目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ 02

「───」
 たるいな、と思いながら獄寺は、頭上に広がる空を見上げる。
 学校という場所は根っから性分が合わないというか、好きではないが、それでも何箇所か居心地のマシな場所があり、今いる屋上もそのうちの一つだった。
 フェンスに背を預けて寄りかかっていると、後頭部の遥か下から運動部の元気な掛け声が聞こえてくる。
 もしかしなくとも、その中には山本の声も混じっているのだろうか。
 だとしたら最悪であり、一体何が楽しいのだか、と悪態をついたが、それでBGMと化している声が静まるわけでもない。
 待つべき人がいなければ、今すぐ帰っちまうのに、と思いながらも、獄寺はその場を動かなかった。
 自他共に認める『十代目命』を標榜する獄寺が、こんな風に一人、放課後の屋上にいるのにはもちろん、理由がある。
 今日は、学校行事と勉強に日常を縛られる中学生生活の中でも、もっとも最悪なものの一つ、三者面談が行われているのだ。
 昨日から三日間の間、授業は午前中のみで、午後からは出席番号順に、担任と生徒、更には保護者が顔を突き合わせて、生徒の成績や学校生活、進路についてあれこれ話し合うのである。
 想像するだけでもぞっとするのだが、獄寺の場合、面談そのものをばっくれるつもりだったのに一体どこからネタを聞きつけてきたのか、保護者を自称して押しかけてきた姉ビアンキと、更にわいて出た、目当ては明らかにビアンキの自称保護者その2・校内医シャマルのおかげで、昨日、本気で散々な目に遭った。
 唯一の救いは、彼女たちのあまりの無茶苦茶さ加減に、担任も面談を成立させる努力を日本海にも届く勢いで放り投げ、最後はどこかほろりとしながら「お前の境遇は分かったが、強く生きろよ」だとか何とか言って、普段の生活態度のひどさにも納得する様子を見せてくれたことだろうか。
 それすらも、最初から学校のルールなど守る気のない獄寺には、てんで意味のないことなのではあったが、少なくとも今後、校則違反についてさほどうるさくは言われなさそうなのは、悪いことではなかった。
「十代目、まだかなー」
 見上げた空は、馬鹿みたいに青い。
 日本の秋の空を見るのはこれが三度目だったが、この時期の空の色は、少しだけイタリアの空の色に似ているように思う。
 だが、それでもイタリアの空に比べると色彩がやわらかく、見上げていると吸い込まれそうな錯覚に陥る。
 そのやわらかく澄んだ、胸に染み入るような色合いが、獄寺は好きだった。
「十代目ぇ」
 携帯電話の時刻表示を確認した限りでは、ちょうど綱吉は今頃、面談の真っ最中だろう。
 ということは、面談を終えてここにやって来るまで、あと十分くらいはかかることになる。
 綱吉を待つことには何の苦もなかったが、彼から離れて一人でいることが何とも心もとなく、寂しかった。
「十代目」
 寂しい、なんていう感覚は、もうずっと忘れていたのに、と思いながら、また空を見上げる。
 と、その時。
「十代目、十代目、うるさい奴だな、相変わらず」
 幼い声質には見合わない、妙に歯切れのいい台詞が不意に耳に飛び込んできた。
「う、わ、リボーンさん!?」
 慌てて顔を横に向けると、一メートルほど離れた位置のフェンスの上端にリボーンが腰を下ろしている。
 もちろん誰かがやってきた気配も物音も無かったため、心底驚きはしたが、声ですぐに誰かは分かったので、獄寺が落ち着きを取り戻すのは早かった。
「何スか? 十代目ならまだ……」
「何でも、十代目、なんだな。お前は」
「え?」
 獄寺の言葉をさえぎるように紡がれたリボーンの声には、明らかな呆れのようなものが感じられて、獄寺は思わず目を見開く。
「あの……?」
 予想外のことを言われたりされたりした場合、人の頭脳はそれほど早く回転しない。戦闘中ならまだしも平時であれば、天才クラスの知能指数を有している獄寺も、そのあたりは凡人とさほど変わりなかった。
 ただ、リボーンは自分に話があるらしい、それだけは戸惑いながらも悟る。
 そして、それがあまり良い話ではないらしいことも、彼の声の調子から感じ取った。
「獄寺」
「はい」
 名を呼ばれて、知らず背筋が緊張する。
「お前は、いつになったら成長する気なんだ?」
「は……」
「いい加減、目を覚ませ。ツナはお前のボスになるんじゃねえ。大ボンゴレのボスになるんだ」
 一瞬、それは当たり前のことではないか、と思いかけた次の瞬間、思考がくるりと回転する。
 沢田綱吉という人間が継ぐのは。
 ───ドン・ボンゴレの座。
 それはつまり。
「リボーンさ……」
 はっと獄寺が我に返って見た時には、もうそこには誰の人影もなかった。
 周囲を見回しても、誰もいない。
 屋上から屋内へと続く、金属製のドアが開閉した物音を聞いた覚えもない。
 だが、決して幻でも、空耳でもなく。
「オ、レは……」
 獄寺は愕然と上空を見上げる。と、背中がフェンスに当たって、金網がガシャンと耳障りな軋みを上げた。
「……俺は……」
「獄寺君!」
「!」
 突如、聞き慣れたやわらかな声で名を呼ばれて、獄寺は慌ててドアの方を見る。
 と、綱吉が小走りに駆けてきた。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「いえ、俺は全然平気っスよ。そんな走って来られなくても良かったのに」
「うん。でも、待っててくれるんだから、悪いと思って」
 笑いながら言う綱吉の呼吸ははずんでいて、二階の教室からここまで階段を駆け上がってきたことは明らかだった。
 しかし、そんな綱吉の笑顔が、ふと曇る。
「獄寺君、どうかした?」
「え?」
「あ、何でもないんならいいんだけど。何かあったみたいな顔してるから」
 その言葉に、獄寺は内心ぎくりとするが、表情では何でもなさをつくろった。
「ああ、それなら多分、空を見てたせいっスよ」
「空?」
「ええ。今日は良く晴れてるんで、ずっと見てたら、立ちくらみっつーか目がくらんだみたいになっちまって」
「ふぅん?」
 相槌を打ちながら、綱吉も空を見上げる。
 そして、ほんとだ、と呟いた。
「今日は全然空なんか見てなかったから、気付かなかったよ。ほんと、すごく綺麗だね」
「でしょう?」
「うん。真っ青」
「だから、ずっと見てたら何か平衡感覚がおかしくなっちまって。でも、もう大丈夫ですから」
「そっか。それならいいけど」
 具合悪いなら無理しないでね、と綱吉は微笑んで、獄寺を見上げた。
「じゃあ、帰ろっか」
「はい」
 歩き出しながら綱吉は、三者面談の内容について話し始め、それに相槌を打ちつつも屋内へと続く扉をくぐる前に、もう一度、獄寺は頭上に広がる空を見上げる。
 だが、高く澄んだ空には一面の青以外、何一つ見つけることはできなかった。



NEXT >>
<< PREV
<< BACK