誰が為に陽は昇る 31

 九代目のプライベートルームを出た獄寺は、自分が今閉めたばかりのドアを一度振り返ってから、ゆっくりと歩き出す。
 廊下で待つとは言ったが、ドアのすぐ外で待つような無作法な真似をする気はなかった。
 自分は綱吉の護衛をも兼ねているつもりだが、この館内で不必要に警戒を張り巡らすのは無意味かつ無礼なことであるし、また、いくらドアが分厚く、内側の声が漏れ聞こえる可能性がないとはいえ、親しく語り合うだろう主君たちの会話に関心を持っているかのように見える素振りはしたくない。
 そんな思いで、獄寺は廊下を歩いて角の向こうのギャラリーへと戻った。
 ここならば程よく離れているし、かといってドアが開けば、すぐに聞きつけて戻れる距離である。
 そしてまた、歴代のボスの肖像画が並べられているのも、待ち時間を過ごすのにはちょうど良かった。
「───…」
 ゆっくりと獄寺は、初代の肖像画の前に立つ。
 先程は正面から眺める暇がなかったが、改めて見ると、本当に肖像画の中の人物は綱吉と瓜二つだった。
 背格好も殆ど変わらない。違うのは、髪と瞳の色、それくらいだ。
 ──歴代最強を謳われる初代。
 そして、その初代とそっくりな容姿を持ち、同じようにグローブを武器として、今や雲雀恭弥すら凌ぐほどの比類なき戦闘力を有する綱吉。
 その獄寺の世界でただ一人の主と同じ、全てを包み込むような大空を思わせる瞳で、肖像画の中の人は、目の前に立つ獄寺を見つめている。
 その美しいまなざしの前で、獄寺は自分の無力さを痛感せずにはいられなかった。
(十代目は、『十代目』でしかない。誰が何と言おうと)
 容姿や炎の種類だけの問題ではない。
 綱吉には、初代と……そして九代目と同じ資質が備わっている。
 全てを包み込み、慈しむ大空の心。
 彼こそが、このボンゴレを継ぐべき者だった。
 そして、それこそは獄寺自身が一番最初に感じ、信じていたことであって。
(俺は……馬鹿だ)
 彼は誰よりも優しいから。
 平和な国で生まれ育ったから。
 いつの頃からか、そんな理由で綱吉はボンゴレのボスには相応しくないという錯覚に陥っていた。
 だが、真実は逆なのだ。
 そういう彼だからこそ、ボンゴレは次代のボスとして彼を求めている。
 彼の優しさ、全てを守ろうとする強さこそが、ボンゴレの血の証。
 そんな単純な真実に、獄寺はこれまで気付かなかった。
 そして、気付かないまま彼を盲目的に慕い、愛して、その結果、彼の中にある本当の強さを見誤った。
(俺が何を思うと、何と言おうと、あの人はボスになる。──必ず)
 優しいからこそ、平穏な日常を望むからこそ、綱吉は現実から目をそらさない。
 戦いにおびえ、体をすくませていた十三歳の頃の彼では、もうないのだ。
 そして、その優しさゆえに、綱吉は大切に思うもの──大切な人々と、その人々が大切に思うもの──全てを守るために、ボンゴレボスの座を望む。
 それは、最初から獄寺が手出しをできるような話ではなかった。
 ボスにならないで欲しいと願うことも、その手を汚さないで欲しいと望むことも、全て余計な世話、無意味なことでしかなかったのだ。
(俺にできることは、最初から一つだけだった)
 綱吉の役に立つこと。
 孤高の座に立ち、過酷な道を行く彼を少しでも手助けすること。
 彼を決して裏切らないこと。
 ──そう。
 獄寺にできるのは、ボンゴレ十代目の『右腕』になること、それだけだった。
(九代目もリボーンさんも、最初から分かっていらっしゃったんだな。分かっていて、俺を日本に行かせたんだ)
 見るものが見れば綱吉の資質は一目瞭然であり、そして六年前、次代のボスを定めた九代目が次に考えたのは、誰を『十代目』の補佐役にするかだったのだろう。
 その白羽の矢が立てられたのが自分だったのは、身に余る光栄だったというしかない。
 九代目と知り合った時の自分は、どうにもならない荒み切った悪童だったのだ。そんな自分に、九代目が一体何を見出してくれたのか想像もつかない。
 けれど、そこにどんな思惑があったのだろうと、自分は日本へ行き、綱吉と出会った。
 それは人生の最上の宝だった。
 綱吉と出会ったことで自分の人生は変わり、命の意味も変わった。
 彼と出会う以前の生など、無に等しい。あんなものは生きていたとは到底言えない。
「十代目……」
 綱吉こそが自分の全てだった。
 彼のためなら喜んで全てを捧げられる。惜しむものがあるとしたらただ一つ、この命だけだ。
 死んでしまったら、それ以上綱吉の役には立てない。それ以上、彼を守り助けることもできない。
 そんなことは御免だったから、何があってももう、自分からこの命を捨てるような真似はしない。どんな無様であっても、必ず生き延びてみせる。
 そう何度も心に誓ったことを新たに噛み締めて、獄寺はもう一度、初代の肖像画を見上げる。
 こちらを見つめる黄金の美しい瞳は、冷たい金属の色ではなく、黄昏時に広がる空の色だった。
 途方もなく広く、温かく、そしてどこか心寂しい気がするのに、明日への希望を掻き立てる。
 最愛の人の瞳と、同じ色。
 そう思い、その美しさに見入った時、ドアを開閉する音が小さく耳に届いた。
 振り返り、そちらへと足を踏み出すと、すぐに絨毯を踏むほのかな気配がして綱吉が現れる。
「やっぱりここにいた。九代目が呼んでるよ、獄寺君」
「十代目は、お話はもういいんですか?」
「うん」
 うなずく綱吉の表情は、晴れやかだった。
 昨夜からずっと顔に差していた緊張の影は綺麗に消え失せ、穏やかに凪いで満ち足りている。
 ああ、良い話ができたのだ、と獄寺は思った。
 ここへお連れして良かった、と安堵にも似た喜びが胸の内に広がり、自然、表情もやわらかな笑みへと変わる。
「分かりました。じゃあ、ちょっと行ってきます」
「うん。ゆっくり話してきていいよ。俺も、ここの絵をじっくり見たいし」
「はい」
 うなずいて、獄寺は歩き出す。
 角を曲がり、廊下をまっすぐに進んで、プライベートルームのドアをノックした。



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