天国まで何マイル? 10
山本が、ボンゴレ十代目の雨の守護者であることは四年も前に認定された事実であり、それは取り消されてもいなければ、彼がリングを返上する気配を見せたこともない。
ひとたび認定された以上、本人が雨の守護者であることを自認し、ボンゴレ十代目がそれを望む間は、その立場は継続する。
ゆえに、綱吉の六人の守護者は、四年前の認定時からその顔ぶれを変えてはいなかった。
ボンゴレの中でも特殊な存在である『守護者』は、他の構成員とは異なり、当主との個人的な繋がりから成るものであるがために、必ずしもボンゴレに属す義務はなく、総本部のあるイタリアに居住する必要もない。
それぞれの立場で、それぞれのやり方でボンゴレと当主を守り、必要な時に必要なことを成せば足りるとされ、それ以上のことを当主は守護者に求めない。
その繋がりの根幹にあるのは忠誠ではなく、むしろ個人的な思惑──親愛であったり興味であったり執着であったり、それさえも一定ではないのが常だった。
そして、形や規範に縛られないがゆえに当主と守護者の絆は強く、また守護者同士の絆も強い。
組織の誰が裏切ろうと、守護者は決して裏切らない。ボスの望みを違(たが)えない。守護者同士が仲間を出し抜くことはあっても、組織の不利益になることは決してしない。
ボンゴレ当主を中心とした、絶対的な六芒星。
その比類なき輝きと圧倒的な強さが、百五十年余のボンゴレの歴史を支えてきたのである。
そして、伝統に則(のっと)るかのように、これまでの綱吉と守護者との関係もまた、友人とも仲間とも言えないような微妙な繋がりだけで成っている。
その関係が、綱吉が正式にボンゴレ十代目を継いだ後も続くのか──続ける意志が彼らにあるのかどうか。
獄寺は綱吉から覚悟を聞くと同時に、右腕としても嵐の守護者としても忠誠を誓ったが、残りの五人は──そのうちの雷の守護者ランボは、本来の所属であるボヴィーノから話を聞いたかもしれないが──まだ何も知らず、当然、今後の在り方を表明してもいない。
だが、綱吉と獄寺が答えを出したように、彼らもまた答えを出さなければならない。
そして、それを問うのは、綱吉の役割だった。
「いつにされますか?」
獄寺は、憶測や個人的な意見を差し挟むことはせず、端的に問う。
対する綱吉の答えは、きっぱりとしたものだった。
「早い方がいい。今夜にでも」
「──はい」
一瞬、驚きを小さく瞳によぎらせたものの、獄寺はうなずく。
綱吉がそうと決めたのなら、逆らう理由はなかった。もとより延期して良いことがある問題でもない。
それに週末も、どうせリボーンがぎっしりとスケジュールを組んでいるだろうから、結局はその日のノルマが済んでからしか山本に会う時間は作れないはずであり、となれば、そこまで日程を延ばす意味もなかった。
「少し遅くなるけど、そんなに長い話にもならないと思うし。今からメール入れておけば、山本も時間を合わせてくれると思うから」
「分かりました。奴への連絡は……」
「俺がするよ」
言いながら、綱吉は早くも携帯電話を取り出す。
まずは時刻を確かめたのは、メールを打ちながらゆっくりめに歩いても、リボーンに強制された門限には間に合うことを計算したのだろう。
それから、さほど文面を考え込むでもなく、おそらくは「今夜、話をしたい」という用件だけの短いメールを作成して送信した。
「あ、もう返信来た。OKだって」
山本も、綱吉に負けず劣らず短文メールを得意とするタイプである。
綱吉の携帯電話がメール受信を告げる着メロを鳴らしたのは、送信から三十秒も経っていない頃合だった。
「野球馬鹿も部活を引退しましたからね。暇なんでしょう」
「うーん。野球部を引退してもお店は手伝ってるんだから、そう暇じゃないと思うけど……まだ開店前だもんね」
山本の父が経営する竹寿司の午後の営業時間は、午後五時から十時までであり、その間は店内に客がいる限り、山本は携帯電話には応答しない。
おそらく今は、タイミング的にちょうど学校から帰宅した頃合ではないだろうか。
