去り行く日々の足音に 18

 午後の窓辺には、水晶を砕いたような初夏の陽射しがきらめいていた。
 そして、その向こうには雲ひとつない青空が見える。
 その風景へとまなざしを向けながら、綱吉は獄寺の言葉を静かに反芻していた。
 ──ボスになる必要はありません。
 そんな言葉を彼から聞くとは、夢にも思ったことはなかった。
 この五年間、ずっと自分がボスになることは当然で、彼自身がその右腕になることも当然だと疑わないような言動ばかりを繰り返していたのに。
 けれど。
(そうか。そのせいだったんだね)
 二年前、イタリア語を教えて欲しいと頼んだ時に、獄寺の瞳に一瞬浮かんだ迷いの色を何故だろうと思ったことは、今でもまだ良く覚えている。
 そして、自分がイタリアのことを問いかけると、時々困惑の表情をかすかに見せることも。
 これまでは単純に、それはイタリアには良い思い出があまりないせいだろうと思っていたのだけれど。
(やっと、分かった)
 何故、これまで度々迷いの色を見せていたのか。
 何故、今、獄寺がこれまでの言動を全否定するようなことを口にしたのか。
(──全部、俺のため)
 ここまで来て今更ボンゴレのボスにならないなど、普通に考えれば許されることではない。
 リボーンがもし、獄寺の言葉を耳にしたなら、即座に撃ち殺そうとするだろう。それほどに獄寺の発言は、ファミリーにとって重大な裏切り行為だ。
 それくらいのことは、まだマフィアではない自分にも分かる。
 そして、獄寺が死の制裁を覚悟した上で、彼自身の夢をも捨て去るつもりでいることも。
 そこには何の打算も策謀もない。
 全てはただ、沢田綱吉という人間のために。
 その未来のためだけに。
(馬鹿っていうんだよ。そういうのは)
 究極の大馬鹿、と心の中で呟きながら、綱吉はゆっくりと獄寺へと視線を戻す。
 彼は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
 必死と呼んでもいいほどに、真剣なまなざしで。
 ───霧がかった湖のような、美しい灰緑。
 感情が激したときには銀灰に、笑ったときには翠緑に、意気消沈したときにはくすんだ苔緑に。
 感情のままに繊細に色合いが変わる彼の瞳の色が好きだった。
 否、瞳の色ばかりではない。
 やっと、分かった。
 いつでも馬鹿みたいに自分だけを見つめて、我が身を省みず全てを投げ出して自分のためだけに尽くしてくれる人。
 これまでに何度、彼に庇われ、救われたか知れない。
 それは決して身体的なことばかりではなく。
「獄寺君」
「はい」
「ありがとう」
 心から告げる。
 こんな自分のために、全てを投げ捨てても構わないと言ってくれた人に。
「君がそう言ってくれたこと、俺は絶対に忘れないから」
 獄寺の瞳が驚きに見開かれるのを見つめながら、すべての想いを込めて、綱吉は微笑んだ。



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