I am. 24

「君は、俺が『十代目』と呼ばれているのを聞いた?」
「……はい」
 確かに車寄せの所で、若い構成員が「ボス」ではなく「十代目」と呼ぶのを聞いた。だからうなずくと、ドン・ボンゴレは小さく微笑む。
「どうしてうちの連中がそう呼ぶのか。答えは簡単で、うちにはまだ『九代目』が健在なんだよ。もう隠居されてるんだけど」
 ボンゴレ九代目の銘は隼人も知っている。
 一見、マフィアの大ボスとは思えないほど穏やかな物腰で、実に賢明な人物であり、歴代のボスがマフィア界の伝説となっているボンゴレに相応しい当主だったと評されている。
「『九代目』がいるから、俺は『十代目』。ああ、そう呼ばれるのが嫌なんじゃないよ。九代目のことはすごく尊敬してるし、俺みたいなのが跡継ぎで申し訳ないと思うくらい。……ただ、実質ボスが二人いるのに等しいんだよ、今のボンゴレは」
 そこまで言って、初めてドン・ボンゴレは小さな溜息に表情を曇らせた。
「俺は、日本生まれの日本育ちで、中学生になるまで自分がボンゴレの後継者だということも知らなかった。家庭教師としてうちに来たリボーンのスパルタ教育のおかげで、そこそこ見られるようにはなったと思うけど、やっぱり違うんだよ。生粋のマフィアの構成員が求める理想のボスとは」
 ドン・ボンゴレは、はっきりとは言わない。だが、十分に察することはできた。
 おそらく今のボンゴレ内部には、若い『十代目』を認めない旧勢力が居るのだ。それも少なからぬ数が。
「育ちが違う以上、俺は生粋のボスらしいボスにはなれないし、それは追々、皆にも慣れて諦めてもらうしかない。少しずつ状況は良くなってきてるんだよ。でもまだ、いざという時に動かせる手駒が少ないのは事実なんだ」
 正しくは、心底信頼して動かせる手駒、だろう。
 ボンゴレの構成員は末端まで数えれば一万人とも言われ、それらの人員は全て、ボスの一言で動かすことができる。
 ただ、十代目である彼が確実に信用して動かせる構成員は──正確には、ボスの命令に忠実に構成員を動かす幹部は、決して多くはない。
 そう隼人は理解した。
「……あなたのおっしゃる意味は分かります。人材を必要としていらっしゃることも。ですが、俺を選ばれる理由が分かりません」
 そう告げると、ドン・ボンゴレは真面目な目で隼人を見つめ、それから、初めて隼人の前でまなざしを伏せた。

「……君はきっと、俺を裏切らないから」

 その一言は、午後の日差しがいっぱいに入る明るい部屋に、しんと響いた。
「いざという時には、という意味だよ。俺は、自分が君の父親の敵だということを忘れてない。君はいつでも俺に復讐していいんだ。それだけの権利がある。
 ……でも、君は、たとえ心の中でいつか俺を殺したいと思っていても、俺が君を信頼して頼んだことは絶対に成し遂げてくれる。俺を殺すのは、その後で、その前にはきっとならない」
「──俺は、」
 隼人の中には父親の復習をしようという気持ちなど微塵もなかった。
 父親を殺したいほど憎んでいたのは隼人自身であり、彼には恨みなど全くない。
 だが、そう告げようとした隼人を、顔を上げた彼の微笑が遮った。
 静かで、どこか哀しい何かを諦めたような微笑。
 それは、冬の初めに母親の墓の前で見たものと同じ微笑みだった。
「君は、カテーナを滅ぼしたくない俺の気持ちを分かってくれた。過酷な仕事を押し付けた俺を許してくれた。そういう君だから、俺の傍で俺を支えて欲しいと……思った」
 深い瑪瑙色の瞳は、懺悔のように聞こえる告白にも揺れない。
 だが、その真っ直ぐな瞳はどこか張り詰めていて、不用意に触れたら砕けてしまいそうな気が隼人にはした。
「ドン・ボンゴレ」
 銘を呼ぶと、再びまなざしは伏せられる。
「勝手なことを言ってるのは分かってる。君が俺を好きになれないのも、君に恨まれるのも当然だと思う。でも、俺は君の中にある誠実さが欲しい。これまで、どんなに酷い依頼でも、どんなに酷い雇い主にでも、依頼を果たすまでは決して裏切らなかった、君の誠実さが」
 それは、と思う。
 どんな酷い仕事でも裏切らなかったのは、金が欲しかったからだ。
 生きている人間である以上、霞を食って生きてはゆけない。そして、一つの仕事を終えた次には、金を使い果たす前に次の仕事が必要だった。だから、裏切らなかった。ほとぼりが冷めるまでは、報復もしなかった。
 ただそれだけのことで、決して誠実だったわけではない。
 だが、そう思いながら顔を伏せたドン・ボンゴレを見つめて、隼人は初めてその肩の薄さに気付く。
 細身であることは分かっていたが、あの戦闘技術が嘘のように彼の肩は薄い。ガリガリではないが、骨格自体が華奢なのか、線が細い、という表現がぴったりだった。
 うつむいたその姿に、もしかしたら、と考える。
 時に黄金の獅子を思わせる彼は、この上なくボスに相応しいボスでありながら、ボスには全く似つかわしくない一面を心の中に秘めているのではないか。
 それは驚くような無防備さや優しさとなって現れ、人を魅了する一方で、善には程遠いマフィアのボスの座にある彼の心を苛み、更には、ボスに相応しくないという悪評をも呼ぶ。
 彼の強さと優しさ。それはまるで諸刃の剣のようだった。
「ドン・ボンゴレ」
 もう一度、隼人は彼の銘を呼ぶ。そして、彼が顔を上げるまで待った。
 隼人が待っていることを察したのか、ゆるゆるとドン・ボンゴレは顔を上げる。
 隼人を見つめる瑪瑙色の瞳にはいつもの笑みはなく、ただ張り詰めた色がある。
 初めて見るその色に、それを打ち砕いてはいけない、打ち砕きたくない、と隼人は心の底から思った。
「カテーナの広場で、俺はボンゴレに永遠の忠誠を誓うと言いましたね。あれは住民を代表する者としての言葉でしたが、俺の本心でもあったんです」
 隼人の言葉に、ドン・ボンゴレは小さく目を見開く。
 無防備なその表情は、年齢よりも随分と彼を若く見せた。
「もちろんあの時は、あなたにお仕えするとか、ボンゴレに入るとか、そんなことは全く考えてませんでした。ただ……ジェンツィアーナの無念を受け止めて下さったあなたは、永遠の忠誠を誓うのに値する人だと思った。それは本当です」
「……本当に……」
 瞠った目で隼人を見つめたまま、呟くようにドン・ボンゴレが問いかける。
「本当に……いいの……?」
 これほど執拗に口説いておきながら、何とも不思議な問いかけだったが、それが彼らしかった。
「はい」
 初めて感じるような晴れやかな思いと共に、隼人はうなずく。
 そして立ち上がり、応接セットのテーブルを回り込んで、彼の傍らに膝まづいた。

