I am. 10

 誰かが近づいてくる気配はなかった、のに、数メートルの距離を彼はゆっくりと歩み寄ってくる。
 そして、隼人を見上げ、小さく微笑んだ。
「驚かせてごめんね。プレドーネまで来たものだから、ついでに寄ってみたんだ」
「……ドン・ボンゴレ……」
「沢田綱吉でいいよ。君は俺の部下じゃない」
 呆然と呼んだ隼人にそんな風に返して、綱吉は小さな墓を見下ろした。
「綺麗なお墓だね」
「──でも、こんな場所です」
「……綺麗な場所だと俺は思うけど。木々の間から村が見えて、ちょっと前までは向こうにお城が見えてて、初夏になったらジャカランダの花が降り注ぐ。ここに埋葬してあげたいと言った人は、きっと優しい人だよ」
 それは、あのホテルのオーナーだ、と隼人は苦く噛み締める。
 町の人間ではないから共同墓地には埋葬できないと言い張った父親に、せめて町外れのこの場所に埋葬できるよう懸命に嘆願してくれた。
 それがなかったら、彼女の遺体はエトナ山の山中にでも密かに埋められていただろう。それくらいのことは平気でする父親だった。
「……ご存知なんですね、全部」
「……うん。ごめんね。調べないわけにいかなかったから」
「いいえ……」
 責めるでもなく言った隼人の言葉に、だが、綱吉は諦めにも似た微笑を浮かべて詫びる。
 何故だろう、と隼人は思った。
 彼は権力者だ。絶大な力を持ったものが横暴に振る舞ったとて、誰も咎めることなどできない。しかし、彼はそうしない。
 前回初めて会った時は、隼人に対して隠し持っている牙を見せたが、それもカテーナの町を自滅させないためだった。決して単なる横暴ではない。
 よく分からない人だ、と初めて隼人は彼をきちんと見つめた。
 すると、綺麗に澄んだ瑪瑙の瞳が隼人を見上げる。
 身長差は十センチ程度だろうか。隼人の身長が並よりも高いだけで、彼も決して背は低くない。
 やや細身だが全身のバランスが良いせいか、仕立ての良い薄手のコートを羽織り、薄手のマフラーを肩にかけた立ち姿はとても綺麗に見えた。
「黙っているのはフェアじゃないから、言うけれど。君の情報の情報のうち、子供の頃についての大半は、君のお姉さんから聞いたんだ」
「──姉、貴……!?」
 思ってもみない告白に、隼人は目を見開く。
 姉、というのは、父親とその妻だった女性の娘であり、隼人にとっては異母姉に当たる。今となっては彼女が、隼人の戸籍上の唯一の家族だった。
 だが、十五年前に家を出てからは一度も連絡を取ったことがないし、彼女も彼女の母親が死んだ後、家を出て自分と同じくフリーの仕事人になったというのも、裏社会の情報を通じて知っただけである。
 彼女もまた、自分と似たような理由で父親を憎んでいることは分かっていたから、今回の件にしても彼女を思い出さなかったわけではないものの、居場所を調べるどころか、連絡を取ろうとさえこれっぽっちも思わなかった。
 まさか、ボンゴレが彼女に通じているとは思わなかったが、ボンゴレの情報網があれば、それも当然だろうと納得する。
 しかし、それだけでは話はすまなかった。
「そう、ビアンキ。彼女も変な縁で知り合って……、俺の口から聞くのはあんまり気分が良くないかもと思うけど、彼女は今、リボーンと一緒に居るんだ」
「はあ……?」
 リボーン、というとあの男だろう。ボンゴレの使いとして隼人を呼び出しに来た、尋常ではない殺気を持つ男。
 あの後調べて、彼こそが裏社会で最強の名をほしいままにする殺し屋と同一人物だと分かった時は、本気で寿命が縮む気がした。
 よりによって、そんな男と姉が。隼人は瞬間、本気で混乱する。
 と、そんな隼人の表情を読み取ったのだろう。綱吉は苦笑した。
