I am. 18

「お初にお目にかかります、ドン・ボンゴレ。ジェンツィアーナのルチアーノと申します」
 ルチアーノの名乗りに、ドン・ボンゴレは静かにうなずく。そして、ゆっくりと半身に構えた。
 合図はなかった。その瞬間、火花が散ったようにルチアーノが地面を蹴る。
 彼は大男であり、年を取ったとはいえ、その膂力はまだ目を瞠るものがある。が、ドン・ボンゴレの敵ではない。
 隼人を相手にした時と同様、攻撃をかわし、あるいは、はたき落とす形でルチアーノのナイフをいなしながら、機を見はからって左手の手刀でルチアーノの右手首を強く叩き、ナイフを取り落とさせたところで、首筋に自分のナイフを突きつけた。
「そこまでだ。──次!」
 正味にして、三十秒ほどの攻防。たったそれだけだった。
 だが、無情だとは心の底で思いつつも、隼人は鋭く采配の声を上げる。
 ルチアーノも他の男たちも、自分かドン・ボンゴレの息が絶えるまで、血みどろになって殴り合いたいだろう。
 勝てないのなら、とどめを刺して欲しいだろう。
 しかし、それは叶わない願いだ。
 彼らの命を奪うことなどドン・ボンゴレが許容しないだろうし、彼らが無用に傷つくことは隼人が許さない。
 もう一度、勝てなかった悔し涙に暮れ、自分の無力を嘆いて、ジェンツィアーナがもう無いこと、新たな支配者がボンゴレであることを噛み締める。
 これは、そのための儀式だった。
「次!」
 兵学校の鬼教官よろしく隼人が声を発するたびに、肉体は無傷でも魂と心が傷だらけの男たちが、地面にくず折れ、泣きむせぶ。
 固い石畳を拳で殴り、吠えるように慟哭する。
 戦いには参加しない男たちも目を潤ませ、女たちもすすり泣く。
 大事な日だからと家の中に閉じ込められている子供たちも、両親が帰宅すれば、本当の意味で今日、ジェンツィアーナが滅びたことを知るだろう。
 その全てを隼人は見つめていた。
 そばかすだらけのまだ十代の少年。彼の父は、隼人の父親の側近で、ドンの死に殉じて死んだ。
 パン屋の主人。隼人の計画する町の復興計画には、最初から積極的に参加していた。それだけ町を愛していた。
 石工の先代の親方。隼人の祖父に目をかけられていたという、ジェンツィアーナの古株。ナイフを持つ手が老齢のせいで震えているのに、まっすぐに体ごと、ドン・ボンゴレにぶつかっていった。
 一人ひとりが、思いを込めてドン・ボンゴレに立ち向かってゆく。
 一番最初の隼人の敗北で、一矢報いることさえ難しい相手と分かっただろうに、誰一人ひるまない。
 彼らこそが、ジェンツィアーナ。
 隼人と父親が、守らなければならなかったはずのものだった。
 ───やがて、最後の一人の手からナイフが落ちて。
 もう誰も周囲の輪から出てこないことを目で確認してから、隼人はゆっくりと彼らの元に歩み寄った。
 石畳に膝を折って泣いている青果屋の若主人の肩を叩いて、立ち上がらせ、住民たちの輪の中に帰らせる。
 そして、自分のナイフを拾い上げた。
 のべ三十一人もの男たちの手を渡ったそれは、幾つかの小さな刃毀れを生じている。ドン・ボンゴレの巧みなパーリングによるものか、石畳に落ちた時の衝撃によるものか。
 傷だらけのナイフは、そのままジェンツィアーナの象徴となって鈍く春の陽光を反射している。
 それをじっと見つめた後、隼人は刃を自分の側に向けて、ナイフをドン・ボンゴレに差し出した。
「────」
 ドン・ボンゴレは、まだ呼吸は乱していなかった。だが、額にはうっすらと汗が浮いている。彼もまた、限界のある人間である証拠だった。
 彼はナイフを見つめ、まっすぐに隼人の目を見つめてナイフを受け取る。
 金属の重さが完全に相手の手に移ったところで、隼人は一歩下がり、その場に片膝を付いて頭(こうべ)を垂れた。

「我らカテーナの住民一同、本日よりボンゴレに永遠の忠誠を誓います」

 その声が朗(ろう)と広場に響くと、隼人の背後で住民たちが一斉に頭を垂れる気配がした。
 しんと静まり返った、傾いた日差しの中。
「ありがとう」
 穏やかで深い響きのドン・ボンゴレの声が一同の耳を静かに打った。

*     *

 ドン・ボンゴレを迎えての正餐は、市長卓ではなくホテル・フィオレッタで開かれることになっていた。
 市長の自宅はそれなりに古く、カテーナの市内ではそこそこ立派な建物だが、所詮は田舎の名士の邸宅の域を出ない。
 対して、隼人が滞在し続けているホテル・フィオレッタは田舎町のホテルではあっても、建物は綺麗に磨き抜かれ、至る所に花が溢れている。
 加えて、オーナー夫人は町一番の料理上手で、ドン・ボンゴレのための正餐の用意をと言われても、一瞬たじろぎはしても、すぐに立ち直ってお任せ下さいと胸を叩く精神的な強さを持ち合わせており、今夜のもてなし役にはぴったりだった。
 広場での、ただ手合わせと呼ぶには随分と複雑な陰影を持った出来事の後、隼人はドン・ボンゴレ一行をホテルに案内し、自分自身もそのまま専用の客室に引き取った。
 シャワーを浴びて汗を流し、正装に着替える。(といっても、ボンゴレ側はタキシードは持参していないということだったから、ディレクターズスーツ止まりだった。)
 その間もずっと、隼人は手合わせのことを思い返していた。
 素晴らしい技量だった。
 隼人の攻撃を全て見切り、予測してかわし、あるいは叩き落とす正確な技術。
 小さな円を描く最低限の動きで構成された巧みなフットワーク。
 そして、隼人を加えてのべ三十二人と対峙し続けた、驚異的な集中力。
 隼人は、町の喧嘩屋はもちろん、玄人との戦いも数え切れないほどにこれまで経験している。
 だが、あれほど無駄がなく、洗練された戦い方をする人間には出会ったことがない。
 そして、戦い方以上に───。
「!」
 その先に思いを馳せかけた時、部屋のドアがノックされた。
 ミランダのノックではない。彼女のノックの仕方は、欧州人らしい素早い連続の四回ノックだ。
 今聞こえたのは、ややゆっくりと二度叩く音。東洋人、というよりも日本人のノックの仕方である。
 相手が誰かと考えるまでもない。慌てて隼人はソファーから立ち上がった。
 ここは執務用の部屋ではなく、居間兼寝室として借りている部屋だから、内鍵をかけてある。手早くそれを外し、ドアを開けた。
「ドン・ボンゴレ」
 予想通りの相手が、廊下に立っていた。
 そして、もう一人、例の護衛兼腹心らしき東洋人の青年。
 二人だけであることを素早く目で確認して、隼人は室内に二人を通すべく、出入り口の立ち位置を譲った。
「どうぞお入り下さい」
 ドン・ボンゴレ相手に、部屋の前で用件は何だと問答できるわけがない。
 わざわざ部屋を訪ねてきたのなら、当然何らかの話があるに決まっていたし、また、この後の晩餐会では話したくない、あるいは話せない内容であることは考えるまでもなかった。



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