誰が為に陽は昇る 15

「獄寺君?」
『はい、獄寺です。まだ起きていらっしゃいましたか』
「うん。ついさっきまで山本と電話してた」
『……そうですか』
 途端、喜色に満ちていた声が低く不機嫌になるのがおかしい。綱吉は小さく笑いながら続ける。
「どうしたの? 何か忘れてたこととかあった?」
『いえ、そうじゃないんスけど、なんつーか、少しお声が聞きたくなって……』
 わたわたと言い訳する獄寺は、少しだけ中学時代の彼を思い出させた。
 彼のほうも何かあったのだろうか。それとも、本当に声が聞きたくなっただけだろうか。
 どちらでもいい、と綱吉は思う。
『すみません、俺、』
「なんで謝るの? 俺、嫌だって言って無いじゃん。どっちかっていうと嬉しいよ。山本との電話短くて、何か話し足りない気分してたから」
『そう、ですか?』
「うん」
 嘘、と心の中で呟く。
 理由なんかどうでもいいのだ。こうして声を聞いて、話をできるだけで。
 どんな気分でいる時であろうと、好きな人から電話がかかってきて嬉しくない人間がいるわけがない。
 それも、ほんの数時間前までこの部屋で顔を合わせていたのに、それでも足りないとばかりに電話してきてくれたのだから。
「ねえ、獄寺君」
『はい?』
「明日から三週間、君に迷惑かけっぱなしになると思うけど、よろしくね。知らない国で君に見捨てられたら、俺、本当にどうしていいか分からなくなっちゃうと思うから」
『そんな! 俺が十代目を見捨てるなんて、絶対に有り得ませんよ!!』
「うん。分かってるけど。でも、迷惑かけるのは決まってるから、先に謝っておいた方がいいかなーと思ってさ」
『十代目のなさることで迷惑なことなんて、一つもありません!!』
「んー。そうでもないと思うけどな」
 迷惑でないと思うのは、獄寺の思考と感性がゆがんでいるからだ。
 綱吉が今、こうして反応の見え透いた言葉で彼を絡め取っていること自体、公平な目で見たら卑怯でずるい話に十分該当する。
 なのに、それを獄寺が厭わしく感じないのは、綱吉がこんな風に電話をかけてくる獄寺を厭わしく感じないのと同じ理由があるからに他ならない。
 それなのにどうして自分たちは両想いではないのだろうと、綱吉は目の前の現実にほろ苦い可笑しさを感じないではいられなかった。
『本当に大丈夫ですから! 俺は絶対にお傍を離れませんし、危ない目にも怖い目にも遭わせたりしませんから……!』
「うん。ありがとう。獄寺君なら本当にそうしてくれるんだって、俺、分かってるから」
 だから、そう力説しなくてもいいんだよ、と綱吉はやわらかな声で諭す。
 それは単なるリップサービスではなく、本心からの言葉だった。
 口先だけではなく、獄寺は本当に全ての危険なもの、不快なものから綱吉をかばおうとするだろう。それは五年前から幾度も繰り返された事実の積み重ねであり、今更疑う余地など微塵もない。
 ただ、綱吉をかばおうとする時、多くの場合において獄寺は自分の身体を盾にする。それが綱吉は怖かった。
 ただの怪我ならばいい。良くはないが、いつかは治る。
 だが、それが取り返しの付かない事態に繋がったら?
 腕を、脚を、目を、あるいは、それ以上のものを失ったら?
 考えるだけで、震えが止まらなくなる。間一髪の場面を、これまでに何度も見ているからこそ、尚更に想像は起こりうる現実として、綱吉を恐怖に陥れる。
 けれど、それでも綱吉は、獄寺に自分を守ることをやめてくれとは言えなかった。
 次期ドン・ボンゴレの守護者でもあり、また一個人としても綱吉をとても大切に想っていてくれる獄寺に、守るのをやめろというのは彼という人間の存在意義の全否定に他ならない。
 だから、やめて欲しいと言わない代わりに、綱吉は別の言葉を使う。
 彼が傷付かないように。
 目の前からいなくなってしまわないように、精一杯の祈りを込めて。
「でもね、獄寺君。俺は君にも嫌な思いや、痛い思いをして欲しくないよ。君が俺に傷付いて欲しくないと思ってるのと同じくらい、俺も君に傷付いて欲しくないんだ。君が俺のことを守ろうと思ってくれるのは嬉しい。でも、そのことだけは覚えといてくれる?」
『──十代目…』
「何?」
 銘を呼んだ獄寺の声は、深く、低く響いて。
 その響きの中にあるものを逃すまいと、綱吉はスピーカーに耳を押し当てて目を閉じる。
