I am. 02

 若い、というのが第一印象だった。
 東洋系の容姿は年齢が分かりにくいが、さすがに十代ということはないだろう。それでも、せいぜいが二十歳をいくらか超えたくらい、つまりは自分と同じくらいに隼人には見えた。
 しかも、線が細い。
 椅子に腰を下ろしているために身長は分からないが、全身のバランスを考えれば、それほど低くはない。この国の平均身長くらいは上回っているように見える。
 だが、肩幅は余り広くないし、顔立ちもいかついには程遠い、際立って美しいとさえ形容できる繊細さだった。
 この青年が、と圧倒される思いに駆られながらも、隼人は内心の緊張を押さえ込んで口を開く。
「獄寺隼人です。その名前は俺のものじゃありません」
 たとえ戸籍上はそうであっても。
 そう内心で呟きながら、シチリア訛りのイタリア語で問うた相手に敢えて日本語で答えると、彼は一つまばたきして、そう、と無礼を咎めるでもなくうなずいた。
「じゃあ、獄寺隼人君」
 あっさりと日本語に切り替えて、彼は続ける。
「君はどうして、ここに連れてこられたか理由を分かっている? リボーンは何か説明した?」
「いえ」
 リボーン――隼人をここまで案内というよりも連行してきた男は、初めて出会った時からまともな説明らしい説明など一つもしなかった。
 本土に居た隼人をいきなり訪ねてきて、名前を確認し、「ボンゴレのボスがお前を呼んでいる」と告げ、「出頭するかしないか、返答は三日だけ待ってやる。答えが決まったら、三日後にヴィラ・フェリクス・ホテルまで来い」と告げた。
 そして三日後にホテルを尋ね、行くと回答したら、今度は「出発は明後日だ。同じ時間にここへ来い」と言われて、今に至るのである。
 そして今も、リボーンという通り名の男は、ひどく突き放した口調で青年に応じた。
「なんで俺が説明しなくちゃなんねーんだ。てめーの仕事だろうが」
「だろうね。最初から期待なんかしてなかったよ」
 肩をすくめてリボーンの言葉をいなし、青年は隼人に視線を戻す。
 彼の顔立ちは東洋系、あきらかに日本人の血が濃いようだったが、その目は綺麗に澄んだ甘やかな瑪瑙色をしていることに隼人は初めて気付いた。
 まばゆいシチリアの空を背景に、ゆったりと椅子に腰を下ろす彼は薄茶の髪が日差しに透けて、まるで淡い金色の光に包まれているようだった。
 もとより執務卓が窓を背にする配置になっているのは、その効果を狙っているからだろう。だが、それがあざといと思えないほどに、目の前の青年には黄金の光が似合った。
「では改めて、君をここに呼んだ理由だけど。君には元ジェンツィアーナのまとめ役をやってもらいたいと思って」
「――は…?」
 一瞬、耳を疑った。
 だが、そんな獄寺には構わず、淡く笑んで青年は続ける。
「知っていると思うけれど、二ヶ月前のうちとの抗争でジェンツィアーナのドンが自殺してファミリーが空中分解した後、ジェンツィアーナの構成員の大半はそのままボンゴレが吸収したんだ。
 それはいいんだけど、彼らをまとめようにも幹部クラスに適当な人材が見当たらなくてね。仕方ないから、手始めにドン・カルロの血縁を調べたら君に行き当たったんだよ」
 調べた、という言葉には忌まわしさを感じたものの、五日前にリボーンに「ジェンツィアーナの息子だな」と開口一番言われた時から分かっていたことだったから、多少、胃がムカつく程度ですむ。
 問題は、その前の言葉だった。
「――俺をボンゴレの幹部にしようってんですか?」
「まだ決定じゃないよ。君という人材を見てから決める話だ」
「お断りします」
 即答だった。
 冗談ではない。五日前、リボーンという男のただならぬ殺気に、呼び出しに応じなければ死あるのみと思ったから、ここまでは来た。だが、それとこれとは話が別である。
 少なくとも今のリボーンは殺気を帯びていないし、完全に沈黙した態度からも、己の役割は隼人をここまで連れて来ることのみと割り切っている気配が感じ取れる。
 そしてまた、断った所で自分が殺される理由も、今は思い当たらない。ならば、答えにためらいはなかった。
「用件はそれだけですか」
「それだけだけど。でも、困ったなぁ。君が引き受けてくれないとなると、いずれ元ジェンツィアーナの構成員の大半は粛正せざるを得なくなる」
 青年の口調は相変わらず、のんびりおっとりとしていた。が、言っている内容はすさまじかった。
 その凄絶さに反応して、隼人の胸の内が鋭く尖る。目つきが険しくなるのが自分でも感じられた。
