、自分たちは傷付かずに利益だけ吸い上げる。
 もし暇があったら、これまでに全国で起きたあらゆる抗争の裏側を洗い出してみるといいよ。少なくとも一割以上、かなり確率でカーシェの影があるから。もっとも俺は、自分で情報を洗い出したんじゃなくて、リボーンに教えられたんだけど」
「……それで、今回もカーシェだと?」
「そう。昔からカーシェはボンゴレにはなびかない。表面上は争わないけれど、常にボンゴレの敵対ファミリーを観察していて、騒動の火種が見つかったら、さりげなくせっせと風を送り込んで火を煽る。
 一方、ボンゴレは図体が大きいし、自分からは抗争を仕掛けない主義だ。おかげで、常に後手に回ってしまうんだよ。事前に怪しいと思っても、カーシェのやり方はいつも卒がなくて、尻尾が掴めない」
「では、今回も証拠はないのではありませんか」
「確実なものはね。ただ半年前くらい、ボンゴレがあの工場の買収計画を進めているときに、今回襲撃してきたスガルツァ・ファミリーの本拠地がある町で、カーシェの構成員を見かけた。
 スガルツァは以前から、あの港を押さえたがっていたけれど、ボスの跡目争いとか内部抗争で落ち着かないせいで、なかなか具体的な手を打てなかったんだ。だから、スガルツァがボンゴレを恨む理由はある。そして、カーシェがスガルツァに情報を流してドン・ボンゴレ襲撃をそそのかすには、それで十分だ」
 綱吉の言葉は、十分に納得できるものだった。ただし、一般的なマフィアのボスの言葉であれば、という限定がつく。
 隼人が知る限り、綱吉はボスとして打つべき手はきちんと打つが、無闇にファミリー間の抗争を起こすことは嫌う。
 なのに、今回、確たる証拠もないのに眼前のスガルツァでなく、黒幕のカーシェを討とうとしているのが隼人には不可解だった。
「十代目、一つお伺いしてもよろしいですか」
「何?」
「何故、今回はカーシェを討とうと決意されたんです? 確かに一歩間違えれば、お命がない状況でしたから、報復という意味では正しいと俺も思いますが……」
 そう問うと、綱吉は隼人にまっすぐに視線を返した。
 瑪瑙の底に黄金の光が沈んでいる。窓を背にした綱吉は、隼人から見れば逆行の中にいるのに、何故かその金の光はくっきりと見えた。


「スガルツァが俺一人を狙ってこなかったからだよ」


「は……?」
 思わず隼人は、間抜けな疑問詞を口に上らせる。
 だが、意味が分からなかった。少なくとも、一言聞いただけでは。
 しかし、綱吉は先程から変わらない、沈んだ硬質な表情のまま言葉を続けた。
「昨日の襲撃は、車があれだけ頑丈に造ってなかったら、俺だけでなく君やジョルジオも巻き添えになっていた。そして、現に後続車の三人が死んでる。──もう限界だよ。俺が十代目の地位についてから、カーシェが黒幕の抗争が三回、死んだファミリーは八人だ。多過ぎる」
 最後の一言は、吐き捨てるような強い語調を伴っていた。
 おそらくはカーシェに対する憤りだけではないだろう。決断が遅すぎた、そう悔いる綱吉の内心の声が聞こえてくるような気が隼人にはした。
「……三回の抗争に、八人の犠牲ですか。確かに多過ぎますね」
「ああ」
 隼人の感想に短く同意して、綱吉は押し黙る。
 やや前方に向けられたまなざしは、何かを見ているようで、何も見ていないようで。
 その変わらぬ硬質な表情を見つめているうちに、ふと隼人の脳裏を何かがかすめた。
 ──対ボンゴレの火種を見逃さないカーシェ。
 ──火種を見つけたら、さりげなくせっせと風を送り続ける。

 ──燃え上がった、城。

 濃い灰色の煙の中を、悪竜の舌のような赤い炎がちらちらと揺らめいていた。
 全てが灰燼に帰して、何一つ残らなかった。そう、父親の遺骨のひとかけらさえも。
(まさか。)
 まさか、と隼人は疑念を払おうとする。
 だが、一度芽生えたものは容易には消えない。
(ああ、そうだ。カーシェは漁夫の利を吸い上げる。ボンゴレとジェンツィアーナが争って、カーシェに何の得があった? 何も……。)
 ない、と言いかけて立ち止まる。
 本当になかったと言い切れるか。
 ボンゴレはジェンツィアーナの城を落とすまで前準備を含めて、およそ二ヶ月の間、その件にかかりきりだった。無論、表向きの商売等、同時進行していた事業は幾らでもある。
 だが、作戦の実行部隊に限っていえば、兎を狩るにも全力を尽くす獅子の如く、ボンゴレは完全にジェンツィアーナに集中していた。その隙に手薄になった地域は、複数挙げられる。
 当然ながら実行部隊が配されていた地域は、紛争の火種が埋(うず)もれている所ばかりだ。代わりの統治者は送り込まれていたが、必ずしも万全ではなかった。
 そうして緩んだ監視の目を盗んで、敵対勢力が何かをしなかった、という保障はない。
 その敵対勢力の名が、カーシェでないという保障も。
「──十代目」
 そこまで考え付いたところで、隼人は真っ直ぐに綱吉を見つめた。
 綱吉もまた、真っ直ぐに隼人の目を見つめ返す。

「ジェンツィアーナを……俺の父親を唆したのは、カーシェですか」



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