I am. 12

 ルッジェーロ・ジェンツィアーナは、カテーナの町の支配者の息子であり、将来、父親の地位を引き継ぐことを約束された存在だった。
 だが、十五年前に父親に反抗して家を出た時から、その少年は何者でもなくなった。
 父親に与えられた名ではなく、獄寺隼人と名乗るようになったのは、家を出てから一年余り後、母親の素性を辿っていった先で、彼女の友人だったという女性から、
 「エリカは、遠い親戚に引き取られた息子を『隼人』と呼んでいた」、
 と教えられたのがきっかけだが、では、『獄寺隼人』は何者か、と問われたならば、やはり空っぽの存在だった。
 野良犬のようにあちらこちらの町を彷徨いながら、家にいた頃に教えられた爆発物に関する知識を駆使して荒稼ぎをするうち、裏社会で少しずつ名を知られるようになり、十歳を幾つか越える頃には『スモーキン・ボム』の仇名も得たが、その中身が空虚だったことは誰よりも隼人自身が知っている。
 どこにも帰属せず、行く場所も帰る場所もなく。
 ただ日々を生きてきた。あるいは、生き延びてきた。
 『獄寺隼人』は、それだけの存在だ。社会にとっても誰にとっても、何の価値もない。
 十代の少年の頃は、憎い父親を見返してやろう、いつか復讐してやろうとまだ多少ガツガツしていたが、そんな欲望も年月を経れば擦り切れる。
 今の隼人は、爆弾魔として都合のいいように使われ、いずれは、どこかで無様にのたれ死ぬか殺されるか。そんな程度の存在であり、それ以上になろうとは、もはや隼人自身が思っていなかった。
 だが、この町に戻ってきて、否応無しに自分の過去と向き合う羽目になって。
 今更ながらに、自分は何者なのか、という問いが時折思い浮かんでくるのだ。
 ルッジェーロ・ジェンツィアーナの名は捨てた。
 では、獄寺隼人とは何なのか。
 結局は同一の存在であり、父親と母親を亡くし、帰る家も失った、ただの迷子なのではないのか。
 それは実に腹立たしい、苦い結論だった。
 だが、それを覆すだけの反論も、隼人の中にはない。そのことが隼人をいっそうやりきれなくさせた。
「……くだらねぇ……」
 自分の存在も、生き方も。
 父親やこの町に対する負の感情にこだわること自体が、もはや何の意味ももたらさないと心のどこかで分かっているのに、そこから抜け出せない。
 ただ父親を憎み、その無様な死を夢見ていた頃は、それが自分の生きる意味だった。
 だが、夢見た通りに父親が己の愚かさから死んだ今は、自業自得だと思いつつも、本当にそれが自分の望みだったのかどうか分からなくなっている。
 本当は自分はどうしたかったのか。
 父親に何を望んでいたのか。
 そして、どんな自分になりたかったのか。
 いずれにせよ二十歳を幾つも過ぎて、今更考えるようなことではない。
 だが、この年齢になって、はじめて考えられることなのかもしれないという思いも、かすかに脳裏を過ぎる。
 ともあれ、出口のない迷宮の中でただ一つ分かるのは、その答えを見つけ出さない限り、自分は何者にもなれないということだった。
 ルッジェーロだろうが隼人だろうが、今の自分は、空っぽの存在意義のないモノでしかない。
 そんなことは以前から分かっており、それでいいと思っていたのに、この町で日々を過ごすうちに少しずつ自分の中の何かが変わり始めている。
 否、もしかしたら、それは本当は変化ではなく、本質への回帰であるのかもしれなかった。
 獄寺隼人であり、ルッジェーロ・ジェンツィアーナでもある一人の人間として。
 何をどう考え、どう生きるのか。
 今更ながら、それを問われているように感じる。世界に、あるいは自分自身に。
「───…」
 堂々巡りのようになった思考に少し疲れて、隼人は窓際から離れる。
 そして短くなった煙草を消そうと、卓上の灰皿に手を伸ばした時、控えめなノックが響いた。
 続いて、ドア越しに中年女性の声が。

「お客様です。お通ししてもよろしいでしょうか?」

 客?、と隼人は眉をしかめる。
 クリスマス・イヴの夜にわざわざ訪ねてくる客などロクなものではないだろう。家族持ちなら、まず間違いなく自宅に居る日であり時刻である。
 しかも、いつものように朗らかなミランダの声に、わずかながら戸惑いが含まれているのも聞き取れた。
 だが、帰らせろ、と言うには、今の隼人は少々自分の立場や責任に縛られ過ぎており、溜息混じりに「通してくれ」と答えるしかなかった。
 よりによって今、訪ねてくるのだ。よほどに都合が悪いことが起きたのか、聖誕祭の加護を借りたいのか、いずれにせよ差し迫った事情があるのだろう。
 それを無碍にすることは、今の立場では許されない。
 諦めと共に返事した一秒後。
 ミランダとは全く違う、遠慮のない動きでドアが大きく開け放たれた。
 誰だ、と瞬間的に眉をひそめる。
 すらりとした若い女だった。
 赤みを帯びたストロベリーブロンドの髪を長くなびかせ、艶やかな黒革と白のファーを基調にした、田舎町ではまず見かけることのない派手な服装が、めりはりの利いた体型に良く似合っている。
 堂々と顔を上げ、まっすぐにこちらを見据える長い睫毛に縁取られた瞳の色は──銀。
 その瞳を見た瞬間に、隼人の中で一つの名前が閃いた。
「ビ…アンキ……?」
 呟いた名前に、女は微笑む。ひどく嬉しげに。
「ええ、そうよ。久しぶりね、ルッジェーロ。いいえ、今は隼人と呼ぶ方がいいのかしら」
 答えながら、ゆっくりと彼女は歩み寄ってくる。
 床は厚めの絨毯が引かれているために、ロングブーツのピンヒールの音は響かない。
 だが、その自分より年上の女の外見を、隼人はやや呆然と見つめた。



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