I am. 31

 まるで何事もなかったかのように、綱吉たちの乗った車はボンゴレ総本部の正門を通り過ぎ、本館の車止めで停車した。
 いつもと同じような身のこなしで車を降り、綱吉と隼人は建物の内部へと向かう。
 おかしいのは──いつもと異なるのは、その間も綱吉が一言も口を利かなかったことだった。
 普段の彼なら、面倒なことになったね、とか、もう嫌になるよ、とか、隼人相手にならば、そんな軽口めいたことを口にしそうだった。
 だが、今日に限ってはそれがない。
 車中で受けた、同行の部下のうち二名が死亡、八名が重軽傷、襲撃者の人数は不明だが十人は下らず、うち六名は死体を確保したという報告のためか、それとも、直ちに始まる血の報復を思っているのか。
 分からない。
 彼の下で働くようになってから半年余り。それでも何も彼のことを分かってはいないのだと思いながら、隼人は綱吉について最上階にある執務室へとたどり着く。
 ボンゴレの紋章が鈍く輝くドアを開けて中に入り、ドアを閉めて向き直ると。
 襲撃を受けた時から今まで、隼人を見ようともしなかった黄金のまなざしが、真っ直ぐに隼人を見つめていた。
「十……」
 呼びかけようとした声が、そのまなざしの前に途切れる。
 彼の瞳の色は、いつもの甘やかな瑪瑙色ではなかった。琥珀、を通り越して、黄金色に見える。
 以前、透明な瑪瑙色が、黄金を秘めた琥珀に燃え上がるのを見たことがあった。あれは、今から八ヶ月以上も前。この部屋でのことだった。
 あの時も、彼は窓の向こうに広がる大空を背後に従え、真っ直ぐに隼人の目を見据えていた。
 どんな反駁も許さぬ、絶対神のように無慈悲に。
 その内側に、どうしようもなく人間らしい、果てのない諦めと哀しみを秘めながら。
 そして、いま目の前にある黄金の輝きは、あの時よりも更に強く、激しく。

「どうして俺を庇った!?」

 怒号が鋭く隼人の耳を打った。
 咄嗟に何を言われたのか理解できず、隼人は綱吉の顔を見直す。
 それだけのわずかな目と表情の動きが、更に彼の怒りを煽ったのか、
「さっきの襲撃の時! 君は俺を庇う必要なんかない! 俺の盾になる必要なんか無いんだ!!」
 綱吉は更に声を鋭くする。
 今度は理解できた。字面(じづら)の理解はできたが、意味が分からない。
 綱吉は、隼人の上司であり、雇い主であり、ボスだ。自分を拾い上げてくれた人だ。永遠の忠誠を誓うに値すると自分に思わせた、かけがえのない存在だ。庇わないわけがない。
「十代目、」
 だが、そう告げようと銘を呼んだ直後、再度、綱吉が普段の彼からは想像もできない鋭い声を響かせた。
「君は忘れたのか、君にとって俺はどんな存在か! 俺のことなんか、庇わなくていい!! なのに、どうして君も武も……!!」
 ヒステリーを起こしているとしか思えないような感情的な声に、どういう意味だ、と考える。
 どんな存在か、と言われれば、ボスと部下だ。だが、綱吉の言い方はそうではない。
 生命の危機に際し、庇わなくても良い、そんな必要などない存在。
 それは、つまり。
「──十代目…」
 またその話か、と思わずにはいられなかった。
 綱吉は決して水に流そうとはしないのだ。隼人が何度、そんな風には思っていないと告げても、恐ろしく頑固に、自分は父親の仇だと、憎めばいいと主張し続ける。
 ここ数ヶ月は、さすがに隼人もその無意味さにうんざりして、できる限りそれに関する話題を避けていたのだが、今日ばかりはそういうわけにはいかないらしい。
 だが、反論しようとして、もう一つ引っかかる。
 ───君も、武も。
 綱吉は間違いなく、そう言った。
 武というのは、勿論、山本武のことだろう。彼の腹心であり、昔からの友人でもある青年。
 そんな男の名前が、何故今ここで、隼人の名前と同列に出てくるのか。
 まさか、と思い、綱吉の顔を見直す。
 だが、綱吉は相変わらず、気の立った獅子を思わせる黄金の瞳を炯々(けいけい)と輝かせており、到底、何かを問いかけられるような雰囲気ではない。
 うかつに話しかけたら容赦なく噛み裂かれそうな気配に、反射的に申し訳ありませんと口走りそうになったものの、それは違うだろう、と喉元で言葉を押しとどめる。
 綱吉にとっては、自分の行動は倫理に反することに思えたかもしれない。だが、それは違う。
 どちらが正しいかという問題ではなく、隼人自身もまた、自分が間違ったことをしたとは思えなかったから、火に油を注ぐ結果になるかもしれないと思いつつも、真っ直ぐに綱吉と目線を合わせた。
「申し訳ありませんが、俺は自分が間違ったことをしたとは思ってません」
 口にした途端、綱吉の眼光がさらに鋭くなる。
 だが、隼人は目を逸らさなかった。
「これまでの経緯がどうあれ、あなたは俺のボスです。俺は、忠誠を誓った相手を裏切るような真似は絶対にしません」
 そんな自分を……その誠実さを欲しい、と言ったのは綱吉の方だ。なのに、裏切るようなことを期待する方がどうかしている。
 その思いを込めて綱吉の黄金のまなざしを見返していると、綱吉の唇が何かを言いかけて引き結ばれ、ふいと目線が逸らされた。
 懸命に感情を抑えようとしているのか、葛藤しているのか、ややうつむいた横顔の中で、せわしなく数度まばたきしてから、綱吉はやっと口を開いた。
「……この話は、君に言う甲斐がないのを忘れてたよ」
 それは綱吉にしては珍しく、苦い棘を含んだ物言いであり、獄寺は表情が変わらない程度にかすかに眉をひそめる。
「この件については、もういいよ。仕事に戻って。用意が整い次第、カーシェを攻めるから、明日中に攻撃目標を絞り込んでおいて」
「──分かりました」
 今、これ以上話をするのは無理だろう。
 隼人の方は何とでも言葉を操れるが、綱吉の方は、おそらくどんな言葉にも拒絶反応を示す。
 そうと察せられたから、隼人は、分かりました、と短く答えた。
 そのまま辞去して、自分の持ち場である秘書課へと戻る。
 そして部下たちから現時点の報告を聞き、指示を与えてから、何かあれば携帯電話に連絡を入れるように告げて、再び廊下へと出た。



NEXT >>
<< PREV
<< BACK