去り行く日々の足音に 22

「ただいまー」
「あら、おかえりなさい。すぐに御飯よ」
「うん」
 台所で揚げ物をしながら振り返った奈々にうなずき、綱吉はテーブルの指定席で夕刊を読んでいるスーツ姿の赤ん坊をちらりと見やった。
「ただいま、リボーン」
「おう」
 返答はそれだけだった。紙面から顔を上げすらしない。
 異様に察しのいい家庭教師のことだ。何かを言われるのではないかと少しばかり身構えていた綱吉は、少しばかり拍子抜けした気分で肩の力を抜く。
 だが、踵(きびす)を返して階段に向かいながら、獄寺が気付いたのにリボーンが気付いていないわけがない、とすぐに思い直した。
 綱吉が決めたのなら、自分が言うことなど何もない。
 おそらくリボーンの真意はそんなところだろう。こちらが正式に口に出すまでは、これまで通りのスタンスを通すつもりに違いなかった。
(そういうところ、あいつはクールだもんな)
 心根が冷たいわけでは決してないが、リボーンは常に他人に対して突き放した態度を取る。一定の線を越えることは、自分のためにも相手のためにもならないと知っているからだ。
 いつもはそんな彼の態度を冷たいと感じることも多いが、今夜ばかりは、何か言われたら自分がどう反応するか自分でも予想がつかないため、そんな彼の態度がありがたいと少々複雑な心理で思う。
(何しろ、こんな形で覚悟が決まるなんて、自分でも思ってなかったし……)
 二階に上がり、自分の部屋のドアを開けて明かりをつける。
 そして、そのまま綱吉は、ゆっくりと窓辺に歩み寄った。
 まだカーテンの閉まっていないガラス窓越しに見下ろすと、思った通り、夜道を歩き去ってゆく獄寺の後姿が見えて。
 こつりと綱吉は、冷たいガラスに額をぶつける。
(……どうして気付いたの)
 今更ながらのように、心臓が鉛の足枷を引きずるかのように重く鼓動を打っているのを感じる。
 自分はいつもと同じように振舞っていたはずだったのに。
 それでも、何かが違ってしまっていたのだろうか。
 自分の表情に、言葉に、彼は何かを見てしまったのだろうか。
 できれば、彼には──ボスになる必要などないと言ってくれた彼には、自分の口から告げるまで気付かないでいて欲しかったのに。
「……でも、気付かれちゃったものは仕方ない、んだよな……」
 獄寺は、彼自身が自分の右腕となることを夢見るのと同じくらいの強さで、自分がマフィアにならない道を選ぶことを望んでくれた。
 ならば今日、早々に気付かれてしまった自分の決意は、彼にとっても、自分を真実、ボスと仰ぐ覚悟を定めるためのきっかけとなるのかもしれない。
 それはおそらく、彼にとっても自分にとっても、ひどくほろ苦い執行猶予ではあるのだろうけれど。
「信じられないよね。俺がマフィアのボスだなんて」
 自分の手のひらを見つめ、綱吉は淡く自嘲する。
 昼間に獄寺が言った通り、ボスになりたくなければ、まだ逃げる余地はあるのかもしれなかった。マフィアの世界を知り尽くしている彼が言うことだ。おそらくは確証があっての発言だったのに違いない。
 けれど。
「それでも、俺がボスになることでしか守れないものがあるのなら……」
 迷う理由など、もうどこにもない。
 それはきっと、自分が想像しているよりも遥かに恐ろしく、冷たい修羅の道ではあるのだろうけれど、自分は決して一人ではないから。
 だから。
「ごめんね……」
 もう一度小さく呟いて。
 綱吉は、そっと窓辺を離れた。



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