去り行く日々の足音に 23

 二階の綱吉の部屋に明かりがついたのを見届けて、獄寺は踵を返す。
 ゆっくりとアスファルトを歩きながら、煙草を一本取り出して加え、火をつける。そして、口の中に広がる苦味を感じながら、大きく息を吐き出した。
(言うべきじゃなかった)
 否、言わなければいけないことだった。それは間違いない。
 ただ、遅すぎたのだ。言うのならもっと前、それこそイタリア語を教えて欲しいと請われた時に言うべきだった。
 だが、どうして自分の言葉を契機にして、彼が覚悟を固めてしまうなどと予想できただろう。
 今ですら、自分の言葉の何が彼を刺激したのか、まったく分からない。
(情けねえ)
 結局、自分は彼の何にも役に立ちはしない。
 あの人の幸せのためなら何でもできると息巻きながら、それだけの人間だ。ちっぽけ過ぎて、乾いた笑みすら浮かんではこない。
 けれど、それでも。
(あなたは、こんな俺のために嘘をついてくれた)
 確かに、彼の決断に自分が影響するなどと考えたのは、僭越極まりなかった。彼が否定したことを疑う気はない。
 けれど、決めてない、というのは彼の優しい嘘だ。
 彼が何と言おうと、先程確かに、今日の午前中までは感じなかったひそやかな痛みと、それを覆い包む目もくらむほどの強さが、彼の横顔に透けて見えた。
 彼は否定したけれど、自分が見間違えるはずもない。
 五年前のあの日から、何度も何度も繰り返し目の当たりにし、強烈に惹かれ続けてきたまばゆい黄金の輝き。敵を前にしていたわけでもないのに、それが夜道を歩く彼を包んでいた。
 けれど、それでも彼は。
 まだ、決めてはいない、と。
 彼にマフィアになって欲しくないというこちらの身勝手な思いを汲んだ、優しく、ほろ苦い執行猶予を与えてくれたのだ。
「十代目……」
 ただ一人と心に定めた主の銘を呼び、ぐ、と獄寺は拳を握り締める。
 ───今度の夏が終わるまで。
 彼はそう言った。
 ならば、それまでには、自分も覚悟を決めなければならない。
 ボンゴレ十世の右腕として彼の傍らに立ち、その優しい手を血と硝煙に染めてゆくだろう彼を憐れむのではなく、毅然として支える覚悟を。
 彼が彼に似つかわしくない、どんなに非情かつ残酷な命令を下しても、顔色一つ変えずに忠実に実行する覚悟を。
 そして、もう一つ。
(あなたはこの先永遠に、俺一人のものにはならない)
 他者の影を感じることなく二人きりでいられるのは、今、この国にいる間だけだった。
 ドン・ボンゴレは、ファミリー全てのもの。
 ファミリー全ては、ドン・ボンゴレのもの。
 それは決して冒されることのない不文律。
 彼を自分だけのものにしたいなどとは、もうこの先、夢想することすら許されない。
 三年前、リボーンに冷や水を浴びせかけられて自覚した想いは、もはや永遠に叶わない。
(叶うなんて、思ったこともねぇけどな)
 誰よりも優しい、綺麗な人。
 好きだった。いつからなんて分からない。気がついたら、この想いだけが自分の存在意義だった。
 世界でたった一人、これからも一生、この命が尽きるまで愛し続けるだろう。
 それは変わらない。
 だから。
 泣きたいような思いで唇を噛み締める。
 ───覚悟を。
 最愛の主がくれた、優しい執行猶予が終わるまでに。



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