天国まで何マイル? 16

「お兄さん」
「ちわっス、笹川先輩」
「やっと来やがったか」
 GパンとTシャツにパーカーといういつものラフな姿で現れた笹川は、空けてあった山本の隣りの席へと滑り込む。
 そして三人の顔をぐるりと見渡してから、綱吉へと視線を戻した。
「この顔ぶれで集まっているということは、イタリア行きが決まったのか、沢田?」
「──はい」
 開口一番の切り込みに、綱吉は思わず笑みが浮かぶのを感じる。九割方、苦笑ではあったが、それは確かにかすかながらも爽快感の混じる笑いだった。
「ずいぶん遅くなりましたけど、やっと決めました。来年の春に行きます。この二人も一緒に」
「そうか」
 綱吉の返答に、満足げに笹川はうなずく。
 そして、やってきたウェイトレスにホットコーヒーを頼んでから、綱吉に向き直った。
「俺も行くからな、沢田」
「……そう言われると思ってました。でも、本当にいいんですか?」
 イタリア行きについて笹川の気質を考えた時、他の答えを思い浮べることはできなかった。
 インターハイチャンピオンに続き、まだ大学一回生ながらインカレチャンピオンとしても名を馳せ、有名ジムからの勧誘は降る雨の如くなのに、いつまで経ってもプロデビューする様子がないことに、綱吉としても幾許(いくばく)かを悟らざるを得なかったのだ。
 だが、イタリアに行ってしまえば──裏社会に足を踏み入れてしまえば、笹川が世界の表舞台で華々しく活躍するチャンスは永久に失われる。
 そしてまた彼は、両親と妹という平穏な家族を持つ身でもある。笹川自身の身以上に、彼の家族の安全が綱吉としては気がかりだった。
「それについてはな、俺も考えた。一生のことだからな」
「はい」
「だが、結論としては、俺は守る戦いの方が性に合っていると思うのだ。
 タイトルのために戦うより、大事なものを守るために戦う方が力を出し切れる。いや、試合では出てこない力が出てくると言うべきか」
 笹川は考え込むような、自分の心の奥底を覗き込むような目で言い、まなざしを上げて綱吉を見た。
「世界チャンピオンが小さいとは言わん。タイソンもアリも、俺にとっては子供の頃からの英雄だ。
 だが、お前たちと戦ってきた日々のことを振り返ると、チャンピオンにこだわるのは小さいことのように思える。他にもっと大事なことがある、とな」
 日本人としては少し色素の薄い、ややグレーがかかった笹川の目は、自分たちが中学生だった頃と変わらず、真っ直ぐで潔く澄んでいる。
 その真っ直ぐな輝きは、この先も、どんな世界に彼が身を置こうと変わらないように思えた。
「だから、俺自身のことは構わんでくれていい。だが……」
 それまで歯切れよく言葉を紡いでいた笹川の表情が、ふと曇る。
 それを察して、綱吉は隣りの獄寺へと視線をちらりと向ける。心得て、獄寺は小さくうなずき、口を開いた。
「守護者の家族についちゃ、ボンゴレが責任を持ってガードすることになってる。本人たちには絶対に気付かれないように、てめーの家族を傷つけようとする連中は全部排除されるはずだ」
「ふむ? それが事実ならありがたい話だな」
「人質を取られちまったら、守護者だろうが何だろうが全力は出し切れねえだろ。所詮、人間のやることだから絶対の保障はできねーが、ボンゴレのガードは鉄壁に近い。てめーは安心して目の前の敵をぶちのめせばいいって寸法だ」
「そうか。それは助かる」
 笹川の顔に笑みが浮かぶ。
 安堵とすり替わるようにして浮かんだ覇気に満ちたその表情は、まさに闘士のものだった。
 誇り高く、潔く、敵に背を見せず、敵の後背から攻撃することもない。愚直なほど義に篤い、高潔無比の守護者。
 雲間から差す眩い陽光のようなその表情に、綱吉も小さく微笑む。
「それじゃあ、改めてお願いできますか。ボンゴレ晴の守護者として、俺と一緒に来て下さい」
「おう、任せろ」
 力強くうなずき、右手が差し出される。その手を綱吉は真っ直ぐに掴んだ。
 タコだらけの大きな力強い手。
 その上にもう一つ、同じくらいに大きく硬い手が重ねられる。
「山本?」
「ほら獄寺、お前も手ぇ出せよ」
「……俺もかよ」
 渋々といった様子ではあったが、獄寺は拒まなかった。
 指の長い、古い傷だらけの大きな手が一番上に重なる。
 その重なった手を見て、山本は嬉しげに笑い、笹川も満足そうに目を細める。獄寺だけはいかにも嫌そうな渋い顔をしていたが、今更のことなので誰も気にしない。
 そして、綱吉は。
「ツナ、俺たちはずっと一緒だぜ」
「俺たちはいつでも傍にいるからな。安心して頼れよ」
「俺たちは全力で十代目を支えます。他の何を信じられなくなっても、俺たちがいるということだけは忘れないで下さい」
 はっきりと感じる、温かな手のひらの重み。
 込み上げてくる熱いものをぐっとこらえる。すると、それは笑みになった。
 悲痛かつ強靭な覚悟を秘めているからこその、晴れやかな微笑み。
 その瞳で、綱吉は一人ひとりの瞳をゆっくりと見つめた。

「──皆で一緒に行こう。この先、どこまでも」



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