天国まで何マイル? 13

 雲雀恭弥のところへ行くに際して、綱吉は少しばかり人選に迷った。
 といっても、同行する人間の選択肢は獄寺と山本しかない。だが、どちらをつれてゆくのか、あるいは両方つれてゆくのか、両方ともつれてゆかないのか。その点では、四つの選択肢が存在する。
 雲雀の性格を考えるならば、綱吉一人で行くのが一番に決まっているが、そうなると獄寺がうるさい。
 しかし、五分ほど考えた挙句、綱吉は一人で行くと決めて、獄寺を三分かけて説き伏せた。
 獄寺の善い所、と評価していいかどうかは微妙だが、少なくとも今の彼は、綱吉が筋道を通して話せば絶対に折れる。
 昔はなかなか折れない上に、その場は渋々従っても後をつけてきて騒ぎを起こしたりしたものだが、近年はそんな振る舞いも無くなり、今日も駅前のファミリーレストランで山本共々、綱吉が戻るのを待っていることを承知したのだから、大した進歩だった。
「ここ、かな」
 雲雀の連絡窓口である草壁哲也から聞いたメモを頼りに辿り着いた、駅前の通りから一本入った通りにあるそのビルは、古い建物のようだった。
 ビル、という形容は少し間違った印象を与えるそこは、たとえば帝国ホテルとか赤坂迎賓館とかをうんと小ぶりにしたような、古くともモダンで手入れのゆきとどいた建築物で、雲雀恭弥という人物のイメージにそぐうのかそぐわないのか、その建物を見上げたまま丸々一分ほど綱吉は考え込んだ。
「……とりあえず入ろう」
 装飾的に手吹きガラスの嵌まったドア(自動ドアではない)の真鍮製のノブを掴んで回すと、施錠はされていないようで、重いもののなめらかに開く。
 そうして中に入ると、中はさして広くはない二階までの吹き抜けの玄関ホールで、右手に郵便受けが九個並んだ白い漆喰の壁と、右側へ続く通路があり、正面左には明るく日差しの差し込むガラス窓に沿うように、美しい鉄製の手摺りのついた階段が階上へと伸びていた。
「最上階、だったよね」
 ブリキ製らしい郵便受けは、全て綺麗に埃が払われて磨かれているが、氏名を記入する正面のくぼみ部分には何も書かれていない。
 おそらくこの古いアパート全体が、雲雀の並盛における事務所として使われているのだろうと見当をつけながら、綱吉は階段を上り始めた。
 古い階段は、中央が磨り減ってへこんでいる上に、一段一段が高くて奥行きが短いため、少し上りにくい。
 下りる時はもっと大変だろうな、と思いつつ、綱吉はこの建物は一体、築何年なのだろうと考えた。
 並盛は古い田舎町で太平洋戦争の被害も殆ど無かったが、戦後にベッドタウンとして住宅地が何十倍もの規模に肥大化したため、駅前の町並みも高度経済成長期からバブル期にかけてのものばかりが立ち並び、中心街にはこんな古い建物は他に残っていないといっていい。
 おそらく、と手仕事ならではの歪みがあるガラス窓の向こうの景色を見やりながら、この建物は昔から雲雀家の持ち物だったのではないか、と綱吉は想像してみる。
 先日リボーンに教えてもらうまで知らなかったのだが、雲雀家は、戦前はこの町全体と周辺の山までを所有していた大地主で、戦後の農地改革で没落したものの、旧家としての名は現代まで残っているらしい。
 そして、その末裔である雲雀恭弥は、本家の人間ではあるが長男ではなく、それどころか正しくは嫡出ですらない上に、その激しくも冷淡な気性から、かつての栄光の影にすがるばかりの旧家の一族としては異端児扱いであるらしいが、リボーンによれば、彼は『最も本来の雲雀家の人間らしい』人物であるという。
 田舎の旧家であるゆえに、没落しても尚、町のあらゆる方面に繋がりがあることを駆使して、十代でこの街の僭主(せんしゅ)となった手腕が尋常なものではないことは綱吉にも分かるし、それ以前に、中学時代から雲雀恭弥は街一番の危険人物だったから、リボーンの説明は現実離れはしていても、すんなりと納得できるものだった。
 雲雀さんに世間並みの常識を求める方が間違ってるし、と心の中で呟きながら綱吉は四階まで階段を上がりきる。
 そして、階段ホールから伸びる通路を覗き込み、向かい合わせに一部屋ずつと奥に一部屋、計三つある部屋のうち奥の部屋だけが、各ドアの上から伸びる美しい唐草のような鉄の支えと花型の白ガラス製のほやでできたレトロな照明に光を灯しているのを確認した。
 あの部屋だな、と見当をつけて、ゆっくりとそのドアの前まで淡い明るさに満たされた廊下を歩く。事前に訪問を告げてあることもあり、敢えて足音を消そうとは思わなかった。
 ドアの前に立ち、二度ノックをしてから「沢田です」と名乗る。
「鍵は開いているよ」
 そう返事が返ったのは、すぐのことだった。
「お邪魔します」
 ドアを開けると、その向こうの室内は広く、明るかった。
 ワンルームでフローリングの室内の間取りからすると、ここは元々アパートではなく、雑居ビルか洋風の下宿屋か何かだったのだろう。
 古い洋館そのままに、花のようなガラス製のほやが幾つもついた照明が天井から光を投げかけ、多少色褪せてはいるもののまだ美しい色彩をとどめたモーリス風壁紙と絨毯を照らし出し出している。
 束ねられた薄いカーテンが美しいドレープを作る窓の枠は凝った装飾彫りの木製で、窓と窓の間の壁には、天井の照明と同系デザインの花型のほやの照明がぽつりぽつりと灯っており、室内の明るさにやわらかさを添えていて。
 その正面奥、これまた一目で年代ものと分かる巨大な木製のデスクで、雲雀はパソコンを操作しつつ、積み上げられた書類に目を通していた。
 身に着けているのは黒に近い濃紺のスーツで、暗い臙脂色のネクタイと合わせて一寸の乱れも無い。
 切れ者の青年実業家、といった風情は、レトロで豪奢な部屋の雰囲気に異様なほどぴたりと合っていた。



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