I am. 21

 春になった途端に、この島の空は晴れ渡る。
 水平線の透き通るようなアクアブルーから吸い込まれそうに深い天上のセレストブルーへと変化する空と、紺碧のティレニア海を横目に見ながら、隼人は西に向かって真紅のアルファロメオを走らせた。
 この車は、心ならずも故郷に戻ることになってから、金さえ積めば速攻で登録事務をしてくれるディーラーに頼んで買った間に合わせだったために、特筆するような性能は何もない。
 二昔前──フィアットに買収される前の古いアルファロメオなら、工場出荷時から故障しているようないい加減な造りゆえに返って面白いところもあったのだが、最近のモデルは出来が良くなってしまって、そこそこ安心してシートに体を預けていられる。
 楽といえば当然楽なのだが、高性能のスーパーカーに色気を感じる隼人にしてみれば、この車は長距離ドライブを楽しむというには物足りない、面白みの少ない車だった。
 だが、この車を運転するのも、あとわずかの話だ。
 ドン・ボンゴレの要請に従ってパレルモに赴いたら、後は本土に戻るだけでこの長いドライブは終わる。
 仮住まいの部屋のあるミラノに戻ったら、速攻でこの車は処分するつもりだった。そこには、本来の愛車がきちんとガレージに預けてある。
 カテーナからパレルモまでは、車で約四時間半。
 ボンゴレの総本部は、パレルモの中心部から更に四十分ほど離れた郊外。決して近い距離ではないが、嫌気が差すほど遠い距離でもない。
 車の性能は物足りなかったが、それでも交通量の余り多くない海と空に挟まれた州道をアクセルの全開手前くらいですっ飛ばすのは、それなりに爽快だった。
 そして途中で一度休憩を挟み、パレルモ郊外にあるボンゴレの総本部に着いたのは、午後を少し回った頃合だった。

 来るのは二度目だけに、要領も分かっている。
 正門前で門番に名前を告げると、「お待ちしていました」とあっさり錬鉄製の門は開かれ、そのまま建物正面の車寄せまでアルファロメオを進めてエンジンを止め、車を降りて、近付いてきたまだ若いボンゴレの男にキーを預けた。
「十代目の執務室の場所はお分かりになりますか」
「ああ。中央四階の階段から右手に二番目の部屋だろう」
「では、直接どうぞ。ボスは既にお待ちです」
「分かった」
 それだけを告げると、ボンゴレの男は車を移動させるべく隼人から離れてゆく。
 平静を装いながらも、内心、隼人は呆れかえった。
 これが大ボンゴレのセキュリティだというのなら、まるでなっていない。ボディーチェックも案内人もなしに部外者を歩き回らせるなど、無用心にも程がある。
 隼人自身は今現在、ボンゴレに危害を加えるつもりなどないが、だからといって丸腰ではないのだ。
 スモーキン・ボムの異名は伊達ではなく、爆発物は今も複数身に着けているし、接近戦用のナイフも常に携帯している。
 だが、呆れる一方で、何かが胃の腑に落ちる感じもしていた。
 ここまで隼人に好きに行動させるやり方は、実に彼らしい。
 何度か目にした穏やかな笑みが、ふっと脳裏に蘇りかけて、しかし、隼人は急いでそれを打ち消す。
 これから本物に会うのに、下手に以前の記憶や印象を呼び起こすのは良いことではない。
 過去のイメージから作り上げた先入観が、何か重大なことを見落とさせる原因となることもある。
 それに、このラフ過ぎる応対が何らかの演出なのだとしたら、その意図を見抜く必要があった。
 単に歓迎しているだけであるのなら、ある意味底抜けであるし、もし油断させようという心積もりがあるのなら、その意味を考えなければならない。
 だが、油断させるといっても、その求める結果は危害を加えるか、利用しようとするかの二つに分かれる訳だが、冷静に我が身を振り返ってみて、己に利用価値があるのかといえば、それはゼロだった。
 元ジェンツィアーナが完全にボンゴレに服従し、カテーナに平穏が戻った今は、ボンゴレにとっての獄寺隼人という人間の存在価値は全くの無だ。
 むしろ、裏事情を知る者として消してしまいたい存在という可能性の方が、よほど有り得る。
(油断させて殺す? ……有り得ねぇな)
 何の後ろ盾もない一匹狼相手に、そんな面倒なことをする必要などどこにもない。
 ボンゴレは、いつでもあの世界最強の殺し屋を雇えるのだし、現に一月前まで、あの殺し屋に隼人に対して銃口を向けさせていたのだ。
 殺すのなら、隼人がカテーナを出た今日の朝、適当な場所で事故に見せかけるか、人知れず死体を始末して消息不明に仕立て上げるだろう。
 少なくともボンゴレの総本部まで辿り着けたはずはない。
(カテーナに引き続き、よっぽど汚ねぇ仕事を押し付けたい……。多少は有り得るだろうが、そんならもう少し、警戒なり緊張なりが見えるだろう)
 美しく磨き抜かれた階段を昇りながら、そうして一つ一つ、可能性を検証して潰してゆくと、このラフな応対について、残る答えは一つしか思い当たらない。
 つまり、本当に警戒していない、あるいは、歓迎している、だ。
 そんなこと有り得んのかよ、と押し殺した溜息混じりに心の中で呟いてみるが、他に可能性のありそうな答えがない。
 現に、ドン・ボンゴレは二週間前のカテーナで、隼人をパレルモまで赴かせる理由として、後始末と報酬があるとか言っていなかったか。
(それを額面通りに呑み込めってのかよ……)
 はっきり言って、無理な話だった。
 堅気のビジネスシーンならまだしも、マフィアの大ボスとチンピラのやり取りである。信義など求める方がおかしい。
 なのに、これまでに彼と交わしたわずかな会話を思い返すと、その有り得ない事象が、すとんと胃の腑に落ちてくるのだ。
 しかし、そうして何のてらいもなく、臓腑の真ん中に落ちてくるということを、一体どう受け止めればいいのか。
 たかだか五階分(注:欧州式では一階=地階、二階=一階、五階=四階)の階段なのに、妙な疲れを覚えながら隼人は目の前の扉を見つめる。
 木目の美しいマホガニーに嵌め込まれた、鈍い黄金に輝くボンゴレの紋章。
 半年振りに目にするその荘重な扉に少しばかり目を細めて、呼吸を一つ整え、そして、左手を上げてノックした。
「獄寺です」
 扉越しに名乗るとすぐに、「開いているから入って」と軽やかな応答が返ってくる。
 本当に底抜けなのかと内心思いながらも、獄寺はドアノブに手をかけ、なめらかに開閉するものの重い扉を開いた。



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