「リボーンは口が悪いし正直じゃないからビアンキを愛人4号とか言ってるけど、俺が知る限りは本当に恋人同士だよ。
 もっとも、リボーンは仕事には彼女を連れて行かないから、今はビアンキは、リボーンが持ってるどこかの高級リゾート地の隠れ家でのんびりしてると思うけど」
 そんな情報を与えられても、そうですか、としか言いようがない。
 ひょっとしたら困惑して途方に暮れた目を向けてしまっていたのか、隼人の目を見上げて綱吉は、またかすかに微笑む。
 今度の微笑みは、先程までとは違い、ひどく寂しげだった。
「リボーンの今の仕事はね、隼人。この町の監査だよ」
 隼人、と日本語で呼ばれた響きに一瞬気を取られて、言葉の意味を理解するのが遅れる。
 カテーナの町の監査。
 それは、つまり。
「──俺の監視役って事ですか」
 そう言った自分の目つきに険悪さが戻るのを感じる。
 その変化を見つめたまま、綱吉はかすかな微笑を消さなかった。
 まるで、そんな反応など予想していたとでも言うように、静かに続ける。
「そう。この一ヶ月間は、リボーンはプレドーネを拠点にして、ずっと君とこの町の動きをチェックしてた。
 とりあえず立て直しは軌道に乗ったから、もう張り付いてる必要はなくなってホテルも引き払ったけど、これからも期限までは時々様子を見に来るはずだよ」
「この一ヶ月、俺はずっとあの人にライフルの銃口を向けられていたって事ですか」
「その通りだよ」
 隼人が口にした苦い確認にさえも、綱吉ははっきりとうなずいた。
「君が失敗したら、リボーンははっきりボンゴレの仕業だと分かる形で君を殺すことになってる。もちろん最後の判断をするのは、あいつじゃなくて俺だけど。
 いずれにせよ、ドン・カルロに続いて君まで殺されたら、ジェンツィアーナはもう暴発するしかない。……自動的に粛清の舞台が整うことになる」
 最悪だ、と思った。
 えげつないにも程がある。そして合理的なのにも。
 彼の言う通り、隼人まで殺されたら、もう住人たちは止まれない。憎しみに駆られて、そのまま地獄の底まで駆け下るだろう。
 そしてカテーナは灰燼と化し、町一つが消えたことは新聞の片隅にさえ載らない。
 だが、これは大ボンゴレに刃向かってしまった以上、どうにもならないことなのかもしれなかった。
 他のファミリーとの抗争だったなら、最初の時点でもっと住人たちにまで犠牲が及んでいただろう。
 そうはせず、隼人を探し出して町の立て直しを命じたのは、ボンゴレの温情だ。
 頭ではそうと分かっていても、苦い怒りが込み上げてくるのを抑えられない。
 だからといってこの場で暴発するわけにもいかず、ギリ、と奥歯を噛み締めた時。
「ごめんね。……ボンゴレも俺も、こういうやり方しか採れない」
 静かに綱吉が告げた。
 地面を睨みつけていた目を上げると、自分と歳の変わらぬ青年の静かな微笑が映った。
 悲しい、ほろ苦い、寂しい、諦めのにじんだ笑み。
 だが、隼人と目が合うと、ふっと微笑が優しく深くなる。
 それはまるで、ドン・ボンゴレでも何でもなく、ただの気の優しい青年のような淡い笑みだった。
 しかし、その笑みさえもキャンドルの小さな灯火が消えるように自嘲めいた色を刷いて薄れ、そして彼は、気を取り直すように周囲へと目を向けた。
「ちょっと冷えてきたね。この辺りは雪が降るんだよね?」
「──はい。少し積もって溶ける。それを繰り返しているうちに春になります」
「そう。じゃあ、次に君に会うのは雪がアーモンドの花に変わる頃かな。この辺はパレルモより春が遅そうだし」
 そう言い、綱吉は首に掛けていたマフラーをするりと外す。
