I am. 04

 カテーナは小さな盆地一つを丸々含む、ほどほどの大きさの地方の都市だった。
 人口は五万人を超える程度。アーモンドが少々取れる以外は取り立てて特産物があるわけでもない、どこにでもあるような町である。
 隼人は、敢えて二ヶ月前に通った峠越えの道ではなく、山地を大きく迂回する州道を通ってカテーナの町へと入った。
 本土からメッシーナ海峡を渡ってカテーナに辿り着くには、こちらの方が二時間以上も余分にかかる。だが、このルートからならば、山側にある城の焼け跡は見えない。
 意地なのか、意気地のなさなのか、自分でも判然とはしなかったが、だがその理由のために隼人は敢えて、二時間半の余計なドライブを選んだ。
 そして辿り着いた、十五年ぶりのカテーナは何も変わっていなかった。
 南部は北部とは違う。十五年経っても田舎町にビルなど建たないし、小さな駅が新しく改修されることもない。
 だから、隼人の記憶にあるよりも十五年分、町の建物や道路は古さを増し、そして身長が伸びた分、町は小さくなっていた。
 こんな小さな町でも一応は昔の街道に沿っており、戦後しばらくまではそこそこの大きさの市場が開かれていたことから、ホテルの二つ三つは今でも営業している。
 そのうちの一軒、記憶にある限りは一番マシなホテルに、隼人は一週間の予定で宿泊の予約を入れてあった。
 無論、自分の役割が一週間で終わるとは、全く思っていない。
 ただ、観光地でもない田舎町のホテルに怪しまれず予約を入れるには、とりあえず一週間が限度だろうと見越しただけである。
 隼人自身が町に姿を現せば、おのずと正体は知れる。宿泊を延長するのはそれからでも十分だった。

 記憶にある通りの道をたどって、町の中心の広場と教会を横目に見ながらゆっくりと車を走らせ、申し訳程度の大きさのホテルの駐車場に車を停める。
 小回りが利くことを重視して今回選んだ小型の真紅のアルファロメオは、薄茶色の石壁で囲まれた空間に行儀よく収まり、イモビライザーがきちんと作動したことを確認してから、隼人は車の傍を離れた。
 これが本土の都市であれば、ピカピカの新車には見張りくらい立たせておかなければならないところだが、こんな田舎町ではそこまでの気を使う必要もない。
 帰って来てしまったのだと改めて思いながら、隼人はホテル玄関の階段を上がり、ホワイエへ足を踏み入れた。
 小さなホテルだが、綺麗好きなオーナーと花の好きなオーナー夫人のおかげで、古い建物はぴかぴかに磨かれ、至る所に花が飾られている。その記憶は今でも間違っていなかった。
 石造りの床に革靴の足音を響かせながら、今は人の姿が見えないフロントに向かう。
 そして、カウンターにあった錫製のベルを手に取り、鳴らすと、ややあって奥から人が出てきた。
「はい、ただいま……」
 中年を過ぎた恰幅のいい夫人が、いそいそとカウンターに入り、隼人を見上げて───。
「予約を入れた獄寺だが……」
 大きく見開かれたハシバミ色の目を見つめながら、低く名乗る。
 その隼人のまなざしの前で、夫人はゆるゆると両手を上げて震えるそれを口元に当てた。

