I am. 17

 正面から観察すると、ドン・ボンゴレは左脚を後ろに引き、半身(はんみ)になってはいるものの、ナイフを構える位置は低く、完全な自然体を保っている。攻守自在に変化できる形であり、攻めにくい、と隼人は目を細めた。
 どう足掻いても、きっと彼には勝てないだろう。だが、引き下がるわけにはいかない。
 細く息を整え、石畳を蹴る。
「!」
 心臓を狙った最初の突きは予想通りかわされた。だから、そのまま勢いを殺さず、立て続けにナイフを振るう。
 全身の筋肉を稼動させ、連動させて、よりコンパクトに、鋭く。
 これまでの二十四年に身に着けた全てを絞り出し、憎いわけでもない相手に必殺の一撃を繰り出す。
 憎しみはなくとも、刃先に殺意を込めることはできた。否、殺意を込めなければ、返り討ちにされる。それが手合わせ──殺し合いだ。
 だから、隼人は一切のためらいを覚えずにナイフを繰り出し続ける。
 今のところ、ドン・ボンゴレは隼人の攻撃を立ち居地すら殆ど変えずにコンパクトにかわし、あるいは、ナイフの刃をもってはじき返すパーリングのみで自らは攻撃してこないが、隼人を見つめる目は本来は瑪瑙色であるだろう虹彩が金の輝きを帯びた琥珀に輝き、獲物を前にした獅子のように気配が鋭さを増している。
 観察されている、と思った。
 呼吸の間合い、リーチの長さ、あらゆる筋肉の動きの癖。琥珀の瞳は全てを冷静に見つめている。その感覚に、肌がピリピリする。
 おそらく隼人の技量の観察を終えた途端に、彼は逆撃してくるだろう。そうしたら、地に倒れ伏すのは隼人の方だ。
 そうと分かるからこそ、決定打を繰り出せない自分に隼人は歯噛みした。
 近年は以前ほど積極的に喧嘩を買わなくなったが、十代半ばを過ぎた頃からストリートファイトでは、ほぼ負け知らずだった。
 だが、目の前の相手は格が違う。
 町の喧嘩屋になら全勝、プロの軍人や傭兵、殺し屋相手なら、一定以上のレベルには勝てない。その程度の技量しか持たない隼人が勝てる相手ではない。
 彼は本物の戦闘のプロだった。
 最大最強のマフィア・ボンゴレ。
 その頂点に君臨するドン・ボンゴレは、ただ血筋だけでその地位に就いたわけではない。彼自身が最強なのだ。
 クソッ、と胸のうちで自分と相手との技量の差に毒づきながら、顔面に向かってフェイントをかけつつ、頚動脈を狙う。
 だが、必殺のはずのそれも小さな動きでかわされ、次の瞬間、ドン・ボンゴレにナイフの柄で左肩を強く鋭く突かれた。
 東洋の格闘技の打撃法のように、回転をかけながら鋭く突いて鋭く引く。
 その衝撃は思いがけず強烈で、一瞬揺らいだ上半身に気を取られた隙に、今度は軸足を強くドン・ボンゴレの足になぎ払われる。
 時間で言えば、一連はほんの一秒ほどの出来事だっただろう。
 バランスを失って石畳に手を着いた隼人の喉下に、戦闘ナイフの刃が突きつけられた。
「……参りました」
 息が上がっている隼人に対し、ドン・ボンゴレは呼吸すら乱れていない。完敗だった。
 負けを宣言すると、ドン・ボンゴレはかすかに笑んでナイフを引く。
 そして、隼人が立ち上がるのを待ってから、ゆっくりと周囲を見渡した。
 周囲は、しんと静まり返っている。それは、隼人が勝てなかったことに対するカテーナ住民の落胆であり、とどめを刺されなかったことに対する安堵であり、また、ドン・ボンゴレの勝利に対する当然の思いだった。
 その静寂を見つめて、ドン・ボンゴレは口を開いた。


「次は? 彼だけじゃないだろう、俺をせめて一発殴りたいと思っているのは」


 凛と響いたその声に、思わず隼人はドン・ボンゴレの顔を見つめる。
 だが、彼は隼人にはまなざしを返さなかった。
「昨日までは俺はパレルモにいて、手の届かない相手だったかもしれない。けれど今、俺はここにいる。
 もやもやにケリをつけたい人間、恨み憎しみを晴らしたい人間は、全員、かかって来ればいい」
 ドン・ボンゴレ、と隼人は声に出さず呟く。
 ───そもそも、隼人が手合わせを求めたのは、元ジェンツィアーナに残る遺恨にケリをつけてしまいたかったからだった。
 ジェンツィアーナの跡取り息子であった隼人が、ドン・ボンゴレと手合わせして完膚なきまでに惨敗する。
 それは、カテーナの町の新旧の支配者の交代の象徴として、最も分かりやすい形だった。
 隼人の敗北を目の当たりにすれば、住民たちはジェンツィアーナの支配が終わったことを肌で感じるだろう。
 そう計算してのことだったが、ドン・ボンゴレの発言は、そんな姑息な目論見など遥かに超えていた。
 挑発というには、あまりにも静かなドン・ボンゴレの金のまなざし。
 だが、その先で、ざわめく住民の輪が躊躇いながらも、かすかに動こうとする。
 その兆しを見て取った隼人は、動きが奔流へと変わる前に鋭い声を発した。
「一人ずつだ! これ以上、町の名前を汚すんじゃねえ!」
 卑怯者、愚か者とさげすまれるのは、死んだ父親だけで十分だった。
 ジェンツィアーナは滅びた。だが、カテーナの町は、これからもボンゴレの支配下で生きてゆかねばならない。
 それならば、守らなければならない信義というものがある。
「一人ずつだ。ナイフは俺のを貸してやる。不慣れなのは我慢しろ」
 もう一度繰り返すと、一歩前へ出かけていた男たちは顔を見合わせ、やがて、一人がゆっくりと進み出てきた。
 ルチアーノ、と隼人は心の中で名前を呼ぶ。
 彼が男盛りだったのは、十五年前の話だ。元々肉付きが良い男だったが今はすっかりたるんで、幼かった隼人をよく肩車してくれた肩も昔は雄牛のようだったのに、随分と筋肉が痩せてしぼんでしまっている。
 だが、その皺の刻まれ始めた大きな手に、隼人は自分のナイフを渡した。
「見届けて下せえよ、坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめろっつっただろ」
 隼人がカテーナに戻ってきて、早、半年。
 ルチアーノは、一番最初の夜に、何故今頃戻ってきたのだと問うて以来、殆ど隼人とは口を利こうとしなかった。
 だが、時折向けられる視線で、懐かしさと悲しさ、悔しさが入り混じった彼の思いは伝わっていたから、隼人も何も言わなかった。
 言える言葉などなかったのだ。
 十五年前のあの日、自分は家を出るしか考えられなかったし、ボンゴレに脅迫されなければ、決してこの町に戻って来などしなかった。
 そこに選択の余地などなかったが、それは隼人の言い分で、ルチアーノの言い分は、また別にある。
 両者の間に歩み寄りの余地はなく、お互い、相手の言いたいことは分かる。けれど、という状態のまま、時間だけが過ぎた。彼との関係に限っていえば、そういう六ヶ月だったのだ。
 もちろん、隼人を許容しなかったのはルチアーノ一人ではない。カテーナの町には、そういう男たちが他にも何人もいた。
 その男たちが、今、隼人のナイフを受け取ろうと待っている。
 その様子を、隼人はただ黙って見つめた。



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