誰が為に陽は昇る 10

「大体、こんなもんっスかね」
「そうだね」
 レポート用紙に書かれたイタリアの略地図を覗き込んで、綱吉はうなずいた。
 地図上の点であらわした主要観光地を結んだ導線は、複雑ながらもほぼ一筆書きとなっていて、線の横には獄寺の字で、小さく移動手段とそれに要する時間が記入されている。
 全体としては、導線は北から南へ。そういう動きとなっていた。
「結局……全部で二十日間?」
「帰りの飛行機の時差がありますから、プラス一日です」
「計二十一日かぁ。ちょっとした大旅行だね」
 うーんとうなりながら、綱吉は地図を見つめる。
 だが、これでも行き先は絞り込んだのだ。ガイドブックを開いていると、あれもこれも見てみたいものばかりで、全部列挙したら、それこそ半年ほどかけてイタリア全土を回らなければどうにもならないくらいだったのである。
 それを、獄寺の意見やインターネットで拾った情報を参考にしながら、ああでもない、こうでもないと取捨選択して、ようやく計画がまとまったのだった。
「行くのは本土だけなのにね。イタリアってほんと、観光地だらけなんだ」
「本当は島の方が、海は綺麗なんですが……」
 すまなさそうに獄寺は謝る。
 だが、綱吉は構わないと首を横に振った。
「それはもういいんだよ。南部のカラブリア州あたりの海も、写真で見るとものすごく綺麗だし、いくら綺麗で有名な海岸でも、観光客だらけの海じゃ俺はあんまり嬉しくないと思うから」
「すみません」
 謝罪を繰り返す獄寺に、ああもう、と綱吉は思う。
 ───旅行の計画を立て始めた一番最初に、獄寺は綱吉に、申し訳ないが今回は本土だけに行き先を絞って、シチリアやサルディーニャ、そしてカプリは外して欲しい、と告げた。
 理由は単純で、超高級リゾート地である真夏のサルディーニャのコスタ・エスメラルダやカプリには、マフィア関係の大物も当たり前の顔で闊歩しており、彼らに遭遇する危険は避けた方が良いから、そしてシチリア本島では、獄寺の顔がスモーキン・ボムの名と共に知られているから、だった。
 十代目にとって初めてのイタリア旅行を、つまらないいざこざで台無しにしたくない。
 そんな獄寺の思いを綱吉も素直に受け取り、了承して、旅の候補地には最初からそれらの地名を入れなかった。
 けれど、獄寺はそれを詫びるのだ。
 綱吉の希望をすべて通せない、ただそれだけの理由で。
 仕方がないなぁと心の中で苦笑しながらも、綱吉は獄寺の名を呼んだ。
「もう謝らないで、獄寺君」
 そう言うと、おそるおそる、という形容がぴったりな仕草で獄寺は顔を上げて、綱吉を見る。
 そのしゅんと耳を垂れた犬のような風情に、綱吉はこらえきれずに微笑んだ。
 まさか今更自分が怒るとでも思っているのだろうか。彼が綱吉のために、良かれと思って下した判断であるというのに。
「あのね、俺もこの旅行は目いっぱい楽しみたいと思ってるんだよ。だから、島に行かない方がいいっていう君の意見も当然だと思って、賛成した。君が強制したわけじゃない。俺と君とで、いいと思った方を選んで、決めたんだよ」
 獄寺が我を通したわけではない。綱吉が意に染まぬ選択をしたわけではない。
 二人で、良いと思うことを選んだのだ、と諭すように言うと、ようやく獄寺の表情が少しだけほぐれた。
「……はい。そう、でしたね。俺と十代目とで、決めたんだ」
「そうだよ。だから、君が謝る理由なんて何もないんだ」
「──はい。十代目」
 ようやく獄寺がうなずくのを見届けて、綱吉は満足する。
 そして、同時に、ほのかな温もりが心の奥に広がってゆくのも感じた。
(そう、こうやって二人で決めてゆける。この先も、色々なことを)
 綱吉がボンゴレの十代目である限り、そして獄寺が綱吉の右腕である限り。
 ありとあらゆる場面で互いの存在は不可欠であり、第三者の意見を交えながらも、二人で、良かれと思われる道を模索してゆくことになるのだろう。
 無論、綱吉が主で獄寺が従だという関係は揺らがない。
 それでも二人で、様々なことを成してゆくことはできる。互いに触れることも、抱き合うことも叶わなくとも。
(それで、いいんだ)
 少しだけ、自分たちの想いが行き着く場所を見つけられたような気がして、綱吉は安堵する。
 もっともその安堵は、恋心の前では決して長く続くものではないと、心のどこかで分かってはいたのだけれど。
「じゃあ、日程は決まったから、次は旅行に必要なものの準備だね。そのあたり、俺は全然分からないから、また教えてくれる?」
「はい。それじゃあ、俺が必要なもののリストを作ります。でも、海外ったってイタリアは一応先進国ですし、そんな大荷物は必要ないですから」
「そうだよね。人が住んでる所だもんね」
 笑って、綱吉は再び手書きの地図にまなざしを落とす。
 地図上の地名は流れるような筆記体なのに、細かな書き込みは漢字と平仮名という組み合わせが、いかにも獄寺らしくて、何だか微笑ましい。
「ねえ、獄寺君」
「はい?」
「楽しい旅行にしようね」
「……はい!」
 中学時代のように派手なリアクションを、獄寺が見せることはもうない。
 だが、あの頃と同じように瞳を輝かせ、はっきりとうなずく獄寺に笑んで、綱吉はしばしの間、海の向こうの国に思いを馳せた。



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