少なくとも、山本が身近に携帯電話を置いていて、見ることに支障がない状況であったには違いない。
「そういえば山本、この間会った時、車の免許取りたいって言ってたけど、どうなったのかな」
「十代目に連絡がないってことは、まだ車校に行ってねーんじゃないですか」
「どうかなー。山本も案外、黙って免許取って俺たちを驚かせようとする所があると思うけど」
小さく首をかしげながら、綱吉はもう一度短いメールを打って送信する。
それに対する返信も、またすぐのことだった。その文面を見てから、綱吉は獄寺を振り仰ぐ。
「獄寺君、今夜九時半に駅前のファミレスで会うことにしたから。いいかな?」
「はい」
綱吉は、獄寺に対しては一度も、今夜共に行くかとも聞かなかったし、来て欲しいとも言わなかった。
獄寺が行動を共にすることを当然の前提として、ただスケジュールの可否だけを問う。
ボンゴレを継ぐ決意を表明する以前の綱吉ならば、決してしなかったそのやり方は、獄寺の心の最も深い部分を静かに揺さぶった。
が、表情には何も出すことなく、獄寺はボスの問いかけに答える。
「問題ありません。もし不都合が起きたら、その時は臨機応変にゆきましょう」
「うん」
ありがとうとでも言うように微笑みながらうなずいて、綱吉は携帯電話をバッグにしまい、前方へとまなざしを向けた。
傾いた日差しが陰を作るその綺麗な横顔は、何を思っているのかをたやすく見抜かれることを拒み、静かに凪いでいる。
中学生の頃の彼は、それとは真逆だった。可愛らしいほどに他愛なく、考えていることが全部、表情から透けて見えていた。
それでさえも自分は、彼の表情の意味をいつも見誤っていたのだけれど、とひそやかに考えながら獄寺は、綱吉には気付かれないように体の影でそっと拳を握る。
───自分が、彼の右腕であることは決して揺らがない。
自分はその立ち位置から決して動かないし、彼もまた、自分がそこから動くことをきっと望まない。
自分たちの関係は不変であり、永遠であり。
───二度と、あの日に戻ることはない。
遠慮なく、容赦もなく、右腕として遇される喜びは、何にも勝る。
だから、これで良い。
それは間違いない。
けれど。
あの日までの自分たちの間にあった、友人であるような、そう思いたがっているだけであるような曖昧な関係は、今から思えばたとえようもなく甘く、きらめいていた。
奥底に秘めた感情があったがゆえに、よりいっそう甘かったことも今なら分かる。
何の誓約もなく、部下でも何でもない一人の人間として遇されることは、おこがましいとは思いつつも、心が震えるような喜びだった。
けれど、もうそれは過去のことであり、自分たちの間にはボスと右腕、それ以上もそれ以下もない。
彼はもう、自分の名を友人としては呼ばず、自分もまた、姓であれ名前であれ彼を本名で呼ぶことはない。
───そう。
傍らに在ることを当然の存在として遇される喜びは、何にも勝る。
けれど、二度と名前を呼べない、決して呼ばないことへの悲嘆も、何にも勝る。
どれほど現状に納得し、満足していようと、それだけはどうしても否定しきれない。
唯一無二の存在の役に立てることに歓喜しながら、辛い、苦しいと何かが心の一番深い部分でうめいている。
───ああ、けれど。
自宅の前まで来て、綱吉はぴたりと足を止める。
そして、獄寺を振り返った。
「じゃあ、今日も一緒に頑張ろっか」
ポーカーフェイスを少しだけ崩して、困ったような諦めを含んだような笑顔で、そう告げる。
辛いのも苦しいのも君一人ではないのだと、獄寺を見つめる透明な濃琥珀色の瞳がささやいている。
「はい、十代目」
だから、獄寺も笑んだ。
自分は何も知らない、気付かない。あの日起きたことは、互いの名を初めて呼んだ、ただそれだけ。そこには何の意味もない。
けれど、分かっていますから、とうなずいて。
二人は沢田家の門をくぐった。
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