I am. 32

 山本を捕まえるのは、それほど難しいことではなかった。
 何と言ってもボスを襲撃された直後である。実働部隊の長である彼は、地下の武器庫で装備の点検作業を行っていた。
 攻撃目標の選定はこれからだが、いずれにせよ屋内戦か、建物で囲まれたような狭いエリアでの屋外戦になる可能性が高い。
 となれば、ロケット砲や重機関銃のような銃火器ではなく、小回りの利く小火器と、機動性の高い防弾装備、そして指揮系統を維持するための通信装備が必要となる。
 基本的な装備もオプション装備も潤沢に倉庫の中に納められ、電子化されたリストによって管理されているが、その中から必要なものを必要なだけ選んで運び出すのは、人力に拠るしかない。
 その基本的な作業を見守っていた山本は、倉庫の入り口に現れた場違いな闖入者にすぐ気付いて、目で合図を送ってきた。
 珍しく笑みの浮かばない山本の視線に許可の色を読み取って、隼人は倉庫の中に足を踏み入れる。
 倉庫は奥行きが異様に広く、入り口付近に立っている山本の周囲には誰も居ない。
 内部には忙しくも整然と立ち動く者たちの声がさざめいており、声を高くしなければ、第三者に聞き取られる可能性は低いと見て、隼人は山本のすぐ近くに立った。
 煙草を吸いたいと思ったが、武器庫でライターを使うのは自殺願望のある馬鹿だけだ。
 仕方ない、と素のまま口を開く。
「お前に聞きたいことがある」
「?」
「十代目がお前に対して負い目を持っている理由は、何だ」
 この状況で隼人が尋ねてくるのだから、てっきり装備か作戦かについての話だと思っていたのだろう。山本の目が驚いたように軽く見開かれる。
 その漆黒の瞳を正面から見つめ返すと、たっぷり三十秒は沈黙した後、山本は思案するように目線を明後日の方向に逸らした。
「もしかしなくても、ツナがヒステリー起こしたか?」
「ああ。庇ったことを怒鳴られた。その時にお前の名前が出た」
「──そっか…」
 なるほど、と合点がいったように山本はうなずく。
 そして、隼人に向き直った。
「お前と同じ、っつーと語弊があるんだけどな。俺の親父も死んでるんだよ、ボンゴレの抗争で。もう四年も前だ」
 そう告げた山本の表情は静かだった。恨みなど微塵もない。ただ少しばかり悲しげだった。
「うち……っつーか、俺の剣の流派は昔っからボンゴレと付き合いがあってさ。何かある時は、お互いに加勢するっていう約束があるんだよ。
 そういう関係で、俺も親父も……親父が俺の剣の師匠だったんだけど、まあ代々の当主が当たり前みたいにボンゴレの抗争に付き合っててさ。
 だから、ツナのせいでも何でもなくって、剣の世界で生きることを選んだ親父にとっちゃ当然の死に様だったし、親父が悔やんでるとは思えねーし、俺だって悲しい悔しいってのはあっても、誰かを恨んだりとかはねぇんだけど、ツナは絶対に納得しようとしねーんだよな……」
 そういうことか、と隼人は納得する。
 見たところ、山本は言葉通りに悲しんではいても、決して恨みを持っているようには見えない。そんな影を持っているように見えたことは知り合ってからこの方、一度もなかった。
 だが、綱吉は許せまい。
 ボンゴレと昔からの付き合いがあったとはいえ、山本の父親が死んだのは、彼が十代目に就任してからだ。
 彼にしてみれば自分が殺したも同然であり、決して自分自身をを許さないだろう。
 そんな隼人の内心の思いを読んだかのように、
「……ツナはさ、向いてねーんだよな。こんなこと」
 一際声を低めて、小さく山本は呟くように言った。
「俺は、あいつ以外のボスなんか要らねー。他の奴のために俺の剣を振るう気なんて更々ねーし、ボンゴレの十代目はツナしかいねーと、昔っから思ってる。……でも、どっか根本的に、ツナはこの世界に向いてねぇんだ」
 伏せ気味の瞳は、父親のことを語った時よりも遥かに悲しげで、隼人もまた、やるせなさを感じる。
 山本の言いたいことは、よく分かった。
 隼人自身も、この半年でつくづくと感じたのだ。綱吉以上のボスはいない。だが、ドン・ボンゴレであることが、どうしようもなく綱吉を苦しませているのだと。
 彼以上にドン・ボンゴレに相応しく、また相応しくない存在は無い。
 それはとんでもない矛盾だ。彼を疲弊させ、いつか破滅に追いやってしまってもおかしくない。
 どうしようもないジレンマを感じながら、隼人はぐっと拳を握り込む。
「……どうして俺なんだ?」
 思わず、そんな言葉が口から零れ出た。
 声にしてしまったと気付いた瞬間、歯噛みしたものの、しかし取り消す気にはなれなかった。
 ずっと分からなかったのだ。
 何故、綱吉が自分を傍に置こうとするのか。
 山本を傍に置かなかった理由は、今、分かった。そんな負い目があるのならば、山本は傍にいるだけで辛い存在だろう。
 もう何年も前の話なのだから、普段はそれほど意識せずとも、二人きりでいて言葉が途切れた時には必ず、痛みが蘇るはずだ。
 だが、そういう意味では、隼人も同じなのだ。負い目があるという点では、山本と何も変わらない。
 なのに、傍に置くというのは自傷行為にも程がある。ましてや、隼人の父親が死んでから、まだ一年にしかならない。痛みは相当に生々しいだろう。
 それでも尚、隼人を傍に置くのは何故なのか。
「俺を秘書にしたら、嫌でも四六時中、顔を合わせることになる。なのに、なんで俺なんだ?」
「ああ、そりゃあ当然だろ」
「……は?」
 しかし、ひどくあっさりと山本は隼人の疑問に応じてみせた。
「お前はいっつも、ツナを探しに行くだろ。俺は行かなかったからな」
「──訳分かんねぇよ」
 もう少し言葉を足せ、と眉をしかめる。
 すると、山本は肩をすくめるようにして、言葉を継いだ。
「つまりさ、俺はツナが執務室から居なくなるのは、一人になりたいからだと思って、放っておいたんだ。そうやって放っておけば、いつも一時間くらいでツナはきちんと戻ってきたし。それでいいんだと思ってた。
 ……でも、本当はそうじゃなかったってことが、お前が来てから分かってさ」
 そう言い、山本はここからでは見えない空を仰ぐように目線を上げた。

