I am. 23

「カテーナは俺の故郷です。ジェンツィアーナは俺のファミリーです。俺は守るべきだったものを、守れなかった。あの馬鹿親父がプレドーネに手を出したことは、かなり早い段階で気付いていたのに、何の警告もせずにファミリーを見殺しにしました。
 ……あなたの要請を受けて、カテーナに戻ってから気付きました。俺が、父親だけならともかくもファミリーまで見殺しにしたのは、過去の罪の贖(あがな)いでも何でもなかったのだと」
 母親を死に追いやった父親を許せずに、見殺しにした。そこまでなら、隼人は自分の心に折り合いをつけることができただろう。
 だが、父親の側近たちの死と、ファミリーの崩壊に打ちのめされた住民たちの悲嘆は、古い罪が償われたのではなく、単に新たな罪が生まれたことを隼人に自覚させるには十分だった。
「俺は今でも、父親を許す気はありません。ですが、憎いのなら、自分の手で直接殴るなり、殺すなりしていれば良かったのだと今は思ってます。ファミリーにあんな思いをさせる必要など、なかった」
 決して父親だけが愚かだったのではない。
 早い段階から、ボンゴレの鉄槌を呼び寄せかねない可能性を知りつつ、遠く離れて沈黙を保っていた隼人も、父親と同じくらいに愚かで無責任だったのだ。
 捨てたはずだったものと正面から向き合って、初めてそのことに気付いたのである。
 世界には、決して捨ててはならないもの、あるいは、捨てたつもりでも決して捨てられないものもあるのだ。
「ですから、その小切手は受け取れません。俺は、俺が守るべきだったものを、あなたの要請を受けたことで遅まきながら守った。それだけのことですから」
「……そう」
 隼人の懺悔を静かなまなざしで聞いていたドン・ボンゴレは、分かった、とうなずく。
「じゃあ、これは無しにするね」
 そして、手に取った小切手を何のためらいもなく二つに引き裂いた。
 それから静かなまなざしに、ほのかな微笑をたたえて隼人を見つめる。
「ごめんね。君の気持ちを侮辱するつもりはなかった」
「……侮辱でも何でもないですよ。これくらいのことは」
 侮辱というのは、もっと下劣で激しい屈辱感を伴うものだ。ドン・ボンゴレの言葉も態度も、それには程遠かった。
 むしろ、今の隼人が感じているのは、深く心に染み入るような安堵だった。
 誰かにこれほどまで心の内を晒したことなどない。家族でさえも疎遠だった隼人にとっては、本心を吐露できる相手などこれまで一人もいなかった。
 ドン・ボンゴレは美しく軽やかな見かけに反して強い意思の持ち主であり、小切手を拒絶する真の理由を告げない限り許してはくれなさそうで、真実を告白する以外に道はなさそうだった。
 だから、本心を告げたのだが、しかし、彼ならば、という思いが根底になかったといえば、それは嘘だった。
 大罪の告白すら、彼ならば、静かに受け止めてくれる。
 そんな気がしたのは、昨年の初冬と二週間前の二度、ドン・ボンゴレと交わした会話のせいだった。
 秋の終わりとも冬の初めともつかない曇った空の下、あるいは小さなホテルの一室で、いつもいつも、彼は先に自ら罪を口にして、これが自分のやり方だ、と詫びた。
 その許しを請うでもなく、ただ彼自身も哀しさを感じているような静かな微笑みは、隼人の中に強い印象を残したのだ。
 ──そう、印象深い人間だった。
 隼人と年齢は変わらないのに、同じ世界に生きているのに、決定的に異なる何かがドン・ボンゴレにはある。
 それこそが隼人に罪の告白をさせた原因に他ならなかった。
 そして、懺悔を終えた隼人の内には、不思議な安堵が満ちている。
 それが、美しいとは到底言えない感情の動きを理解し、受け入れてもらえたことに対する安堵であると気付くには、少しばかりの時間が必要だった。
「──あと、それ以外のお話とは?」
 胸の内に満ちている慣れない感情を持て余して、隼人は話の方向を変えるべく切り出す。
 と、ドン・ボンゴレは、ああ、とうなずいた。
「その話をする前に、ちょっと確認したいんだけど。君は二週間前、これからの予定はないと言っていたけれど、それには変わりない?」
「はい」
 何故そんなことを聞くのかと思いながらも、隼人はうなずく。
 もともとフリーで動いていたのだから、仕事は不定期であり、ボンゴレの話を受ける以前の依頼は全て始末をつけてからこの島に渡った。そして、その後の予定は全て白紙だ。
 半年後の自分が生きているかどうかさえ分からなかったのに、裏社会の仕事など請けられるはずもない。
 これからミラノに戻っても、再び顧客を得るには少しの時間がかかるだろう。
 半年もあれば、いくら裏社会といえど、客は逃げる。そして、スモーキン・ボム程度の仕事人は、それこそこの国だけでも掃いて捨てるほどにいるのだ。
「そう。じゃあ、俺からの提案なんだけど」
「はい」
「ボンゴレに入る気はない?」
「──は?」
