誰が為に陽は昇る 11

 夏休みに入るまでの一月ほどは、多忙に過ぎた。
 期末試験もあったし、旅行のためのパスポート取得など幾つかの手続きを済ませる必要もあったから、平日も休日も、何かしらのスケジュールが入らないわけにはいかなかったのである。
 もっとも綱吉にとっては初めての海外旅行であるため、準備のほとんどは獄寺任せ、指示されたことだけをこなすだけだったが、それでも何となく気分的に落ち着かない日々が続き、終業式に通知表を受け取る頃には、少々ぐったりとなっていた。
「十代目、そろそろ帰りますか?」
 講堂を兼ねた体育館で校長の眠くなるような訓辞を聞き、教室に戻って通知表と夏休みの注意事項が書かれた数枚のプリントを受け取れば、一学期最後の学校生活はあっさりと終わる。
 夏休みの予定や、今日これから遊びに行く約束などを口々に交わしながら、クラスメートたちも三々五々と教室を出てゆく中、まだ席についたままだった綱吉の傍に獄寺が歩み寄ってきて、問いかけた。
 無論、行動のすばやい彼は、とうに荷物はまとめて薄い学生鞄の中に片付けてしまっている。
 対して、綱吉の方はまだ机の上に配布されたプリントが広げられたままだった。
「そうだね。通知表も何とかリボーンに怒られずにすみそうだし」
 肩をすくめるように小さく笑いながら、綱吉はゆっくりと手を伸ばして、プリント類を重ね、角を揃えて鞄の中にしまう。
 期末試験の勉強と平行して旅行の準備をしていたのに、綱吉が何とか成績を落とさずにすんだのは、ひとえにリボーンの脅しのおかげだった。
 曰く、全教科で平均点をクリアしなければ、夏休み中猛特訓を課すぞ──試験前にそんなことを言われてしまえば、必死になってテスト範囲の教科書を頭に詰め込むしかない。
 獄寺にも各教科のヤマを張ってもらったり、問題集の判らないところを教えてもらったり、とにかく全面的に協力してもらって、どうにか課題はクリアできたのだが、結果が出るまでの間は本当に気が気ではなかった。
 だが、ともかくも全て終わり、通知表も良いとは言い切れないものの、特に悪くもない数値で、ようやく一安心といったところである。
 そのせいか、通知表の中身を確認した所で妙に気が抜けて、獄寺に声をかけられるまで綱吉はぼんやりと窓際の席から外を見ていたのだった。
「──じゃ、帰ろうか」
 夏休みの課題は、事前に各教科ごとにそれぞれの授業中に渡されているため、持って帰るものは今日の配布物以外、何もない。
 身軽に立ち上がって、綱吉は獄寺を見上げた。
「はい」
 目を合わせると、淡く煙ったような緑の瞳がやわらかく笑む。
 その綺麗な色に内心で見惚れながら、そういえば、ここ最近、彼は幾人かの男子生徒や女子生徒から夏休みの予定を尋ねられていたな、と綱吉は思い出す。
 もちろん獄寺は全ての誘いに断りを入れていたが、その理由は、イタリアの実家に戻るから日本にいない、という当たり障りのないものだった。
 同様に綱吉の方も、父方の親戚の所に行くから、と答えて全ての誘いを断ったのだから、その辺りは共犯者といってもいいかもしれない。
 綱吉としては別に後ろめたい所があるわけでなし、正直に二人で旅行に行くと言っても良かったのだが、何しろ高校生といえば十代半ば過ぎの良くも悪くも下世話な好奇心に満ちたお年頃である。
 普段から<いつでも一緒にいる二人組>と見られている自分たちが、夏休みまで二人きり、しかも海外旅行となれば、下世話な冗談のネタにされかねないと思ったため、綱吉は適当に不在の理由をでっち上げたのだ。
 獄寺の方の真意は聞いていないので知らないが、彼もまた自分たちの行動を明らかにすることについて何らかの危惧を持ち、同じように不在理由をでっち上げたのだろうと思っている。
 こんな風に自分たちが行動を隠蔽することはいつものことで、もっと不穏な理由から周囲に真実をはぐらかしてきたことは、これまでに数え切れない。
 おかげで綱吉も今はすっかりそれに慣れて、今回の旅行についても、取り立てて獄寺と申し合わせをすることもせずに、極自然に何割かは真実である夏休みの予定を口にしていた。
 そのことを──年月と共に色々な事が変わってしまったことを少しだけ悲しいと思う自分も、まだ綱吉の心の片隅には眠っている。が、小さな呟きが聞こえるたびに、仕方がないんだよ、と綱吉はその声に言い聞かせる。
 嘘をつきたくてつく人間など、世界にそう多くはない。
 ただ、相手と自分を不幸にしたくないから、自分の良心に目隠しして嘘をつくだけなのだ。
 でもやっぱり少しだけ悲しいね、と呟きながら、綱吉は獄寺に小さな笑みを返して、まなざしを教室の出入り口へと向ける。
 そして歩き出そうとした時、廊下で小柄な人影が動いた。



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