「ツナは、誰かに連れ戻して欲しかったんだ。自分から立ち上がるんじゃなくてさ。
 考えてみれば当然だよな。嫌で逃げ出したんだから、自分でその嫌な場所に帰ろうと思って立ち上がるより、誰かに手を引っ張ってもらって、立ち上がらせてもらう方が絶対に楽だもんな」

 山本の声は、決して綱吉を責めてはいなかった。もし誰かを責めているとしたら、山本自身だった。
 流した血とこれから流す血の重圧に苦しみ、ギリギリの状態を続けていた友人の心情に気付かなかった自分自身を責めていた。
 その声を聞きながら、隼人は少し前からの疑問が、やっと解けるのを感じる。
 三ヶ月ほど前に、山本は綱吉が隼人に甘えているのだろうと言った。その答えがこれだ。
 隼人が秘書として仕えるようになって以来、綱吉の逃走が激増した理由。
 そして、隼人が迎えに行けば、あまりにもあっさりと執務室に戻る理由。
 ───ドン・ボンゴレと呼ばれて暗黒世界に君臨する彼の、あまりにもささやかな、彼の精一杯の、甘え。
 何百人、何千人もの部下がいるのに、彼が信頼を預けられるのはほんの一握りで、ささやか過ぎる甘えを吐露できる相手すら碌にいない。
 敵襲から庇った、それだけのことで感情を昂ぶらせるほど隼人に負い目を感じているのに、その相手にしか甘えられない。
 それはあまりにも孤高であり、孤独であり───…。
「なあ、獄寺」
 やるせない、切なさの滲む淡い笑みを黒い瞳に滲ませて、山本が呼ぶ。
「ツナを頼むな。ツナの本心がどこにあるのかは、もう俺にも分からねぇ。でも、お前が去年、お前の町の件を引き受けてくれたのは、ツナにはすげー意味のあることだったんだ。
 お前はツナを恨んで良かったのに、その真逆のことを……ツナが一番して欲しかったことをしたんだよ。
 だから、ツナは負い目があっても、自分が苦しいと分かってても、お前を傍に置くことを望んだんだ。それだけは間違いねーよ」
 それはひどく真心の籠もった言葉だった。
 人が人に与えられる最上の誠実さ、あるいは思いやり。そんなものを預けられて、どう答えればよいのか見当もつかない。
 だから、隼人は思い浮かんだ言葉を、そのまま告げた。
 何一つ装飾無しに、そのままに。
「俺は十代目を裏切ったりはしねぇよ」
 それ以外の言葉など、浮かばなかった。また、他のどんな言葉も、山本の言葉の重みには値するとは思えなかった。
 隼人が隼人でなかったら、他にもっと気の利いた言い回しもできたかもしれない。
 だが、これが隼人に言える全てであり、それを受け取った山本も、おう、と今日初めての本当の笑みを返してきた。
「──じゃあな、俺は戻る。邪魔した」
「おう」
 同僚に対し、くどくどしい辞去の挨拶など要らない。
 言うべきことは言ったと、隼人はその場から離れ、自分の持ち場に戻るべく歩き出す。
 そして、これから自分がどうするべきなのか、ただ考え続けた。



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