「脅しなんざ聞きませんよ。何十人でも何百人でも粛正すればいい。そもそも、敵対ファミリーのボス一人を消して、縄張りと構成員をそっくり吸収するやり方が厚顔だと思われないんですか」
 しかし、隼人の皮肉に満ちた言葉にも、青年は顔色を変えなかった。
「でも、それがうちのやり方だから。抗争に勝っていきなり一つの町が手に入ったって、そこにいちいち人材をやりくりして派遣するのも難しい。その町のことを良く知ってる人間を、そのまま使う方が、色々な意味でいいんだよ。
 ――ただ、このやり方にはボンゴレに忠実な頭役の存在が必要不可欠になるから、そこでいつも少し苦労するんだけど。でもそうやって、ボンゴレは大きくなってきたんだ」
 線の細い、ともすれば気弱そうにすらに見える青年だが、隼人のまなざしにも全く動じない。だが、考えてみればそれも当然だった。
 彼は、イタリアの裏社会に君臨する大ボンゴレのボス――ドンの中のドンなのだ。
 どれほど若く穏やかそうに見えても、中身は百戦錬磨の化け物でなければおかしい。
 現に、数歩ほど離れた位置にいるリボーンという男に対しても、彼は何の脅威も感じていないようなのである。
 しかし、だからといって、膝を屈する理由は隼人にはなかった。
「苦労されるのは、御自分の判断のツケでしょう。ジェンツィアーナのことなんざ、俺には関係ありません」
 冷ややかに言い放つ。
 だが、その言葉が、青年の内の何かに触れたようだった。ぴくりとかすかに細い眉毛が動く。
「関係ない? 本当に?」
「はい」
「ジョルジョ、ダニエレ、アレッサンドロ、ルチアーノ、ニコロ。この名前に聞き覚えはない? 誰一人、何一つ覚えていない? 彼らは、あんなに懐かしそうに君のことを語ってくれたのに」
 相変わらず青年の口調は静かだった。
 が、目は笑っていない。
 たった今まで甘やかな瑪瑙色を見せていた虹彩が、鮮やかな黄金をひそませた琥珀色に光っている。
「さっきも言った通り、今、元ジェンツィアーナの構成員には絶対的なまとめ役がいない。ボンゴレに対する反感や恨みを上手くまとめて、カテーナの町を治める方向に持って行ける頭がいなければ、遠からず暴発するのは目に見えている。
 そしてそうなれば、根こそぎ粛正せざるを得ない。他への見せしめにするためにも」
 青年の言葉は、単なる脅し文句ではない。必ず実行を伴う予言だった。それだけの重みと力が声にある。
 唐突にそれを理解した隼人の背筋を冷たい汗が伝い落ちた。
 この青年は違う。見た目で判断するのはあまりにも危険すぎる。
 日向でまどろむ高級な猫のような繊細で美しい容姿は擬態だ。
 彼は獅子――たった一撃で敵をなぎ倒す、黄金の百獣の王だ。
 その王者の黄金のまなざしが、隼人を見据える。
「本当に関係ないというのなら、彼らがどうなっても構わないというのなら、粛正の時には招待してあげるよ。特等席で彼らが殺されてゆく様を見物させてあげる。それを見て君は笑うといい」
「―――っ…」
 放たれた言葉の酷烈さに、思わず息をのんでしまう。そんな隼人を、青年はじっと見つめていた。
 だが、隼人は答えられない。
 答えられるわけがなかった。
 ジェンツィアーナのことなど今更関係ない。家を出てから、もう十五年以上にもなる。いまや家から離れて過ごした年月の方が長い。縁も何もかも切れている。
 けれど。
 ───目の前で炎上し、崩れていった城。
 ジョルジョ、ダニエレ、アレッサンドロ、ルチアーノ、ニコロ。
 今でもありありと思い出せる、何も知らずに無邪気に彼らに遊んでもらっていた、幼い頃。
 陽気な笑い声、調子っぱずれの子守唄に肩車、父親に叱られた後にこっそり渡してくれた菓子。
 不意に次から次に脳裏に閃く記憶のページに、獄寺は拳を硬く握り締める。
 そのまま息の詰まる沈黙が続いたのは、一分か、十分か。
 やがて、青年は諦めたように小さく溜息をついた。
「リボーン、彼にお引き取りを。どうやらうなずいてはもらえないみたいだ」
「のようだな」
 青年の言葉に同意して、リボーンはドアに向かいかける。
「ここまで来てもらって申し訳なかったね。おそらく粛正は半年後になるよ。その時にはまた連絡させてもらうから」
 笑うなり泣くなり好きにすればいい、と青年の言葉が突き放す。


 そこまでが限界だった。



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