誰が為に陽は昇る 14

「もしもし山本? 今いい?」
『おう。でも、お前ら明日出発だろ? いーのか?』
「大丈夫。用意はもう済んでるから」
 床の上にじかに腰を下ろし、ベッドに背を預ける姿勢で綱吉は明るく返す。
 この携帯電話も、海外で使えるように先日、契約を追加したばかりだった。
 二年前に携帯電話を買った時にはそんなことを想定して機種を選んだわけではなく、単に見た目で選んだのだが、今回改めて機能を調べたら国際通話も可能だということが判明し、海外用をレンタルする手間が一つ省けたのである。
 人間、何がどう便利に転ぶか分からないものだなぁと綱吉は感心したのだが、旅行の準備全体からすれば、それは本当に些細な出来事に過ぎず、とかく今日までの準備期間は大変だった。
 もっとも綱吉は自分の荷物やパスポートの準備をしていただけであって、それ以外の飛行機やホテルの手配はすべて獄寺任せにしたため、偉そうに言えることは何一つない。
「でもさ、やっぱり海外旅行の準備は大変だよ。勝手が全然分かんないし。山本は昔、ディーノさんに連れて行ってもらった時、どうしたの?」
『どうもこうも、前の日にいきなり獄寺が電話してきて、自分は行けないからてめーが行け、って言われたからなぁ。準備もへったくれもなかったぜ。トランクに着替え詰めてっただけ』
「……山本らしーけど、そんなんでよく行ったねえ」
『んー。まぁタダで観光旅行って話だったし、そのくせ獄寺の口ぶりが、どうしても行かなきゃいけないよーな感じだったし。パスポートは、そのちょっと前に商店街の組合が海外視察とかいうのをやって、俺もついてったから持ってたし。親父も、行ってこいの一言だったし』
 のんきそうに言う山本の声に、綱吉は小さく苦笑する。
「なんか羨ましいよ、山本のそういうとこ」
『そうか?』
「うん。俺なんて、あれもこれもって心配になっちゃって、荷物が増える一方だったもん。最後の荷物チェックで獄寺君が要らないって言ったものは、一応置いてゆくことにしたけど、それでもなんか不安でさ」
『ははっ、ツナらしーな。そういうの』
「笑い事じゃないよー」
 それでも笑いながら、綱吉は部屋のドア近くに置いた旅行鞄を見やる。
 大き目のキャスター付きトランクと、帆布製のショルダーバッグ。二十日間も異国を旅するのに、本当にこれで大丈夫なのかと思ってしまうほど、コンパクトな荷物だ。
 だが、これで獄寺が大丈夫だと言ったのだから、多分、間違いないのだろう。
『でも、イタリアはいいところだったぜ。メシ美味かったし、すっげーものが色々見られたし。日本とは全然違ってて、すげー面白かったよ』
「うん。俺もすごく楽しみにしてるんだ。ガイドブック見てるだけでも、すごそうなのがいっぱいあって、行き先を選ぶのがホント、大変だったよ」
『だろーなー。俺が覚えてんのは、あれだな。フィレンツェだっけ? あの街の滅茶苦茶でっかい教会』
「花の聖母教会のことかな。うん、俺たちも行く予定だよ」
『あ、それそれ。イタリア語でなんか長い名前だったから、覚えきれなくてさ。あとローマの闘技場とか、ヴェネツィアの教会もでっかかったなぁ。あ、ディーノさんちの屋敷もすごかったぜ。まるでお城みたいでさ』
「覚えてるのは、でっかいものだけなの?」
 それも山本らしい、と思いながらも綱吉は笑って聞き返す。
 と、電話の向こうで山本も笑った。
『そういうわけじゃねーんだけど、でっかいもんの方がどうしても印象に残るだろ? 思い出しやすいっつーかさ。もちろん、小さくても綺麗なもんも沢山あったんだぜ。でも、そーいうものはツナが自分で見つけりゃいいと思うし』
 いいとこだった、と山本の声が告げる。
 ただ想い出を懐かしむには、どこか深みのある声で。
『建物だけじゃなくて、他にもいっぱい見たよ。どこまでも続くブドウ畑とか、信じられねーくらい青い海とか。俺ももう一度、行きてーなー』
「山本」
『楽しんでこいよ、ツナ。あの国には本当に色んなものがある。全部、お前の目で見て、そんで俺にも土産話、たくさん聞かせてくれな』
「……うん、もちろんだよ。目いっぱい楽しんでくるつもり」
『ああ。じゃーな、あんまり寝るの遅くなると、朝起きるの辛いだろ? またイタリアからメールでもくれよ』
「うん。山本もメール、してよ。時差とか気にしなくていーから」
『ああ。じゃあ、おやすみ、ツナ』
「おやすみ。甲子園、頑張ってね」
『おう。絶対に勝つぜ』
「うん、じゃあね、また」
 電話を切って、それから綱吉は手の中の小さな機械をじっと見つめた。
 何が、というのは上手く言えなかった。だが、イタリアについて語る山本の声は、何かいつもと違っていたような気がしてならない。
 ただ親友に出発の挨拶をしたかっただけなのに、何かそれだけではすまなかったような感覚がひしひしと押し寄せてくる。
 何年か前、突然のイタリア観光から帰ってきた時の山本は、あんな風にあの国のことを語りはしなかった。その時の記憶はもう朧気だが、もしいつもと違った様子で話をしたのなら、間違いなくそう気付いたと思う。
 けれど、今の山本はそうではなかった。
 あれから四年の月日が過ぎて、その間にはあまりにも沢山のことがありすぎた。それが、山本の中にあったイタリアという国の印象を変えてしまったのかもしれない。
 そう考えると、つじつまが合うような気がしてくる。
 山本は先程、もう一度行きてーな、と言った。
 だが、綱吉の耳には、もう一度行かなきゃな、と聞こえたのだ。
「山本……」
 手の中の携帯電話を見つめたまま、綱吉は呟く。
 親友でありながら、自分の雨の守護者でもある少年に対して。
「君は何をしたいの……? 俺は君に何をするべきなの……?」
 分からない、と答えの出ない問いを呟いた時、不意に手の中の機械が着メロを奏で始めた。
 そのメロディーで特定の相手からの着信だと気付いて、綱吉はサブ画面に浮かぶ名前を確認する。
 そして、すぐに着信ボタンを押した。



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