「……坊ちゃま……」

 そう呼ぶ彼女のことを、獄寺は覚えていた。
 十五年前は今よりももう少しスリムで、だがいつも朗らかに笑いながら花の世話をしていた。焼き立ての甘いクッキーを渡してくれるのも常だった。
「本当に……。御予約のお名前を伺った時から、きっとと思っていたんです。この町においでになる獄寺様とおっしゃったら、エリカ様の御縁者の方に違いないと……。ああ、でも本当に……っ」
 夫人のハシバミ色の瞳が、見る見る間に潤む。
 それに対しどんな表情を向ければよいのか分からないまま、隼人はかすかに笑んで見せた。
「とりあえずチェックインだけしてくれないか。話はそれからでも、幾らでもできる」
「あ、はい。はい……!」
 我に返ったらしい彼女は慌てて宿泊票を取り出し、次いで、カウンターの呼び出しベルをせわしなく鳴らす。
「こちらに御記入をお願いします。一週間のお泊りでよろしかったでしょうか……?」
 確認する語尾に、通常ならないはずの不安、あるいは戸惑いが潜んでいるのは、当然のことかもしれなかった。
 彼女にとって隼人は、単なる宿泊客ではない。というよりも、宿泊客であって欲しくないのだ。
 滞在する、ではなく、帰還した、であって欲しいのに違いない。
 だが、隼人はまだ、それに対して明確な答えを返すことができなかった。
 隼人の内では、今回のことは滞在と帰還のどちらでもない。そのいずれであるか、判断をつけかねているというのが正直なところである。
 また、これが帰還だとしても、今の自分が町の住人に受け入れられるかどうかという大きな問題もある。
 だから、
「とりあえずは一週間だ。場合によっては延長する」
 曖昧な言い方で宿泊票を記入し、彼女に返した。
 それと同時に、先程のベルの音を聞きつけてだろう、奥から更に人が出てくる。
「これはお客様、どうぞいらっしゃいませ」
 夫人と同じくらいに恰幅の良い壮年の男。丸くつやつやした顔もまた、見覚えのあるものだった。
 朝・昼・夕方と、一日三回、ホテルの前を綺麗に清掃していた丸い後姿。いつも聞こえていた楽しげなハミング。
 頭髪はてっぺんが記憶にあるよりもかなりつるりとしつつあったが、それは無理からぬことだろう。十五年も経っているのだ。
「あんた! 何ぼんやりしてるんだい! 坊ちゃまだよ。ルッジェーロ様がお戻りになったんだ!」
 夫人が小さな声で鋭く叱責する。だが、それに反応するよりも早く、隼人の容姿に主人は目を丸くしていた。
 隼人のこの国では少々珍しい銀の髪は母親譲り、銀を帯びた深緑の瞳は父親譲りだ。
 加えて面差しも、総体的に母親似ではあるが、父親にも似通ったところがある。抜きん出た長身とスレンダーな体型も父親似だ。
 そんな外見をしている以上、両親を見知っている者にはすぐに正体が分かるに違いなかった。
「本当に……坊ちゃまですか。なんと御立派になられて……」
 主人の目はさすがに潤まない。が、肉付きの良い大きな手がふるふると震え始める。
 笑えばいいのか詫びればいいのか、何とも言えない気分で隼人は微妙な笑みを口元に浮かべた。
「すまないが、坊ちゃまは勘弁してくれないか。俺ももういい歳だし……それに、ルッジェーロもやめてもらえるとありがたい」
 そう告げると、主人夫妻は戸惑った顔になり、だが、すぐに納得の表情を見せた。
 彼らは隼人のことをよく知っている。
 少なくとも、城を出るまでの隼人のことは、良く知っているのだ。両親のことまで含めて。
「分かりました。では、隼人様。とりあえず、お部屋にご案内いたしましょう。何かご要望があれば、お伺いいたしますが……」
「そうだな。……一つ、頼みたいことがある」
 実直な目を向けてくる、いかにもこの町の男らしい主人に、隼人は真っ直ぐにまなざしを返した。
「この町の主だった連中を集めて欲しい。今夜八時、教会に。司祭にも教会を借りたいと伝えておいてくれないか」
 田舎町においては、今でも生活の中心となるのは教会だ。市役所の会議室も借りられるが、住人が寄り合いに使うのは昔から教会と決まっている。
