I am. 19

「すみません、片付いてない上に、こんな格好で……」
 応接セットに案内しながら、簡単に詫びる。
 部屋は広めのツインで、持ち込んだ私物は少ないものの、半年も暮らしていればそれなりに小物の置き場が決まり、応接セットのテーブルにもベッドサイドにも、それぞれ灰皿だの何だのが乗っている。
 そして、隼人自身はといえば、ネクタイとベストまでは身に着けていたものの、スーツの上着はまだ着ておらず、目上の人間に対するには、少々非礼な格好だった。
 だが、不意打ちの訪問であることは彼らもわきまえているのだろう。
 それらの一切を咎めることなく、ドン・ボンゴレはソファーに腰を下ろした。
「構わないよ。長居する気もないから、気は使わないでくれると嬉しい」
「はい」
 くつろいだ姿勢になったドン・ボンゴレの手振りでの許しを得て、向かい側のソファーに隼人も腰を下ろす。
 隼人が姿勢を落ち着かせるのを待って、ドン・ボンゴレはまず、自分の左隣に腰を下ろした青年を紹介した。
「彼は、山本武。俺の昔からの友人で、俺がボンゴレ十代目になってからも色々と助けてくれてる。まあ、腹心の部下ってとこかな」
「よろしくな」
 日本語で気安く挨拶してくる青年を隼人は見つめる。
 背格好は自分と大して変わらない。日本人としてはかなりの長身ということになる。
 今は一見、武器を帯びていないが、昼間は長刀を背に負っていた。相当の使い手だということは身のこなしだけで分かる。
 そして、改めて向き合えば、表情は屈託がなく明るいが、目の色だけが不思議なほどに深かった。
 目だけが笑っていないというのではなく、確かに笑っているのに、黒い瞳の奥には底無しの何かがある。
 この男も、と隼人は思った。何か途方もないものを抱えている。
 油断すべき相手ではない。だが、ドン・ボンゴレの腹心であり、瞳の奥の底無しの何かが自分に向けられていない今は、真っ向から警戒すべき相手でもない。
 だから、ただ短く名乗った。
「獄寺隼人だ」
「ああ、聞いてる。会えるの、楽しみにしてたんだぜ」
 朗らかな言葉にどう答えるべきか迷い、ドン・ボンゴレへとまなざしを向ける。と、彼はやわらかく微笑んでいた。
「君が難しい仕事を引き受けてくれたから。お手並み拝見と言うと聞こえが悪いけど、この半年、君の名前はうちで結構な話のネタになってたんだ」
「はあ……」
 どう受け取るべきか、隼人は迷う。
 この二人に関しては、さほど悪い評価の会話ではなかったかもしれない。少なくとも、言葉尻にそんな気配はない。
 だが、他のボンゴレの面々はどうだったか。
 くだらないことをするという声もあったかもしれないし、失敗すると予想する声もあったかもしれない。
 あるいは、カテーナを殲滅せず、迂遠な温存策をとった若きドン・ボンゴレに対する悪評もあったのではないか。
 少なくとも、隼人がボンゴレの構成員であったとしたら、潰すべきものを潰さないドン・ボンゴレのやり方は歯痒く感じただろう。
 利害関係のない第三者であっても、さっさと潰せばいいだろうにと思うのがせいぜいに違いない。
 今回は潰される側であったからこそ、ドン・ボンゴレの温情をカテーナが生き延びる唯一つの術であり、希望だと感じて、それにしがみついたのだ。
「ドン・ボンゴレ」
 この件について初めて彼の立場にまで思いが至り、隼人は深く頭を下げる。
「御温情をありがとうございました。カテーナの全住民に代わって御礼申し上げます」
 唐突ではあると自分でも思ったものの、そうせずにはいられなかった。
 カテーナに温情をかけたことで、実際の戦闘という意味ではボンゴレに損失はなかっただろう。
 だが、力がものを言うこの世界でその策を採ることが、本当に弊害が一つも生じなかったとは考えられないのだ。
