目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ 10

「は……?」
 何と言われたのか、一瞬獄寺は理解できなかった。
 思わず顔を上げて、まじまじと綱吉を見つめる。と、その視線を受けて綱吉は、くすぐったそうに小さく笑んだ。
「獄寺君はすごいと思う。俺は、そんな風に自分が変わらなきゃとか、真剣に思ったことないから」
 やわらかな声で言われて、ますます獄寺の思考はフリーズする。
 だが、綱吉はそれに気付いているのかいないのか、一言一言考えるようにゆっくりと続けた。
「そりゃあ、俺だって少しは自分が変わったかなとは思うけど、いつも状況に追い詰められてっていうか、切羽詰まってのことで、自分から変わらなきゃいけないと思ったわけじゃないから。……ずっと変わりたいとか、変わらなきゃとかっていう気持ち自体は、心の中にあるんだけど、俺って駄目だなーって思うばっかりで、実行に移せないんだ。だから、俺はいつまでたっても駄目ツナなんだよね」
「そっ、んなことないですよ!」
 自嘲気味に笑った綱吉の気弱な笑みに、獄寺の硬直が解ける。
「十代目は、駄目ツナなんかじゃねーです!! 一番強くて、一番優しくて……!!」
「うん、ありがと。獄寺君は、いっつもそう言ってくれるね」
「本当ですよ!! 俺はいつも本気で言ってます!!」
 ありがとう、と言いながら綱吉の笑みは、弱かった。だから、獄寺は力を込めて言いつのる。
「十代目、あなただから……二年前に出会ったのがあなただったから、俺は変わったんです。変わって、もっとマシな人間になりたいと思うようになった。イタリアにいた頃は、俺は一度もそんなことを思ったことなかったんですよ。それどころか、自分が明日、生きてるかどうかってことすら興味なかった……!」
 たかが十歳かそこらで、自分は世の中を知った気分になって絶望していた。
 自分は何も知らないだけなのだということすら、気付かずに。
「あなたが俺を変えてくれたんだ。あなたにはそれだけの力がある。あなたが何でもないと思ってることが、俺にとっては全部、奇跡みたいなことばっかりなんです。あなたはもっと自惚れてもいいんですよ。駄目ツナだなんて、言わないで下さい……!」
 一気に言葉を継いで、熱くなった息を吐き出す。
 そして顔を上げると、綱吉は目を丸くしてこちらを見ていた。
「………すごい」
「え?」
 ぽつりと呟かれた意味が分からず、獄寺は聞き返す。
 と、綱吉はまだ半ば呆然とした表情のまま、言った。
「獄寺君の言葉聞いてたら、なんか自分がすごいみたいな気がしてきた。でも違うよね。すごいのは俺じゃなくって、そんな風に言える獄寺君の方だよ」
 もしかしたら、それは少しばかり声が大きめの独り言だったのかもしれない。
 そう感じた獄寺の内心を裏付けるかのように、言い終えてから、ようやく綱吉は自分を取り戻した表情で、獄寺を見た。
「獄寺君って、やっぱりすごいや」
「……だから、どうしてそういう結論になるんスか」
「だって、すごいじゃん。獄寺君は俺と同い年なのに、そんな風に考えて言えるのは、俺なんかよりずっと真剣に生きてきたからだと思うし。……そっか。そうなんだよね」
「十代目?」
 何やら一人で納得されても、こちらはさっぱり分からない。
 脳裏をクエスチョンマークでいっぱいにしながら銘を呼ぶと、綱吉は獄寺を見上げて、詫びるような気弱な表情をのぞかせた。
「ごめんね、獄寺君」
「へ!? な、何がっスか?」
「だって獄寺君は真剣に考えてるのに、俺、余計なこと言っちゃった気がするから。こうやって無理やり部屋まで押しかけちゃったし……。だから、ごめん」
「いえ、そんな、もとはといえば俺が悪いんですから……!」
「そんなことないよ。獄寺君は悪くない。でもさ」
 でも、と綱吉は獄寺の目を覗き込む。
 まっすぐに琥珀色の綺麗な瞳で見つめられて、知らず獄寺の心臓が跳ねた。
「変わりたいっていうのはすごいことだと思うけど、急いで無理に変わろうとするのは、あんまりいいことじゃない気がする。上手く言えないけど、今日の獄寺君、なんかすごくつまらなさそうだった。俺、獄寺君にはああいう顔、していて欲しくないよ」
 獄寺君は極端なとこがあるから、と綱吉は言った。
「獄寺君はさっき、俺に謝ったけれど、俺は別に、そのままの獄寺君でいいよ。そりゃ相手構わず喧嘩されると困るけど、でも今までもどうにかやってこれただろ? 獄寺君に悪気がないのは分かってるから、今のままでも構わないよ」
「十代目……」
 獄寺は何と答えればいいのか、分からなかった。
 あまりにも綱吉の言葉が優しくて、胸が締め付けられるようで言葉が見つからない。
 そのままでいい、なんて。
 絶望にも似た自己嫌悪で、この二日間、死にそうな思いを味わっていた獄寺にとって、その声は聖母マリアの声よりも慈愛に満ちて聞こえて。
 けれど、だからこそ。
「──ありがとうございます。そう言っていただけて、俺、すっげー嬉しいです」
 かろうじて獄寺は、泣きたくなるような気持ちを抑えて、笑顔を浮かべる。
「でも、やっぱり俺は変わりたいですから。十代目には、見てて下さいとしか言えません。もちろん、無理はしないし、十代目に御心配をおかけするようなことはしないと誓います」
「そんなことは誓わなくてもいいけど……。でも、そうだね。獄寺君が自分で決めたことだもんね。ごめん、俺、また余計なこと言ったみたいだ」
「いえ、全然余計じゃありません。俺、嬉しかったです。でも、俺も譲れねーことがあるんで、すみません」
「うん」
 分かっている、と少しだけくすぐったそうに笑って、綱吉は獄寺を見た。
「ありがとう、獄寺君。話してくれて」
「いえ。俺の方こそ、聞いて下さってありがとうございました」
 互いに目を見交わして、おそらく今日初めての裏のない、しかし、いつになく少しだけ照れを含んだ笑みを浮かべる。
 そして、はたと獄寺は、まだ飲み物さえ出していないことに気付いた。
「すみません、俺、飲み物も出さなくて。炭酸と、炭酸入ってないのと、どっちがいいですか?」
「あ、いいよ。俺、もう帰るから」
「え、もう帰られるんですか」
 つい先程、綱吉が部屋に来たいと言った時には拒みたがったくせに、いざ帰ると言われると、がっくりと気が沈む。
 おそらくそれがまともに顔に出たのだろう。獄寺がしおれた視線を向けると、綱吉は小さく破願した。
「じゃあさ、宿題のプリント、手伝ってもらっていい? 帰ってからリボーンとやるつもりだったんだけど、獄寺君が教えてくれるんなら、その方がいいや」
 リボーンはスパルタだから、と笑う綱吉に、一気に気分が上昇する。
「はい、喜んで!!」
 喜びに胸が詰まるような感じを覚えながら、獄寺は心の底から答えた。



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