 隼人の言葉に、主人は軽く目をみはり、だが、すぐにうなずいて了承を示した。
「分かりました。お部屋にご案内したら、すぐにわしが町を回りましょう」
「頼む」
 二人のやり取りを、夫人は黙って見ている。
 一時の喜びを通り過ぎた彼女が緊張を覚えているらしいことは、エプロンを掴んでいる手の様子から読み取れた。
「ミランダ、レオナルド。俺は遊びに来たわけでも、単に昔を懐かしみに来たわけでもない。俺にはしなければならないことがある。だから、ここに戻ってきた」
 静かに隼人は記憶の深い部分に残っていた二人の名前を呼び、告げた。
「これから俺がしようとしていることが、この町の人間にどう受け止められるかは、やってみないと分からない。お前たちには心配も迷惑もかけるかもしれない。だが……」
 だが、と自分でもどう続けようとしたのか分からなかった。
 しばらく黙って見ていて欲しいと頼もうとしたのか、自分なりに一度は捨てたこの町のことを考えようとしているのだと言おうとしたのか。
 いずれにしても言葉に出すには難しい。というより、これまで言葉にして言ったことのない内容であり、そのことが隼人の内に逡巡を生み、ミランダが言葉を挟む隙を与えた。
「いいんですよ、坊ちゃま!」
 坊ちゃまと呼ぶなと言ったのに、坊ちゃまと呼んで、彼女は一歩足を隼人に向かって踏み出す。
「分かってます。坊ちゃまがこのカテーナにお戻りになるのが、決して楽なことじゃなかったってことは。少なくとも、あたしと主人は分かってます。だから、いいんです。今は何もおっしゃらなくても。この町の男たちだって、きっとそのうちに分かります」
 真っ直ぐな、ハシバミ色の瞳。
 子供を守ろうとする母親のようなその瞳と、その言葉とで隼人は理解した。
 やはり、この町の男たちは、隼人のことを簡単に受け入れはしない。
 おそらく彼らは何度も、この町を治めるボスの息子のことを思い返したのだろう。
 愚かにもボンゴレとの抗争になだれ込み、追い詰められた時。
 ボスが命を絶ち、城が炎上した時。
 たった一人の跡取りの帰還を願う声は、最大音量に達したに違いない。
 だが、隼人は戻らなかった。
 全てが終わり、ジェンツィアーナ・ファミリーが形骸を失って、大ボンゴレに飲み込まれてしまうまで。
 ───遅すぎる。
 ───今更戻るのなら、何故もう少し早く。
 今夜、隼人の帰還を知るすべての住人が思うことだろう。
 だが、隼人はそれに立ち向かわなければならない。さもなくば、今度こそジェンツィアーナは消えてしまう。
 今度は城ではなく、カテーナの町が灰と消えて無くなる。
 大ボンゴレの粛清とはそういうことだ。裏社会に君臨する巨大な獅子は、自らは戦いを仕掛けないが、逆らうものには容赦しない。
 それが、わずかでも手綱を緩めれば混沌に陥る裏社会の秩序を守ることに繋がるからだ。
「……すまない。ミランダ、レオナルド」
 目を伏せ、隼人は詫びた。
 この二人が隼人のことを許してくれているのは、おそらくは三日前に入れた、宿泊予約の電話のためだろう。
 獄寺隼人という宿泊予定客の名前を見つめながら、この三日間の間に彼らは話し合い、ボスの息子の遅すぎる帰還を仕方のなかったものとして許すことに決めた。
 それが分かったから、隼人は心の底から詫び、許しを請うた。
 自分は間に合わなかった。間に合わなくなるまで、どうしても戻れなかった。粛清という切り札を突きつけられて、やっと戻らねばならないと覚悟した。
 そして今、やっと戻ってきはしたものの、ここに立っていることも苦しい。
 自分が捨てたこの町のこと、父親のこと、母親のこと。
 何もかもが昨日のことのように蘇ってきて、十五年の月日を経ているがゆえにいっそう苦い。
 けれど。
「でも、俺はもう逃げるわけにはいかねえんだ」
 自分に言い聞かせるように、そう呟いて。
「しばらくの間、頼む」
 告げた言葉に主人夫妻は隼人を見上げ、それから静かに深く一礼した。



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