『いえ……、十代目がそうおっしゃるのなら。俺はあなただけでなくて、俺自身も守ります。あなたが嫌な思いをしなくてもすむように』
「うん……ありがとう」
 本当は、君が大事だから、と言ってしまいたかった。
 好きだから、傷付いてほしくないのだと。
 そう言えたら、どんなに良かっただろう。
 けれど、口にしたら全てを壊してしまう。全てを守りたいと思った気持ちが、嘘になってしまう。
 だから、綱吉は何でもない調子で続けた。
「君の方は何か言いたい事ある? 旅行に行く前に」
『言いたい事、ですか? 十代目に?』
「うん、そう。あったら言って?」
 催促するように問いかけると、電話の向こうで獄寺はうーんと唸る。
『いえ、さっきので十分な気がします。どうしても付け加えるなら、あと一つだけですね』
「何?」
『楽しい旅行にしましょう、十代目』
 その言葉に、自然に口元に笑みが浮かぶのを綱吉は感じた。
「うん、もちろんだよ」
 おそらく自分たちが感じているものは、同じなのだろう。
 これが、自分たちにとっては最後の夏なのだ。
 二人きりで過ごす、最初で最後の時間。
 だから、精一杯に楽しみたい。叶うことなら、一つの影もなく。
 ……けれど。
「それじゃあ、また明日ね。電話、ありがとう」
『いいえ、俺の方こそ遅くにすみませんでした。今夜はゆっくり休んで下さい、十代目』
「うん、獄寺君も。おやすみ」
『はい。おやすみなさい』
 ゆっくりと携帯電話を耳から話して、通話を切る。
 そして、綱吉はゆっくりと部屋の入り口へとまなざしを向けた。
「リボーン」
 電話の途中で、黒衣の家庭教師が音も立てず部屋に戻ってきたことは気づいていた。
 そして黙って、自分たちの会話を聞いていたことも。
「俺は……間違ったことをしてる?」
 黒曜石のように光る丸い瞳を真っ直ぐに見つめて、問いかける。
「獄寺君に対して、ずるいことをしてるのは分かってる。でも、これは間違ったこと? それともギリギリ許されること?」
 誠実で一途な彼を、本心からとはいえ言葉で縛り、操るのは。
 そして、予想通りの言葉を返してくれることを、嬉しいと思うのは。
 だが、
「──それくらい自分で判断しろ、馬鹿ツナ」
 溜息をつくように言い捨てて、リボーンはすたすたと部屋の奥へと歩み寄り、ハンモックの上へとぽんと飛び乗る。
 そのまま横になってしまう家庭教師を見て、綱吉は溜息をつき、自分も寝ようと携帯電話をショルダーバッグのポケットに押し込んだ。そして、部屋の照明を消し、ベッドへともぐりこむ。
 だが、すぐには目を閉じずに天井を見つめたまま、綱吉は隣りのハンモックへと語りかけた。
「リボーン。俺と獄寺君がしてるのは、多分、綱渡りみたいなものなんだろうね。いつ落ちるか分からない……」
 細い細い一本のロープ。その下にあるのは、暗黒の奈落だ。
 だが、そう分かっていても、ロープを渡ろうとする足を止められない。
「でも、失敗する気はないから。──俺にとって、獄寺君は特別なんだよ。他の守護者との誰とも違う」
 恋愛とはまた別の次元で、綱吉のために全てを投げ出してしまえる獄寺は、六人いる守護者の中でただ一人、綱吉が何のためらいもなく共に修羅の道を歩むことを選べる存在だった。
 彼の忠誠と献身は自分のものであり、自分の信頼は彼のものだと言い切れる。
 それに対し、他の五人は違うのだ。それぞれの生活があり、彼らは綱吉を心の中心に据えたりはしない。
 だから、綱吉も迷わずにはいられない。
 彼らに何ができるのか。あるいは何一つ、するべきではないのか。
 けれど、獄寺にはそんな迷いは必要ない。
 彼に関してだけは、自分ができることも、すべきことも分かっているから。
「だから、絶対に失敗はしない。絶対に……」
 失うような真似はしない。
 だから、と綱吉は声には出さず、祈るように思う。
「──失くしたくないもんがあるんなら、勝手に頑張るんだな。俺の知ったことじゃねえ」
「……うん」
 薄闇の中に響いた、幼い声に不釣合いな冷たく硬質な口調にうなずきを返して、綱吉は目を閉じる。

 ───だから、リボーン。
 お願いだから、俺たちを引き離さないで。
 失くさないためなら、どんなことでもするから。
 だから。
 心の一番大切な場所で彼を想うことを、どうか許して。



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