I am. 11

 十二月に入り、年の瀬が近づくに連れて、町の人々の態度が微妙になってくるのを、隼人は少しばかりの困惑を混ぜた気分で感じ取っていた。
 理由など考えるまでも無い。この町の住人は、ほぼ全員、隼人の母親がクリスマスに死亡したことを知っている。
 それも、ただの死に方ではなく、不幸にして限りなく痛ましい死だったことを。
 それを知っているから、誰もが隼人に対して口数が少なくなり、さりげなくクリスマスの話題を避ける。
 町の家々にはクリスマスリースやツリーが飾られ、子供たちがこづかい稼ぎに近くの森からヤドリギの枝を手折って花屋に届けているにもかかわらず。
 俺の事情には構うな、と幾度か言葉にして言ったものの、純朴な田舎の人々は、若い顔役──望むと望まずとに関わらず、隼人の立場はそういうことになっている──に対する敬意と哀れみを込めて、隼人の前だけではクリスマスを心待ちにする態度を顕わにしようとはしなかった。
 それでも、カテーナの町は日を追うごとに赤や緑、金色で飾り付けられてゆき、子供たちはもちろん、大人たちの表情もいつになく明るく華やいできている。
 それでいいのだ、と隼人は思っていた。
 隼人自身は、洗礼は受けているものの心理的には無神論者であり、聖誕祭などどうでもいいと考えている。
 ただ、母親の命日ということだけは十五年前から常に意識の底にあり、それを忘れたことはなかった。
 だが、それを覚えているのは自分だけで良いのだ。
 この町の住人までもが、亡きドンの愛人の死を思い出して暗くなる必要などない。
 そう思うからこそ、日毎にホテルの窓から見える古い町並みが精一杯華やかに彩られてゆくのを、静かなまなざしで見つめていた。