 そして、ごく自然な動作で隼人の首に緩く巻くように掛けた。
「風邪を引かないように気をつけて、頑張って。リボーンに引金を引くよう命令を出す俺が言うことじゃないけれど、俺は君をボンゴレの勝手な都合で死なせたくない。そう思ってるのは本当だから」
 それじゃあ、と踵(きびす)を返す。
「あっちに車を待たせてるから。五ヶ月後にまた会おう」
 そしてゆっくりと、コートの裾を秋の夕風に小さくはためかせながら歩き去ってゆく。
 その後姿を獄寺は呆然と見送った。
 綺麗に背筋の伸びた後姿が木立の向こうに消えてから、やっと首筋から胸元に垂れかかるマフラーに手を触れる。
 艶やかで品のいい光沢から一目で極上のカシミアと知れたそれは綺麗なシャンパンゴールドで、彼の瞳にも髪にもとても良く似合っていた。そして、元の持ち主の体温を映してふわりと温かい。
「……マフラーくらい、持ってるっての……」
 思わず憎まれ口のようなそんな台詞が、口から零れ落ちる。
 そしてもう一度、彼が立ち去った方角を見つめ、やがて秋風の冷たさを思い出して、隼人は母親の墓に「また来る」と小さく呟き、町に向かって歩き出した。

*     *

「お前も、お節介なのかお人よしなのか、単なる馬鹿なのか……」
「うるさいよ、リボーン」
「ったく、似合いの馬鹿コンビだとは思ってたが。あの手の馬鹿が気になるのはお前の趣味の悪さの証明だが、あんまり入れ込むんじゃねえぞ、ツナ」
「別に入れ込んでないよ」
「どうだか。普段のお前は、もう少しあっさり対処してるぞ。俺が定期報告してるヤマで、わざわざ途中で様子を見に行くような真似、これまでしたことあったか?」
「プレドーネまで来たのに、あとほんの十キロ、余分に車を走らせることの何が悪いんだよ」
「ひとまずどうにかなってるヤマだぞ。お前が顔を出す必要何ざどこにもねえ。あんな馬鹿一匹のためじゃ、ガソリン代が勿体ねーだろうが」
「勿体無くないだろ、全然。彼と話せて俺は良かったよ」
「いらん種明かしをしてか。黙って泳がせときゃいいんだ、ああいうタイプは」
「状況を分かってた方が、彼は力を発揮するタイプだよ。こちらの策を知った以上、彼はもう一歩も踏み間違えられない。これから五ヶ月、きっと必死にやるよ」
「俺は、あいつは必死になったら返って空回ってこけるタイプだと思うがな。……もう一度釘差しとくが、ツナ、お前はあいつの親の仇だぞ。色んな意味で諸悪の根源だ」
「……分かってるよ、それくらい。どんなに憎んでたって、親は親だろうし」
「本当に分かってんだろうな」
「分かってるってば。お前もいい加減にやめろよ、そういうの。もう俺の家庭教師じゃないんだし」
「てめーがダメツナだから、俺も昔に戻って教師面したくなっちまうんだろうが。こんな条項、今の契約書のどこ見たって入ってねーぞ。──よし、追加料金よこせ」
「……はあ?」
「俺は只働きはしない主義なんだ。そうだな、教育時間十分につき五千ユーロってとこだな。今の会話は……およそ十五分か。帰ったらすぐに七千五百ユーロを振り込め。小切手でもいいぞ」
「──ちょっと待てよ! どうしてそういう話になるんだよ!?」
「どうしても何も、正しい報酬のあるべき姿だろうが」
「どこがだよ! お前ががめついだけじゃないか!」
「ほー。この俺に向かって、そんな口を利くか。なるほどなるほど。偉くなったもんだなあ、ツナ」
「〜〜〜脅したって、払わねーよ! それこそ無駄金だろ!」
「まあ、じっくり話そうじゃねーか。幸い、パレルモまではあと四時間以上かかるしな」
「ヤだったらヤだ! そんなの絶対に払わないからな!!」



NEXT >>
<< PREV
<< BACK