誰が為に陽は昇る 08

「じゃーな」
「またね、山本。練習、頑張って」
「おう。獄寺も、またな」
「……ああ」
 軽く上げた手を振って、山本が十字路を曲がってゆく。
 その後姿を少しだけ見送ってから、綱吉と獄寺も再び歩き始めた。
「山本、すっごい日に焼けてたね。少し会わなかっただけなのに」
「野球のことしか頭にない馬鹿っスからね、あいつは」
 褒めるようなことでもないと言いたげに獄寺は短く、綱吉に対するにしては素っ気無い口調で答える。
 それが、いかにも彼らしくて綱吉は少しだけ笑った。
「ねえ、獄寺君」
「何スか?」
「俺さ、イタリアに行ったら、山本の甲子園優勝のお祝いになるようなもの、探したいんだけど。食べ物じゃなくて、小さくてもいいから何か記念になるような……」
 身に付けられるものか飾れるもの、と綱吉は続ける。
「俺、そういうの詳しくないから、獄寺君が見立てるの手伝ってくれると助かるんだけどな」
「────」
 そう言うと、獄寺は恐ろしく複雑な表情になり、しばらくの沈黙の後、いかにも不本意極まりないのだが十代目の頼みであるのなら、というのが丸分かりの低く苦い声で答えた。
「……喜んでお手伝いさせていただきます」
「うん。ありがとう」
 真面目にお礼を言おうとしたのだが、どうしても声に笑いがにじんでしまう。
 と、獄寺は困ったように眉をしかめた。
「……十代目」
「何?」
 おそらくは、そんなに笑わないで下さいとでも言いたかったのだろう。
 だが、それでも笑いをこらえきれない綱吉に、獄寺は更に困ったような顔になり、それから諦めたように肩の力を抜いた。
「……いえ。俺は十代目のそういうところも尊敬してますから。どんなことでも、俺を頼みにして下さるのなら嬉しいです」
 獄寺の言葉に、ふと表情を切り替えて、
「──うん。頼りにしてるよ」
 それまでとは異なる微笑みを綱吉が浮かべると、獄寺は驚いたような表情になり、そして今度は本心から嬉しげな笑顔になった。
「はい。ありがとうございます、十代目」
「お礼を言うようなことじゃないよ。俺がしっかりしてないだけなんだから」
「そんなことないです! 十代目は御立派な方ですし、俺は十代目のお役に立てるのなら何だって……!」
「獄寺君」
 津波のような獄寺の言葉を、綱吉は足を止めて名前を呼ぶことでさえぎる。
 最近はこういった発言の回数は減っていたのだが、今夜は久しぶりに山本と会ったことで、獄寺のリミッターが多少緩んだのだろう。
 中学時代に戻ったみたいだな、と思いながら綱吉は、それでも中学時代とは違う、笑みを含んだ静かな瞳で獄寺を見上げた。
「今更言うことじゃないけど、俺は完璧なんかじゃないよ。完璧じゃないから、君を頼りにしてるし、山本や皆が居てくれるとほっとする。俺が何一つ間違えず、一人で何でもできる人間なら、君たちのことも要らなくなるかもしれない。でも、俺はそんな風にはなりたくないんだ」
 静かな綱吉の声に、獄寺ははっと口をつぐむ。
 そして、途端に意気消沈した表情で、綱吉に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません、十代目。俺の言葉の選び方が軽率でした」
「ううん。君が俺のことを思って言ってくれてるのは分かってるから。大丈夫」
 もとより獄寺を咎めようとして言ったことではない。だから、綱吉も笑って前を向き、再び歩き出す。
「あの、でも十代目。俺があなたのお役に立てるのが嬉しいのは本当っスから……」
「うん。それもずっと前から知ってるから」
 何を心配してるの、と笑みを向けた綱吉に、獄寺は今度こそほっとしたように、こわばった肩の力を抜いた。
 その様子を横目で見ながら、綱吉は薄い雲がかかって星の見えない夜空を見上げる。
(そろそろ山本は家に着いたかな)
 先程の十字路からの距離でいうと、綱吉の家よりも山本の家の方が近い。途中で何事も無ければ、家に帰り着いている頃だろう。
 そう思った綱吉の思考は、自然、山本ともう一人の人間のことへと流れた。
(獄寺君は、今みたいに俺の一言で一喜一憂する。けれど、山本はそうじゃない)
 獄寺も山本も、共に戦ってきたかけがえのない仲間ではあり、比較する気はなかったが、二人に決定的な差を挙げるとしたら、その立ち位置だろう。
 山本も、自分が次期ドン・ボンゴレの守護者であることの意味は理解しているが、だからといって獄寺のような絶対服従を綱吉に誓ったりはしないし、綱吉の言動によって彼の心理状態や行動が大きく左右されたりもしない。
 彼にとっての綱吉は、あくまでも<友達>だから、どんな時でも揺らがない。揺らぎようがないのだ。
(俺にとっても、山本は獄寺君とは違う。守護者だけど、はっきり<友達>だって言える。)
(だったら<友達>として、山本は俺に何を望んでいるんだろう……?)
 ふと、そんな思いが綱吉の中に浮かぶ。
 このまま自分が正式にボンゴレ十代目になった時、守護者でありながら<友達>である山本は、何をどう見て、どう感じるだろうか。
(それよりも、俺は皆を守りたいと思って覚悟を決めたけど……守るってどういうことなんだろう)
 大切な人々にはそれぞれに違う思いがあるはずなのに、それぞれに違う形のそれらをどうやって守ればいいのか。
 守るというのは、どんなことを指すのか。
 不意に綱吉は、足元に大きな奈落が開いたような気分になる。
「……目、十代目!」
「え?」
 は、と呼ばれていることに気付いて顔を上げると、獄寺が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「な、何?」
「何って……通り過ぎてますよ、十代目のおうち」
「え!?」
 言われて周囲を見回してみれば、確かに見覚えのある街並みは、自宅よりも数メートル先に進んだ地点のものである。獄寺の言う通り、思考に没頭するあまり、通り過ぎてしまったらしい。
「ご、ごめん、俺、ぼーっとしてて……」
「いえ、それは構いませんが……」
 何を考えていたのか、とは獄寺は尋ねない。それは分を超えた質問だと思っているのだろう。ただ、気遣わしげに綱吉を見つめる。
「大丈夫。本当にちょっと考え事してただけだから」
「……はい」
 芯から自分を案じていると分かる獄寺の真剣なまなざしに、何でもないからと安心させるように笑って、綱吉は彼を促して行き過ぎた道を戻るべく歩き出す。
 だが、不意に心に浮かんだ疑問は、指先に刺さった小さな棘のように、そのまま当分消えそうにはなかった。



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