去り行く日々の足音に 14
上天気の今日、屋外は暑いくらいだが、マンションの上階なら窓を開ければ、まだ冷房は必要ない。
獄寺が手早く二人分の炭酸飲料のグラスを用意してリビングに戻ると、綱吉は先週からテキスト代わりにしているイタリアのスポーツ雑誌を開いて眺めていた。
「分かります?」
「まぁ何となくだけどね。……このフレーズ、何て意味?」
「どれです?」
「ここ。“Hanno ottenuto avidamente la vittoria.”」
「直訳すると、“彼らは貪欲に勝利を得た”。もう少し日本語らしくすると、彼らは貪欲に勝ちに行った、ってとこっスね。時制や語尾変化は分かりますか?」
「うん。“avidamente”の意味が分からなかっただけだから」
笑って答えてから、綱吉はトレイに載った炭酸の泡のはじけるグラスを見て、ありがとう、と短く礼を言った。
そして再び、雑誌へとまなざしを落とし、発音を確かめるように小さく呟きながら、ゆっくりと文章を読んでゆく。
二人がいる位置まで直射日光は入ってこないが、南に面した室内は明るく、少し目を伏せた綱吉の睫毛が金茶色に光っている。
それに気付いた時、獄寺は先程、映画館で彼の涙を見たときに感じたものと良く似た痛みを、胸の奥に感じた。
───自分とは比較にもならない、きれいで優しい人。
この人だ、とずっと思ってきた。
自分の上に立つのは、大ボンゴレの頂点に立つのは。
この人よりふさわしい人はいない。そう感じるのは今も変わらない。否、時を経て、彼が強さを増してゆくのを目の当たりにすればするほど、確信は深まる一方だ。
確かに綱吉には、見た目の頑強さ、恐ろしさはない。けれど、そんな薄っぺらな外見など足元にも及ばないものが、彼にはある。
この人なら、あの一癖も二癖もある幹部たちや、その他大勢の構成員をまとめてゆける。
傘下の同盟ファミリーをも魅了して、ともすれば血で血を洗う大抗争に陥りがちなシシリアン・マフィアの世界にそれなりの秩序を持たせ、安定に導くことが出来る。
幼い思い込みではなく、生まれた時から暗黒の世界で育ってきた、裏の世界でしか生きられない男の目で見たときのそれが結論だった。
けれど。
それでいいのか、という思いが同時に沸き起こる。
初めて危機感にも似た思いを感じたのは、二年前に綱吉がイタリア語を教えて欲しいと求めてきたときだ。
いつものように快諾できず、一瞬の間が空いた。
そこから始まって、綱吉のイタリア語の語彙が増え、少しずつ会話が滑らかになってゆくのを感じるたび、彼がイタリアに関するものに興味を示すたび。
何かが獄寺の中に降り積もってゆく。
危機感のような、焦燥感のような、何か。
───言わなければ。
もう、言わなければならない。
自分たちは高校三年生で、この秋には十八歳になる。
もう時間は残り少ない。
だから、今、言わなければ。
やっと正体が掴めた、この危機感の、焦燥感の理由を。
「十代目」
そう呼ぶと、綱吉はいつもと同じように、何?と顔を上げて、深い琥珀色の瞳でこちらを見た。
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