目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ 03

「───…」
 疲れた気分で、獄寺はマンションの玄関を開け、明かりをつけながら奥のリビングまで向かった。
 ブレザーの上着をソファーの背に放り投げ、腰を下ろして煙草に火をつけて深く吸い込み、吐き出す。が、気分は重いままだった。
 正直な所、先程まで一緒にいた綱吉に対し、上手く笑えていたかどうかまったく自信がない。
 だからこそ、沢田家での夕食への誘いを固辞して帰ってきたのだが、日々鋭さを増しているように感じられる綱吉の察しの良さの前では、何一つ隠せたような気はしなかった。
 心配させてしまっただろうか、と思う。
 最近は、綱吉もポーカーフェイスが上手くなったというか、仲間の前では内心を吐露するような表情や仕草を隠してしまうことも多いため、逆に獄寺が彼の内心をうかがい知ることは難しい。
 もとより歪みのない性格をしている綱吉であるから、状況を考え合わせれば、直接訊かずともある程度の答えは出るものの、それが正解であるのかどうかは微妙な所だった。
「十代目、か」
 獄寺の気分が沈んでいる理由は、無論、リボーンに屋上で言われた一言である。
 ───ツナはお前のボスになるんじゃねえ。大ボンゴレのボスになるんだ。
 言わずもがなの事実であるように聞こえて、それは獄寺にとっては重い意味を含んでいた。
 遠くない将来、九代目の跡を継いで十代目となる綱吉が立つのは、イタリア・マフィア界に君臨するボンゴレファミリーの、更に頂点の地位。
 それは、彼が万に達するほどの構成員<名誉ある男たち>の崇拝と忠誠を受ける立場になる、ということだった。
 無論、ドン・ボンゴレの存在は機密中の機密であり、その本名や外見を知るのはごく一部の幹部と、同盟ファミリーのボスクラスに限定されている。
 それでも全ての構成員はドン・ボンゴレに忠誠を誓い、ドン・ボンゴレは全ての構成員に対し、平等に生殺与奪の権利を握る。
 あくまでも、平等に。
「俺は……」
 獄寺はずっと、十代目の右腕になる、と言い続けてきた。
 ボンゴレのボスに限らず、どこのファミリーでもボスの右腕と呼ばれる幹部や、ボスの絶対の信頼を受ける側近というものは存在している。
 逆に言えば、そういう幹部や側近がいなければ、ボス一人で数百、数千の構成員からなるファミリーを掌握し、維持していくことは不可能なのだ。
 だから、獄寺が相応の実力さえ身につければ、綱吉の右腕になることは別段、実現不可能な未来図ではなかった。
 けれど。
「十代目……」
 獄寺にとって、綱吉は絶対の存在だった。
 出会ったその日から、彼を唯一の主人と定めて、これまでできる精一杯のことを努めてきた。
 その甲斐あってか、昨年、嵐の守護者としての立場を認められることにも成功した。
 そのことには何の不満もない。
 ないけれど。
(俺の中には、他の連中と同列に扱われるのは嫌だと思っている俺が居る)
 今日、リボーンに言われるまで、その感情は当然のことだと思っていた。
 何故なら、自分は綱吉の右腕になる人間なのだから。
 綱吉にも別格の扱いをされて当たり前だと思っていた。
 だから、山本や他の連中が少しでも綱吉に馴れ馴れしく接したり、逆に綱吉が彼らに親切にすることが、どうしようもなく気に障った。
 けれど。
 よく考えてみれば、綱吉が仲間たちに親密に接するのは、ボンゴレのボスとして当然のことなのだ。
 現に、イタリア本部にいる九代目は誰に対しても親しみを込めて接することで信望を集めており、末端の構成員でしかなかった数年前の獄寺に対する態度でさえ、例外ではなかった。
 そして、その九代目に気質がよく似ているといわれる綱吉が、誰に対しても穏やかで親切なのは、当然を越えて必然のことでしかない。
 なのに、それを嫌だと、気に障ると感じるのは。
「俺の……我儘だ」
 泣きたいほどの気持ちで、獄寺は呟く。
 ───俺だけを見て下さい。
 ───俺だけを褒めて下さい。
 ───他の連中のことなんか、気にかけないで下さい。
 仲間たちのことを、どうでもいいと思っているわけではない。
 彼らもファミリーの一員であり、必要な存在だと感じているのは確かだ。なのに、自分の中には、道理の分からない幼児のように独占欲に満ちた欲求を叫んでいる自分がいる。
 今日初めて気付いた、あまりにも醜くてみじめな、その姿。
「山本のヤローにも言われたのに、な……」
 あの時は分かったつもりだった。けれど、芯の所は分かっていなかったのだ。
 仲間と協調できればいいというものではない。
 綱吉以外の相手を信用できればいいというものでもない。
 自分が気付かなければいけなかったのは、己の心の在り様そのもの。
 親の愛情を独占したがって泣きわめくような、みじめな子供のような自分。
「すみません、十代目」
 そんな醜く我儘な自分を、これまで綱吉に押し付けてきたのかと思うと、たまらなかった。
 誰よりも優しい、澄み切った青空のような人には、自分も優しくて綺麗なものだけ返したいと思っていたはずなのに。
「すみません、ごめんなさい……」
 何の役にも立たない、聞く人すらいない謝罪だけが、ただ零れ続ける。
 泣きはしなかった。
 こんなにも醜い自分には、嘆く資格すら本当はない。
 だが、声を上げて泣きたい、と心の底から思った。



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