狼たちの挽歌 03

「さっきもさ、ファミレスでサンキュな。ツナのこと、止めてくれただろ?」
「──てめーの為じゃねえよ」
 山本の言葉が何を指しているのかは、獄寺にはすぐに分かった。
 山本が綱吉たちと共に行くと言い、綱吉がそれに反論するのを途中で獄寺が遮った、そのことだ。
「てめーの気持ちが変わんねえんなら、あれ以上は十代目が傷付かれるだけだ。何時間話し合ったって、てめーは譲らねえだろ」
「ああ。譲れねー」
「だったら、俺は俺の役目を果たすだけだ」
 ボスの意向を、どんな手段を使ってでも実現すること。
 そして、どんな手段を使ってでも、ボスを守ること。
 それを誰よりもボスの身近で、誰よりも最大限に実行するのが右腕の役目である。
 今夜はそれが、綱吉を止めるという形になっただけのことで、そのことはおそらく綱吉も理解してくれている。
 獄寺にとって重要なのはそこまでの話であって、第三者である山本がどう受け取るかについては全く考慮に入れていないし、気にするつもりもない。
 ただ、山本が自分のやり方を理解し、支持できるのなら、それはこの先、共にやっていくにあたって有用な話だと受け止める程度のことだった。
 だが、山本は笑って告げてくる。
「やっぱり獄寺はすげーよ」
「何がだ」
「ツナのためだけに生きてるとこ、昔は本当にツナしか見えてないみてーで、ヤバイ感じもしてたけど、今はちょっと違う。お前がいるのはツナにとって大事なことなんだって気がするぜ」
 何だそれは、と獄寺は、山本に胡乱(うろん)なまなざしを向けた。
 山本は美辞麗句を口にするような男ではなく、今も世辞のつもりなど毛頭無いことは分かっている。
 だが、脈絡のない発言であるのは確かであり、その真意がどこにあるのか判明するまでは、獄寺は彼の発言を自分の内側に入れる気はなかった。
 もっとも、山本も曖昧模糊とした言葉で終わらせる気はないらしい。
 つまりさ、と続けた。
「俺はツナのこと、すげー奴だと思ってるし、ツナの考え方も好きだと思う。ただ、ツナの考え方が丸ごと、俺の考えとぴったりしてるかっていうと違うんだよな。
 俺なら、この状況じゃ切り捨てるしかねーかも、と思うような場面でも、ツナはそうしない。
 でも、ツナの考え方の方が俺の考え方より一段も二段も上だってことも分かってるから、俺はツナのやり方を結果的に選ぶ。──でも、獄寺、お前は違うだろ?」
「──…」
「お前はいつでも、ツナの考え方をなぞってる。ツナのためを考えながら、ツナがどんな答えを出すかを先読みしようと必死に頭を回転させてる。
 俺だって、絶対にツナを裏切ったりはしない。けど、お前は俺以上に、ツナの絶対的な味方なんだ」
「──俺は十代目の右腕だ。十代目の考えを理解できるように勤めるのは当然だろ」
「そこが、俺とお前の違いなんだよな」
 山本は笑った。
 それは単に人間性の違いであり、優劣ではない。だが、綱吉にとっては、単に個性という単語で片付けることはできない差があるのだというように。
「お前を見てると分かるぜ。お前にとってのツナは、お前がなりたい人間そのものなんだろ。だから必死で追いかける。でも、俺はそうじゃないから追いかけねー。
 多分、俺の中にはツナに似た要素がねーんだろーな。だから、ツナみたいな奴には憧れるけど、別に自分がそうなりてーとは思わねーんだ」
 山本の声にも口調もからっとしていて、自嘲の響きはなかった。
 ただ、内省するように深く、低く獄寺の耳に届いた。
「お前とツナは全然違うように見えるけど、どっか似てる。一旦懐に入れた人間を絶対に切り捨てられねーとことかさ。根っこが似てるから、ツナを一番理解して、一番守ってやれるんだ。今日みたいにさ」
 そう言った山本の笑みに、獄寺は答えなかった。
 山本の指摘は、確かに合っている。獄寺は、綱吉のような人間になりたかった。
