I am. 13

 隼人が覚えているのは十五年前の、まだ十一歳の少女だった姉の姿だ。
 裏社会の情報で、彼女が自分と同じく家を出て、フリーの殺し屋になったことは知っていたが、成長後の顔写真を見る機会はなかった。
 今、目の前にいる彼女には、確かに幼かった頃の面影がほのかに残っている。
 だが、くっきりとした目鼻立ちを際立たせる流行最先端の化粧といい、グラマラスな体型といい、小さくて可愛らしい蝶が、極彩色の孔雀に変身したようなものである。隼人の度肝を抜くには十分だった。
「随分と大きくなったわね。昔は私より小さかったのに」
 正面まで来ると、彼女の身長は獄寺の肩までしかなかった。
 女性としては低い方ではないが、しかし、美人の条件が背の高いことであるこの国では、少しだけ物足りないかもしれない。
 そして、自分よりも背の低い姉を、隼人は言葉もなく見下ろした。
 昔とは完全に目線が逆転している。この町の他の住人だって当然そうだったのだが、それについては、これほどの衝撃は受けなかった。
 身内との──家族との再会というのは、これほどのインパクトをもたらすものなのだろうか。
 それとも、こんな衝撃を感じているのは自分だけなのか。
 少なくともビアンキの表情からは、隼人が感じているような戸惑いも衝撃も読み取れない。
 彼女は、かつての彼女からは見たこともない複雑な感情を覗かせた、大人の女性の微笑を浮かべている。
「なんで……」
 どうして突然現れたのか、という疑問を込めた問いかけに、ビアンキは小さく首を動かした。長い髪がさらりと肩を流れ落ちる。
「リボーンが連れてきてくれたのよ。正確には、私のおねだりを彼が聞いてくれたんだけど」
「リボーン……さん、が」
「ええ。クリスマスのプレゼントに何が欲しいって聞かれたから、あなたに会いたいって言ったの。今も、外の車の中で待っててくれるわ」
「……ここに来てるってのか?」
「大丈夫よ、そんな顔しないで。ドン・ボンゴレの指示がない限り、あの人はあなたに向かって引金は引かないわ」
 隼人の顔に浮かんだ苦いものを読み取ったのだろう。ビアンキは微笑む。
 そして、隼人から目線を逸らして、隼人の肩越しに窓を見つめた。
 外は宵闇に沈み、室内に明かりがついているために、ビアンキの立ち位置からでは外の風景は殆ど見えないはずである。
 だが、その表情からは笑みが消え、代わりに裏社会で生きる人間特有の硬く、冷たい表情が浮かび上がった。
 そして、その表情のまま、ビアンキは口を開いた。
「最初聞いた時は信じられなかったわ。どうして戻ってきたの、隼人。こんな町に」
 少しばかり変わった口調にも、むしろ責めるような響きがあった。
 その響きに、この姉もこの町を捨てたのだと隼人は思い出しながら、苦く答える。
「好きで戻ってきたんじゃねーよ。どうせ経緯は聞いてんだろ」
「聞いたから言ってるのよ。どうなったっていいじゃないの、ジェンツィアーナも、この町も」
 思わず隼人は、姉の顔を見直す。
 だが、彼女の表情は本気だった。冷たく、硬く、瞳は冬空の星のようにきらめいている。
 その瞳で隼人を見据え、言った。
「私だったら絶対に引き受けなかったわ。絶対にこの町には戻らなかった。あなたが今ここに居なかったら、一生、この町にも足を踏み入れなかったわ」
「……なんで」
 甘い響きにもかかわらず、この上なく冷たい声に圧倒されるように、隼人は問い返す。
 まさか自分以外の人間から、自分以上のこの町に対する憎しみを聞かされるとは思いもよらなかった。しかも、その相手は実の姉なのだ。
「なんで、そんなに憎んでるんだ。あんただって大事にされてただろう。俺と同じくらいに……あんただって、『御館様のお嬢様』だったんだから」
 ましてや彼女は正妻の娘だった。隼人の出生事情を知っていた人間は、彼女の方をこそ尊重していたはずである。
 しかし、彼女は自分のファミリーもこの町も滅んでしまえば良かったと言っている。自分なら、この町を決して救わなかったと。
