目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ 04
「あれ……」
どこだろう、と周囲を見渡して思う。
風景には取り立てて目立つものがなく、ただ真っ直ぐに道が続いている。
見覚えのない風景だった。日本なのかイタリアなのかさえ、判別が付かない。
空を見上げても、薄い雲がかかっているようで、色彩の違いがよく分からなかった。
「どこなんだよ、一体」
ぼやきながら目線を前方に戻したとき、遠くに人影が見えた。
「あれは……」
一人ではない。
何人かの後姿だ。背が高かったり低かったり、大小取りまぎれたシルエットが楽しげに喋りながら、道の先へと歩いてゆく。
その中央にいる人影は、見間違えようもなかった。
「十代目!」
喜びに満ちた声で銘を呼んで、そちらへと駆け出す。
けれど。
「十代目!?」
どれほど叫んでも、走っても、その人は振り返らず、距離も縮まらず。
それどころか、後ろ姿は遠ざかり、シルエットも薄れてぼやけてゆく。
「十代目、待って下さい!」
どれほど必死になっても。
「俺です! 獄寺です! ここに居ます!!」
心が焦りを増すのとは裏腹に、大切な人の姿が遠く消えてゆく。
「十代目!!」
はっと見開いた目の先に広がっていたのは、白い天井だった。
心臓がばくばくと音を立てているのが、はっきりと聴こえる。
全身ぐっしょりと汗に濡れており、自分の叫んだ声で目が覚めたということに気づくまで少し時間がかかった。
「ゆ…め……」
部屋の中は薄明るい。
ということは、そろそろ夜明けであり、時刻でいえば五時半頃になるのだろうか。
「な…んて夢だよ……」
くそ、と獄寺は呟いて起き上がり、汗に濡れて額にはりつく前髪を乱暴にかき上げる。
昔に読んだフロイトの夢判断を記憶の底から引っ張り上げるまでもなく、夢の原因は明らかだった。
自分を繊細だと思ったことはないが、就寝前に色々考えすぎると、時々、こういうことが起きる。夢の中まで問題を引きずっていってしまうのだ。
だが、そうと分かっていても今日の夢は最悪だった。
誰にも──綱吉にすら気付いてもらえず、自分一人が取り残されるなんて。
「ちくしょ……」
乱暴な仕草でベッドサイドに置いてあった煙草とライターを取り上げ、火をつける。
けれど、今朝は馴染んだ煙の味すら空虚に感じられて、獄寺は立てた膝に肘をついて、顔を伏せた。
そのままどれほどの時間が過ぎただろうか。
丸々一本分の煙草を吸いもしないまま灰に変え、吸殻を灰皿にもみ消した後、獄寺はカーテンがかかったままの窓へとまなざしを向ける。
カーテン越しの眩しさからすると、今日も天気は良いのだろう。祝日でも何でもない水曜日だから、もちろん学校もある。
だが、今日は学校に行きたくなかった。
否、学校に行きたくないのではない。というより、学校など最初からどうでもいい。
綱吉に、会いたくなかった。
「十代目……」
本心ではもちろんいつだって、彼には会いたい。
優しくて温かい人の傍に、いられる限りずっといたい。
その気持ちが変わることは、おそらく獄寺の命が終わるまで永久にないだろう。
けれど、自分の裡にある、右腕にあるまじき不条理な独占欲に気づいてしまった今、どんな顔をして彼の前に立てばいいのか分からなくなってしまったのだ。
こうして考えている今も、心に浮かんでくる面影は、自分が彼の意に染まないことをした時に向けられる困惑を含んだ非難の表情ばかりで、それ以外の顔は一番好きな笑顔ですら、今朝は思い出せなくなってしまっている。
こんな精神状態で平静を装い、綱吉の前に立つのは到底不可能な話だった。
これまでに自分が気付かずにしでかした数え切れないほどの失態を思うと、今日は彼の目をまともに見る自信すらない。
だが、それでも獄寺が学校に行かなければ──いつものように迎えに行かなければ、綱吉は心配するだろう。
たとえ仮病を使ったところで、あの優しい人を心配させることは変わらない。
そうと分かっていて、学校を休むことは獄寺にはできなかった。
「行かなきゃ、な……」
どこまで取り繕えるかは分からない。きっと綱吉にも、何かを気付かれてしまうだろう。
だが、それも仕方のないことだった。
自分の愚かさが招いた罪なのだ。甘んじて受け止めるしかない。
ああ、それとも彼に謝る方が先だろうか。
これまで不合理な独占欲を押し付けてきてしまったことを、平身低頭として謝らなければならない。
たとえ、許さないと言われたとしても。
「───…」
まだ起き出すには早すぎる時刻だが、二度寝など到底する気にはなれない。
唇の動きだけで大切な人の銘を呼び、のろのろと獄寺はベッドから降りて、シャワーを浴びるべく動き出した。
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