 だが、それは彼を理解するためだ。彼が何を見ているのか理解して、彼が大切に思うものを自分も大切にしたい。
 それができれば、綱吉が喜ぶ時に自分も喜び、悲しむ時に自分も悲しむことができる。
 そして、それはきっと未然に悲劇を防ぐことにも繋がるだろう。
 誰よりも尊く大切な人を守りたいから、そうなりたいと望むのだ。人間としての素養がどうという問題ではない。
 しかし、もしかしたら、と思わないでもなかった。
 冷静な目で見ても、綱吉と気の合っているように見える山本が、綱吉のようになりたいと思わないということは、彼の言う通り、生まれ持った性格が多少は影響するのかもしれない。
 ともあれ、それは重要なことではなかった。大切なのは、自分が綱吉を理解し、守れるかどうかということだけだ。
 だから、その点については山本と議論する気はなく、話を打ち切ることを示すように新たな煙草に火をつける。
 ライターの蓋が開き、ガスに火が灯って、再び蓋が閉まる。
 一連の硬質な音の後、白煙が夜の大気の中を細く筋を描いて舞った。
「俺の人間性に対する評価なんざ、どうでもいい。大事なのは十代目とボンゴレを守る。それだけだ。──お前もな」
「ああ、分かってる」
 自分が言ったことは余談だと言わんばかりに笑う。そんな山本を獄寺は改めて見つめた。
 自分と殆ど目線の変わらない、日本人離れした長身。鍛え抜かれた無駄のない肉体。
 そして、普段は飄々とした態度と人懐っこい笑顔の裏に隠されている、異様に研ぎ澄まされた眼光。
 刀のようだ、と思った。
 彼の愛刀・時雨金時と彼はよく似ている。彼の父親もだ。もしかしたら、時雨蒼燕流の継承者は代々、伝家の宝刀と似た気質の者ばかりだったのかもしれない。
 一見無害で、ひとたび抜き放たれたならば、何もをも切り裂く剛剣。
 そして、そんな彼の気質を一言で表すとしたら、忠実、だった。
 綱吉に対してではない。綱吉をボスと定めた、己の信念にこそ忠実で、何があろうとそれを守り通すだろう。
 この男になら、と獄寺は思う。
「山本。てめーはさっき、スクアーロと肩を並べてぇと言ったな?」
「ああ」
「だったら、なりやがれ。真実、あいつと肩を並べる剣士にな。そうなりゃ俺も、てめーに十代目の守りを預けられる。……ついでに、俺の背中もな」
「──ああ」
 獄寺の言葉に、山本は一瞬、目をみはったようだった。だが、すぐに力強くうなずく。
「なってやるよ。すぐにな」
「その言葉、忘れんなよ」
 感情を消した声で応じて、獄寺は短くなった吸殻をもみ消す。
「それから、てめーにやる気があるんなら、イタリア語の面倒は俺が見てやる。週に一回、土曜の午後に俺のマンションに来い。十代目もいらっしゃる」
「そりゃ助かるぜ。でも、本当にいいのか?」
「てめーがイタリア語の挨拶すら覚えずにイタリアに渡る方が、よっぽど面倒なんだよ。つべこべ言わずに来やがれ。いいな?」
「おう! 行くぜ。土曜の午後だな?」
「ああ」
 そして、話はそれだけだ、と踵(きびす)を返した。
 だが、歩き出す前に一言だけ付け加える。
「……てめーの親父さんには、きっちり話をしとけよ。てめーはカタギじゃねえ世界に行くんだ。あの親父さんなら、もしかしたらてめー以上に分かってるかもしれねーがな」
「ああ」
 勿論だと、山本はうなずいた。
「ありがとな、獄寺」
「……てめーの為じゃねえよ」
 その言葉を最後に、獄寺は歩き出す。
 等間隔に道の端に並ぶ街路灯が光の輪をアスファルトの上に作り、足音に合わせるように、順送りに影法師が生まれては消える。
 こんな夜であるのに、夜空には遠く星が光り、細くなった月が西の地平線に落ちてゆこうとしている。いつもと同じ世界の営みが、今夜は少しだけ不条理であるように思えた。



NEXT >>
<< PREV
<< BACK