 にっこりと極上の笑顔で言われた言葉に、思わず隼人はぽかんとなる。
 今、彼は何を言ったのか。
 それも、輝くような笑顔で。
「給料はもちろん、衣食住も保証するけど。俺の傍で働くのは嫌かな?」
「……ドン・ボンゴレ」
「うん?」
「その冗談は、冗談になりません」
「冗談なんかじゃないよ。本気」
 笑顔での返答に、隼人は本気で困惑して眉をしかめる。到底、正気の申し出とは思えなかった。
 だが、過去にもあちこちのファミリーから声をかけられたことはある。それらは主に、隼人の持つ破壊力に注目しての鉄砲玉としての誘いだった。
 危険な場所で使い捨てる。それには最適の人材だという自覚はある。
 なにしろ、どこの組織とも繋がりがなければ、命や金に対する執着もないのだ。組織が使い捨てにしたところで、どこから報復される恐れもない。スモーキン・ボムとはそういう存在だ。
 だから、これまでフリーの仕事人として、他に引き受け手がないような危険な仕事を幾つも請け負ってきたし、その面でだけは重宝されてきた。
 だが、ボンゴレは違う。無力化したとはいえ、カテーナの町が隼人の背後にはあることを知っている。せっかく沈静化した問題に、火の付いたダイナマイトを投げ込みたいとは思わないだろう。
 ならば、鉄砲玉以外に、自分にどんな使い道を見出したというのか。
「……一体、俺をどんな風に使おうとお考えですか」
「うーん。一言で言うなら、俺の秘書かな」
「──は?」
 またも思いもかけない単語に、隼人は再び眉をしかめる。
 一体どれだけ突拍子もないことを言い出せば、目の前の相手は気が済むのだろう。
 秘書。
 復唱するだけでも可笑しいし、絶対に正気ではない。
「ドン・ボンゴレ」
「何?」
「失礼ですが、正気ですか?」
「……本当に失礼だなぁ。正気だよ、もちろん」
 どこがですか、と言い返したかったが、かろうじてそれは抑える。
 一つ深呼吸して気持ちを落ち着かせ、改めて、彼と目線を合わせる。
 正面から見つめた瑪瑙色の瞳は美しかったが、隼人の反応を面白がっている光もはっきりと読み取ることができた。
「どうしてそんな判断をされたのか、伺ってもいいですか」
「そりゃ、君を気に入ったからだろうね」
「───…」
 そうあっけらかんと言われても困る。一体どうしたものだかと考える隼人に、ドン・ボンゴレは小さく笑った。
「からかってるわけじゃないよ。君を困らせてるのは申し訳ないとも思うし。でも、半年前に君が面倒事を引き受けてくれた時から、目星はつけてたんだ」
 そして、穏やかな声で続ける。
「君の経歴は全部調べたよ。君の持つスキルは、どれもこれもハイレベルで広域に渡るけれど、特に突出しているものがない。
 身内とも相談して、君みたいな何にでも器用なタイプは、特定の専門部署に配置するより、何にでも不器用な俺のサポート役に徹してもらうのが一番適任だと思った」
「──俺は、あなたのお傍で役に立つような人間じゃありませんよ」
「そんなことないよ。俺はパソコン使うのも下手だし、語学も日本語とイタリア語しかできないし、もともと政治にも経済にも興味なんかないし、計算も苦手だし、社交も得意じゃないし、ワインもグルメも薀蓄には興味ないし。育ちが育ちだから、マフィアのボスとしてはものすごく低レベルなんだよ」
 低レベル、と胸を張られても困るが、しかし、それが自分なのだと踏まえているのか、ドン・ボンゴレの言葉には己に対する小さな溜息はあっても、卑下の気配はなかった。
「とにかく、誰かに助けてもらわないと、マフィアのボスなんてやってられないのが俺なんだよ。だから、君にも助けてもらえると嬉しいっていう話なんだけど」
「────」
 助けてもらえると嬉しい。
 まるで宇宙人語のようだった。どこか奥地の未開の民族の言語だって、ここまで不可思議には聞こえないだろう。
 困惑しきって、隼人はドン・ボンゴレを見つめた。
 ここまで言うからには、おそらく彼は本気なのだろう。だが、分からない。どうして自分のような人間を選ぶのか。
 その困惑が表情に出たのか、ドン・ボンゴレはやわらかく微笑んで、「隼人」と呼んだ。
「どうしてなのか分からないって言いたそうだね」
「……はい。分かりません」
 どうして自分なのか。ドン・ボンゴレの側近ともなれば、自薦他薦を含めて星の数ほども候補者がいるだろう。
 だが、そういった『選ばれた』人間ではなく、何かを破壊したいと思う時以外、誰にも相手にされないはみ出し者の自分を選ぶという。
 その理由がどうしても分からなかった。
「……そうだね、君には全部話すべきかな。人生を変えてくれって頼んでるんだから」
 物を思うようにわずかに首をかしげて、ドン・ボンゴレは呟く。
 そして、改めて隼人を見つめた。



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