「簡単よ。お父様は私の大切なものを守ってくれなかった。だから、私もお父様が大事にしていたものなんて、絶対に守らないわ。
 隼人、むしろ私は、あなたの気持ちの方が分からないわ。お父様のせいでお母様を亡くしたのは、あなただって一緒なのに」
 お母様、という単語に隼人は反応せずにはいられなかった。
 ビアンキの言う母親とは、父親の正妻のことだ。隼人も八歳のクリスマスまで、実の母親だと信じていた女性。
 彼女もまた、十年ほど前に亡くなった。
 病死だったはずだが、そこには何らかの事情があったのだろうか。
 ビアンキが、これほどまで父親に対して憎しみを募らせるほどの何かが。
 見つめる隼人の前で、ビアンキは苛立たしげに頬に落ちかかる髪を後ろに払った。
「私のお母様が、病気で亡くなったことは知っているかしら?」
「……ああ」
「そう、なら話は早いわね。病気でお倒れになった後、お母様はずっとお父様を呼んでいたのよ。でも、お父様は一度もお見舞いに来て下さらなかった。新しい愛人に、また夢中になっていたの」
 いかにもありそうな話だと思った。
 父親の周辺に常に正妻以外の女の影があったことは、子供だった隼人も気付いていた。
 実の母親も、そのうちの一人に過ぎなかったからこそ、父親への憎しみが深さを増したことは否めない。
 父親が男として、せめて誠実に愛人に情をかけていれば、母親があんな死に方をすることはなかっただろう。
 だが、ビアンキの母親は正妻だった。
 正式に妻という立場にあるからこそ、不実な夫に対する愛憎も殊更に深かったのではないだろうか。
 そして、そんな父母を見つめていた娘──ビアンキの愛憎も、また。
 ふと浮かんだ、そんな思いを肯定するかのようにビアンキは言葉を続けた。
「病室のドアがノックされる度に、お母様は期待に目を輝かせて、お父様ではない人の姿を見る度に落胆して……。日に日に、生きようという気力が薄らいでゆくのが傍で見ていて分かったわ。
 私はお母様の傍にいたのに、何もできなかった。何度も何度も、お父様や秘書に電話を入れて、メッセージを書いたけれど、全て無駄だったのよ」
 心の痛みに耐えかねるように、ビアンキは右手を顔に押し当てる。
「最後の最後まで、お母様はお父様を呼んでいたわ。一番最後に呟かれた名前も……私の名前じゃなかった……」
 うつむいたビアンキの肩がかすかに震えるのを、隼人は声もなく見つめた。
 言われてみれば、遠い記憶の中にほのかに引っかかるものもある。
 まだあの城で家族と共に暮らしていた頃、義母は隼人に対しては全く愛情を示さなかったが、ビアンキを猫可愛がりしていたわけでもなかった。
 彼女はいつも、夫だけを見つめていた。
 家に居付かず、夜遊びが好きだった夫の帰宅を常に待ち、振り返ってくれるのを待つかのように、ひたすらに夫の後姿を見つめていた。
 美しい人だったとは思う。だが、今思い返しても、まだ三十を過ぎたばかりだっただろう彼女には明るさや潤いといったものがなく、まるで立ち枯れた薔薇の花のようだった。
 今なら分かる。あれは夫から愛情を注いでもらえず、しおれて枯れゆこうとしていた女性の姿だ。
 そして、そんな彼女の傍にビアンキは、いつも居た。
 父親を見つめる母親の横顔を、そっと見つめていた。
 彼女こそが、父親を見つめる母親と同じ瞳をして。
 でもビアンキは、母親は恨まない。
 母親が自分を見てくれる余裕を持たなかったのは、父親が母親を見なかったからだと信じているからこそ──あるいは、信じたいからこそ、全ての恨みと憎しみは父親へと向かう。
 そして、その感情は、父親が死んだ今も薄らがないのだ。
 かける言葉も見当たらず、隼人はただその場に立ち尽くす。
 だが、ビアンキは弟をいつまでも困惑の中に立たせてはおかなかった。
 気を取り直すように顔を上げ、髪を背中側に払う。そして、隼人を見上げた。



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