 クリスマス・イヴは、底冷えのする一日となった。
 どんよりと重苦しい雲が上空を多い、氷雨は朝のうちに上がったものの、エトナ山からの冷たい季節風が町を吹き抜ける。
 それでも人々は晴れ着を着て教会のミサに出かけてゆき、その後は家族でクリスマスの晩餐を楽しむ。
 そんな昔から変わらない田舎町のクリスマス・イヴの風景を、隼人はやはりホテルの窓から眺めていた。
 ミサに行く気はなかったし、クリスマスを共に過ごす家族も無い。カソリックにとっては最大のイベントではあっても、全て隼人には無縁だった。
 ただ、それでもホテルのオーナー夫妻が招待してくれた晩餐には、少しだけ考えた後に同席すると伝えてあった。
 彼ら二人は、おそらくこの町で一番、隼人の母親に近しかった相手であり、また最も彼女の死を悼んでくれた二人だっただろうから、今夜という時を共に過ごすことに抵抗は無かった。
 だが、今はまだ日が暮れたばかりで、晩餐まではいささかの時間がある。
 他にすることも無し、と隼人は午前と午後に引き続き、書類の相手をしていた。
 クリスマス・イヴとクリスマス当日は役所も休みであり、当然、新しい書類も陳情も届かない。
 逆に言えば、重要度が低いため後回しにしてあった書類に目を通すには絶好の二日間でもあった。
 今はまだ、ありとあらゆる陳情が市長宛にではなく、隼人宛に届く。
 ボンゴレに資金支援を仰がなければならない問題、町だけでどうにかできる問題、町の今後をどうするかを提案する投書……。
 だが、それも春が来るまでのことだ。春になれば、隼人のカテーナでの役割は終わる。その後、この町に留まり続けるという考えは、隼人の中にはなかった。
 自分が居なくなった後のことも、そろそろ考えておかねばならないな、と書類に決裁のサインを入れながら物思いにふける。
 残り三ヶ月もあれば、この町の将来に向けて、ある程度の道筋をつけることは出来る。
 あとは、それを推進してゆけるだけの人材と組織を育てなければならない。
 無論、実際にその組織がまともに機能するには三年くらいは熟成時間が必要になるだろうが、ひとまずの人選だけは済ませておくのが隼人の果たすべき責任だった。
 そこまでしておけば、自分は本当にこの町を立ち去れる。全て過去のことにしてしまえるのだ。
「───…」
 そう考えて、隼人は溜息と共に万年筆を置いた。
 三ヶ月前にボンゴレの脅しに屈する形でこの町に戻って以来、隼人はこの町のために働き続けている。
 この町に戻って来たくはなかった。それは本当のことだ。現に、今も毎日、少しだけ息苦しい。
 事あるごとに父親の顔がちらつき、一目見たきりの母親の死に顔が脳裏を横切る。
 だが、それでも父親が君臨していたこの町を守るために働いている。
 だから最近は、少しだけ自分の心が分からなくなりつつあった。
 父親を憎んでいた。それは本当だ。
 しかし、この町を──この町の人々までをも憎んでいたのかどうか。
 答えは───。
「NOだよな……」
 この期に及んで、この町などどうにでもなればいいと嘯(うそぶ)けるほど、もう青くはない。
 だが、この町にずっといたいかと問われれば、その答えもまたNOだった。
 この町にいると、嫌でも両親のことを考えてしまう。
 幸薄く死んだ母親のことを……十五年前のイヴの夜、自分があの大広間のバルコニーに顔を出していれば、彼女が死なずにすんだのではないかということを。
 そして、そんな状況に彼女を追いやった父親のことを。
 いずれにせよ、隼人が両親のことを考える時に感じるのは、やり場のない怒りと憎しみと悲しみ、そして悔恨ばかりだった。
 そんなことを毎日考えていたら、それこそ自分の神経が参ってしまう。
 ボンゴレに与えられた半年という期限がこの町でまともに過ごせるぎりぎりの日数であり、それを超えたら鬱を病むのはまず間違いなかった。
 だが、三ヵ月後にこの町を立ち去ったら、もう二度と戻らない、と断言できるかと言うと、それも微妙だった。
 この町には、母親の墓がある。
 彼女の最期を今でも悼んでくれる人々がいる。
 だから年に一度くらい、そう、クリスマス・イヴくらいには戻ってきても良いのではないかと、そんな考えが最近は思い浮かぶようになっていた。
 戻ってきたところで、苦しさはその度ごとに蘇ってくるだろうし、死に顔しか知らない母親の墓の前に何度立っても、かけるべき言葉など思いつかないだろう。
 つまりは、この町に戻ってきたところで良いことなど一つもない。
 そうと分かっているのに、戻ってきても良いのでは、あるいは戻るべきなのではないかと思い始めている自分の心の動きが隼人には不可解だった。
「らしくねーな……」
 溜息混じりに呟き、立ち上がって窓の外を眺める。
 冬の宵は深さを増し、重苦しく雲に覆われた空の下、クリスマスの街明かりは星の光の代わりにきらきらと輝いている。
 おそらく今頃は、どの家庭でもクリスマスのご馳走と、とっておきのワインに頬をほころばせ、プレゼントに目を輝かせているのだろう。
 家を出てから十五年もの間、無縁だったそれらの光景は、今夜もまた自分からはこんなにも遠い。
 この町に戻ってくるまではそんなことは気にも留めなかったのに、こんな物思いが浮かぶのは感傷的になっている証拠に違いなかった。
 この町はとかく、隼人に色々なことを思い出させ、考えさせる。
 それはこの町を出たところで、振り切れるようなものではないと──結局のところは自分の内側に根ざしているものだということくらいは隼人にも分かっていたから、いっそうやりきれない。
「ルッジェーロ・ジェンツィアーナ、か」
 捨てたはずの名を苦く呟き、隼人は新しい煙草に火をつける。
 そして一口吸って、静かに紫煙を吐き出した。



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