誰が為に陽は昇る 06

 旅行の計画を立てるのは、御迷惑でなければ十代目のお家でやりませんか、と獄寺が提案してきたとき、綱吉はその意図が分からないまま、構わないけれど、と答えた。
 ちょうどそこで授業開始のチャイムが鳴ったこともあり、そのまま授業が終わるまで獄寺も理由を説明しようとはしなかったため、綱吉がその提案の意味が理解できたのは、放課後、連れ立って沢田家に帰った時だった。
 普段なら丁寧な挨拶だけして二階にある綱吉の部屋へと上がる獄寺が、今日に限ってはそうではなく、奈々に向かって、ガイドブック等の資料が多いのでリビングのテーブルを使わせてもらえませんか、と言った時、ああそういうことか、と綱吉は全てが腑に落ちたような気がしたのである。
 獄寺をリビングに案内するのは奈々に任せ、自分の部屋に行って制服から私服へと着替え、階下に戻ってくると、階段を下りる足音を聞きつけたのか、ダイニングキッチンから顔を出した奈々が笑顔で綱吉を手招いた。
「何?」
「何って言うわけじゃないのよ。はい、飲み物とおやつ」
 二人分の氷と炭酸飲料が入ったグラスと、スナック菓子の乗ったトレイを差し出されて、反射的に綱吉は受け取る。
「あ、ありがと」
「どういたしまして。それよりも、ねえツナ。獄寺君って本当にいい子ね」
「え?」
 唐突に言われて、一瞬綱吉の脳内をクエスチョンマークが飛び交う。
 だが、すぐに笑顔の母親が何を言いたいのか理解した。
「ああ。リビングのこと?」
「そうよ。獄寺君ったらね、今日は暑いからドアは開けといて下さいって。そこまで私に気を遣ってくれなくてもいいのに」
 そう言いながらも、奈々は鼻歌を歌いだしそうに嬉しげで、綱吉も自然、頬が緩むのを感じる。
「そういうとこがね、獄寺君のいいとこなんだよ」
「本当にそうね。ツナ、あなたからありがとうって言っておいてくれる? それから、旅行の計画は全部決まってから、私に教えてくれればいいからって」
「分かった。でも多分、獄寺君のことだから、ずっとうちのリビングでやるって言うと思うよ?」
「それは構わないわよ。どこでも好きな場所を使ってくれれば。あと、よかったら今晩、夕食も食べていって、って」
「うん」
 うなずいて、綱吉は両手にトレイを持ったまま、リビングへと向かった。
 奈々の言った通り、大きく開かれたままのドアからは、テーブルの上に広げられているものが一望できる。
 何だかおかしくなって、綱吉は、獄寺君、と笑みの混じった声で名前を呼んだ。
「遅くなってごめん」
「いいえ。それ、お持ちします」
 条件反射のように立ち上がった獄寺は、テーブルとソファーを回りこんで、綱吉の腕からトレイを取り上げる。
 これくらい良いのに、と言いながらも綱吉は、彼の好きにさせた。『これくらい』のことなら逆に言えば、獄寺に任せたところで綱吉のもともと高くも大きくもないプライドが傷付くはずもない。
 テーブルの上に獄寺がグラスを丁寧に置くのを横目で見ながら、綱吉はソファーへと腰を下ろし、そして、獄寺も再びソファーに落ち着いたところで、切り出す。
「獄寺君、母さんがね、君にありがとうって」
「え?」
「そんで、計画は全部決まってから教えてくれればいいってさ。そう言いながらも、母さん、嬉しそうだったけど」
「あ、と……バレバレ、でしたか」
「うん。バレバレ」
 照れた様な困ったような顔で、頬をかく獄寺に綱吉は笑いかける。
 獄寺が沢田家のリビングを、旅行の計画を立てる場所に選んだのは、ひとえに綱吉の母・奈々のためだった。
 一人息子の初めての海外旅行を心配する彼女の不安を少しでも軽くしようと、その気になればいつでも計画の次第を彼女が見聞きできるリビングで、獄寺はガイドブックや地図を広げる事にしたのである。
「すみません、十代目。最初に御説明しなくて」
「いいよ、君の考えてることはすぐに分かったし。それに俺も嬉しかったから」
「え?」
「獄寺君はそこまで考えててくれるんだなーって。上手く言えないけどさ」
「そんなもったいない!……っていうより、当たり前のことしただけっスよ、俺は」
「そうかもしれないけどね」
 それを当たり前にできるのがすごいんだよ、とは綱吉は口に出さなかった。
 言ったところで獄寺は恐縮しまくりの否定しまくりで、どうせまともな会話にはならない。最後はいつもの照れた様な顔で笑ってはくれるのだろうけれど、笑顔自体は別の言葉でも引き出せるのである。
「あと、夕飯も食べていってって。遠慮なんかする必要ないから」
「え、でも俺、昨日も御馳走になったばっかで……そういうわけにはいきません」
「いーんだってば。母さん、賑やかな方が好きなんだから。獄寺君が食べずに帰るって言ったら、かえってがっかりするよ」
「あー、はい。じゃあ御馳走になります……」
 困ったように眉間に小さなしわを寄せながらもうなずく獄寺に、綱吉は自分も人が悪くなったなぁと思いながら、笑顔を向ける。
 戸惑うばかりなのをやめて、少し頭を使えば、獄寺という人間は実に扱いやすい。
 オトモダチごっこと言われようと何だろうと、どうせ今だけなんだし、と綱吉は開き直った気分で、テーブルの上に重ねられたガイドブックの一番上にあるものを手に取った。
「じゃあ、始めよっか。俺、行ってみたい所が沢山あるんだよ」
「はい、十代目。どこでも俺が御案内しますから、任せて下さい」
 綱吉の声に、すぐさま獄寺は眉間のシワを消して笑顔になる。
 それは、綱吉の一番好きな、嬉しげで楽しげな獄寺の表情だった。



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