 もちろん最善策と考えて、ボンゴレは隼人を召喚したはずだったが、六ヶ月の猶予をカテーナに与えるその裏で、ドン・ボンゴレが払った代償も必ず何かあったはずである。
 しかし、
「そんなこと。御礼を言うのはこっちの方だよ」
 隼人の言葉に、ドン・ボンゴレは小さく笑った。
「今日のこともね、助かった。君のおかげで、やっとカテーナに対する警戒を解くことができる。この意味は大きいんだよ。うちは大所帯だから、案外あちこち手が回りきらなくてさ」
 最後の一言は、ほのかな苦笑に彩られていて。
「分かると思うけど、一つのファミリーを本当に潰すのはとても難しいんだ。完璧にやるなら、最後の一人まで消すしかない。一人でも残せば、報復の可能性が消えない。
 でも、そんなことにエネルギーを費やすのは無駄な話だ。人を殺していいことなんか殆どない。ましてや報復を恐れて殺すなんて、無意味すぎる。
 だから、君が居てくれたこと、君がやってくれたことにはすごく大きな意義があるんだ。
 君が居なかったら、俺は本当にこの町を地図上から消すしかなかった。そして、それを揉み消すためにどれくらいの金をばら撒いて、一体何日眠れない夜を過ごさなきゃならなかったか……。君の存在が在るとないとでは、天国と地獄くらいの差があったんだよ」
「ドン・ボンゴレ……」
「この六ヶ月も良くやってくれたと思うけど、今日のことも、本当にいいパフォーマンスだった。……パフォーマンスと言ってもいいよね?」
「はい」
 確認するような問いかけに、隼人はうなずく。
 彼の言う通りだった。住民たちに遺恨を胸の奥深くにしまい込ませるパフォーマンス。
 それを意図して隼人は手合わせを申し出たのに、結果としては、住民たちが遺恨を晴らすステージとなった。
 そう舞台を作り変えたのは、彼だ。
 隼人の意図を察し、住民たちの胸のうちを察して、自らを全て引き受けて立った。
 途方もない英断であり、勇断だった。
「俺の不躾な申し出を受けて下さったことは、御礼の言葉もありません。ましてや、その後のことは……」
「御礼を言いたいのはこっちの方だよ。君が手合わせを申し出てくれたから、俺もきっかけを掴むことができたんだ。
 ……ああいう負の気持ちを抱いたまま、ボンゴレに従わなきゃならないことは、すごく辛いことだと思うから。彼らと手合わせできて良かったと思う」
「……はい。ですが、俺はお詫びを申し上げなければいけません。あなたが俺を殺せないことを承知の上で、真剣での手合わせを求めたのは卑怯でした。本当に申し訳ありません」
 あの手合わせで、もしドン・ボンゴレが隼人を殺したら、あの場に居たカテーナの住人はこぞってドン・ボンゴレに報復しようとしただろう。
 そうなれば、いつか彼が明かした最悪のシナリオが、そのまま完成してしまう。
 ドン・ボンゴレは、そんな結末は決して望まない。そう確信があったからこそ、隼人は衆人の目の前での手合わせを求めたのだ。
 もちろん、隼人とて本当にドン・ボンゴレを害するつもりはなかったが、また手加減するつもりもなかった。
 本気でぶつかり合わなければ、単なる茶番劇になってしまうからこそ、殺意を込めてナイフを握った。
 だが、自分は殺されないことを承知の上で命がけの手合わせを求め、自分の方は本気の殺意を込めるというのは、どう考えても道義に反する。
 裏通りでの喧嘩ならまだしも、一つの町の尊厳を懸けての戦いに相応しいやり方ではない。
 結果的にドン・ボンゴレは、隼人の描いたシナリオを超えて動いてくれたものの、だからといって、全て計算ずくだった隼人の策略を、ドン・ボンゴレが許容してくれるかどうかについては、また別の問題である。
 ゆえに、断罪を覚悟の上で隼人は告げたのだが、しかし、ドン・ボンゴレは再び小さく笑っただけだった。



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