「今この時より、永遠の忠誠を誓います」

 誓句を捧げ、彼の手を取って甲に口接ける。
 そして、再び立ち上がった。
「ミラノの仮住まいを処分しなければなりませんから、着任まで一週間ほどお時間をいただけますか」
「うん、それは勿論」
 隼人の問いかけに答えるドン・ボンゴレは、どこか呆然としているように見えた。もしかしたら、獄寺が要請を受けるとは予想していなかったのかもしれない。
 期待はしていなくとも、要望だけは告げてみる。それだけの思いを懸けていてくれたのだとすれば、自分のような人間にとっては実に得がたい話だった。
「今日のお話はこれで終わりですか?」
「うん。……これからすぐにミラノに発つの?」
「はい。そのつもりですが。今から出れば、ぎりぎりメッシーナの連絡船の最終便に乗れますから」
「そう。じゃあ、今日はありがとう。色んな事を含めて全部」
「いえ」
 短く応じて、カウチに腰を下ろしたままの彼を見つめる。
 自ら選択したこととはいえ、彼が今この時から自分のボスだとは、何故かひどく不思議で、新鮮な気がした。
「それでは失礼します。ドン……」
 呼びかけて、ふと止まる。ドン・ボンゴレというのは外部からの呼称だ。彼の部下となった以上、相応しい呼び方とは言えない。
「──十代目と……お呼びしても?」
 彼自身は好きな呼び名ではないのかもしれない。だが、ボンゴレ内部では誰もボスと呼んでいないというのなら、他に適当なものがない。そう考えての呼びかけに、しかし、彼はうなずいた。
「うん。……名前で呼んでくれてもいいけど」
「それは無理です。たとえ命令でも」
 ボスを名前で呼んで許されるのは、家族か親しい友人か、目上の人間だけだ。隼人は決して、そんな立場にはない。
「それでは十代目、今日はこれで失礼します」
「うん。ミラノまで気をつけて。あまり無理して走らないで、時々休憩入れてね」
「そのつもりです」
 幾ら自分でも、ミラノまでノンストップで走ろうとするほど無謀な馬鹿ではない。
 向けてくれた微笑に笑みを返して、ドアに向かい、一礼して部屋を辞去する。
 そして、ドアを閉めてから、自分が微笑んでいたことに気付いた。
「──っ…」
 笑ったことなど、一体いつ以来か。覚えすらないのに、彼の前で微笑んでいた。
 そのことに気付いて、顔から火が出そうになる。誰かの前で、普段見せない表情を見せるのがどれほど恥ずかしいか、今初めて思い知った。
 だが、それが嫌な気分なのかというと、微妙に違う気がするから更に困る。
 滅多にないことはいえ、笑うくらい大したことではない、反射の一つなのだからと自分に言い聞かせて、ぐらぐらする自尊心をどうにか立て直し、隼人はドアに飾られたプレートを振り返る。
 そして、ドアの向こうに居る人物のことを思い、それから仮住まいに戻るべく、ゆっくりとその場を離れた。

*     *

「……笑うと、あんな顔になるんだ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「ツナ、遅くなって悪ぃ」
「……あ、武。おかえり。もうそんな時間?」
「なんだ、ぼーっとしてたのか? で、あいつどうだった? ちゃんと来たんだろ?」
「うん。受け入れてくれたよ。仮住まいを処分したら、来てくれるって」
「そっか。やったじゃねーか」
「うん」
「……の割には、なんか元気なくね?」
「そう?」
「ああ。なんかいつもと違うぜ」
「……まあ、彼とは色々話したから。俺も業が深いなぁって思っただけ」
「……そっか」
「うん」
「ま、あんま気に病むなよ。今度からはあいつも一緒に荷物持ってくれるんだからよ」
「うん、分かってる」



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