去り行く日々の足音に 16

 ──ボスにならなくてもいい。
 自分がこんなことを言うことになるとは、思いもしなかった。あまりの現実の苦さに、自嘲の笑みを浮かべる気にもなれない。
 ドン・ボンゴレとなった綱吉と、名実共にその右腕である自分。
 その夢ばかりを、獄寺はこの五年間追い求めてきた。
 そんな獄寺が、綱吉がボスになることを否定するのは、完全な裏切り行為といっていい。
 リボーンやファミリーの人間にこの発言を知られたら、おそらく消されるか、よくても私刑で半死半生にされるだろう。
 そして、もしかしたら覚悟を固めていたかもしれない綱吉に対しても。
 どうして今更君がそんなことを、と激昂され、非難されても仕方がなかった。
 獄寺も、リボーンと共に綱吉を追い詰めてきた側の人間なのだ。
 それでも、このままではおそらく確実にボンゴレ十代目を継いでしまうだろう綱吉を黙って見ていることは、獄寺にはできなかった。
(俺にしか、言えない)
 リボーンはもちろん、ボンゴレ九代目に恩義を感じているキャバッローネのディーノも、綱吉にボスにならなくてもいいなどとと告げることは有り得ない。
 また、マフィアではない人間が口にしても、それは意味を成さない。
 マフィアの世界で育ち、ボンゴレ・ファミリーの一員と見なされている獄寺であるからこそ、綱吉がボスになることを否定する言葉は、初めて意味と重みを持つのだ。
 加えてもう一つ、獄寺には確信があった。
(今なら、まだ間に合う)
 この五年間ずっとリボーンと綱吉のやりとりを間近で見ていたが、リボーンはボスとしての心構えを説くことはあっても、ボンゴレの組織や活動の実情については、必要以上に綱吉に教えることはなかった。
 必要に応じて最低限の知識だけを口にし、その内容はマフィアについて書かれた本でも読めば分かる程度の事にとどめられている。
 その意味するところは、一つだった。
 おそらく九代目の指示なのだろうが、綱吉はまだ次期ドン・ボンゴレの『候補』であって、正式なファミリーではないのだ。だからこそ、情報が制限される。
 逆に言えば、綱吉はまだボンゴレの本当の姿を知らない。
 それはまだ、綱吉が逃げ出せる余地がある、ということだった。
 獄寺は、こちらを見つめている綱吉の、広げた雑誌の上に軽く置かれた手へと視線を向ける。
 これまでの度重なる抗争のために幾つもの小さな傷痕があるものの、綺麗な、優しい手だった。
 この手に何度救われたか知れない。
 だが、ドン・ボンゴレになれば、この綺麗な手も間違いなく血と硝煙の匂いに染まる。
 ファミリー間の抗争や裏切り者の処分といったことは日常茶飯事に起こることであるし、ボンゴレの扱う『商品』には、武器弾薬や麻薬も当然、含まれている。そこらのファミリーのような利益目的ではなく、流通の統制が目的ではあるが、それでも扱っていることには変わりない。
 そんなものに彼を触れさせたくないと思うのは、獄寺のただのエゴかもしれない。
 けれど、この優しい手がクラック(精製コカインの結晶)や拳銃にためらいなく触れる、そんな光景を見たくない思いは本物だった。
 それが、自分が見た黄金の色の夢を投げ捨てることに繋がるのだとしても。
 彼が暗黒の世界に身を堕とすことへの恐怖に比べれば、夢を失う痛みなど、縫い針を指先に刺したほどの苦痛ですらない。
 そんな自分の小さな欲などどうでもよいくらいに大切な存在を、獄寺は真っ直ぐに見つめた。



NEXT >>
<< PREV
<< BACK