狼たちの挽歌 02

「よう、どうした?」
 自宅の勝手口から出てきた山本は、先程分かれた時と変わらない姿だった。
 店の片づけを手伝っていたのか、長袖のシャツはまくり上げられ、ブレスレットも見当たらない。
 おそらくは革ベルトが水気に弱いことを考慮して、水仕事をする時には外しているのだろう。そういうことには妙に気の回る男だった。
 街灯の光が作る輪の中で、獄寺は冷めたまなざしで相手を見つめる。
 正面から向かい合うと、目線は殆ど変わらない。気持ち、獄寺の方が高いが、それも気になるほどの差ではなかった。
「──てめえの本音を聞いておこうと思ってな」
「本音?」
「ああ」
 目をまばたかせる山本から一瞬、目を逸らして新たな煙草に火をつける。
 それから獄寺は、ゆっくりと煙を吐き出した。
「さっき、十代目がイタリアに行くとおっしゃった時のてめーの喜び方は、普通じゃなかった。てめー、何を考えてやがる?」
 言葉を飾る気も、オブラートでくるむ気もなかった。
 そんなことをしたら、山本は決して本音を吐かない。単刀直入に切り込んだとしても、柳が風を受け流すようにかわしてしまう男だ。
 悪気や、やましい気持ちがあってそうするのではない。何の意識もなく本能的に、直感的に本音を押し隠してしまう。──それは、彼が生まれ持った天性の資質……勝負師、真剣師としての本能によるものだと獄寺は理解していた。
 だから、獄寺は言葉の鎖で隙間なく彼を囲い込む。
 彼が逃げられないように。
 そして、彼が本音を吐いても構わないのだと……それが原因で真剣勝負を落とすようなことにはならないのだと感じられるように。
「てめーが十代目と一緒に行きたがるだろうってのは、分かってたことだからな。それについちゃどうこう言う気はねえ。だが、てめーが喜んだのは、それだけが理由じゃねーだろ。俺の目をごまかせると思うなよ」
 そう告げる獄寺の瞳を、山本はじっと見つめていた。
 いかにも日本人らしい漆黒の瞳が何を考えているのかは、表情がくっきりと見える街灯の光の中であっても読み切れない。
 だが獄寺は、ある程度は山本のことを理解していた。
 彼は、綱吉を傷つけることは決してしない。
 そして、綱吉を傷つけるような発言も、綱吉に聞こえる場所では決してしない。それは偽善ではなく、自分とは気質の違う友を気遣う山本の優しさだ。
 それが、今夜も駅前のファミリーレストランで発揮されていた。
 綱吉の宣言に反応した喜びと、その後に彼が告げた共に行く理由は、傍目には整合しているように聞こえたかもしれない。だが、獄寺の耳には不釣合いにしか聞こえなかった。
「十代目がおっしゃった時、てめーの目に浮かんだのは、十代目と一緒に行けるっていう単純な嬉しさだけじゃなかった。あの瞬間、てめーはもっとロクでもねえ、ヤバいことを思ってたはずだ」
 そう、あの瞬間の山本の目の光り方は、友情の延長線上にあるような可愛らしい喜びではなく、もっと純粋で鋭い──勝負師の喜びだった。
 綱吉はひどく緊張し、動揺していたから気付かなかったかもしれない。あるいは、その瞬間は気付いても、その後の山本の発言に気をとられて追求することを忘れてしまったのかもしれない。
 だが、傍で黙って見つめていた獄寺の目をごまかすことは不可能だった。
「全部吐いちまえ、山本。ここにゃ十代目はいらっしゃらねーんだ」
 正面から睨みつけるようにしてそう告げた獄寺に。
 山本は、ふっと笑った。
「やっぱすげーよ、獄寺は」
「おだてたって何もでねーぜ」
「おだてじゃねーって。マジ」
 笑って山本は、夜の街を見渡すように視線を逸らせる。
 それから、獄寺に視線を戻して、静かに口を開いた。
「……分かってるだろーけど、ファミレスで俺が言ったことも全部、本当だぜ?」
「んなこた、俺にだって分かってる。俺が聞いてんのは、その先だ」
「だな」
 同意して、山本は自分の手へとまなざしを落とした。
 野球と剣とで、タコだらけの硬い手のひらへ。
 そのまましばらく、山本は無言で自分の手を見ていた。
「──俺は、さ」
 そう切り出した時、彼にしては珍しく、迷っているような口調だった。
 自分の心をではない。ただ、真実を告げるにはどんな表現を使うのがいいのか、紡ぎ出す言葉の選択に迷っている。そんな声だった。
「俺には何年も前から夢があったんだ。夢っつーか、絶対にやりたいこと。その一つは、さっきファミレスで言っただろ? そっちはもう叶えたから、もういい。満足してる。
 けど、夢はもう一つあってさ。それはイタリアに行かなきゃ、多分絶対叶わねーことなんだ」
「──剣か?」
 それしか考えられなかった。
 はたして、低く問いかけた獄寺の声に、山本は薄い笑みを浮かべて目をまばたかせた。
「ああ」
 うなずき、開いていた両手をぐっと握りこむ。
 そして、スクアーロ、と低く呟いた。
「あいつはすげーよ。俺はあいつに認められたい。あいつと肩を並べて戦ってみたい。あいつに背中を預けられてーんだ」
 そう言う山本の声は、いつになく熱に浮かされているような響きを帯びていた。
 形容しがたい押し殺した熱さを持つ声は、まさしく男が生涯の夢を語る時のものであり。
 先刻、獄寺が目(ま)の当たりにした危ういほどの目の輝きに、ぴったりと印象が重なる声だった。
「……あいつとやり合ってみたい、じゃねーのか」
「ああ。それはもう、あの時の一度きりだけでいい。本当の真剣勝負なんざ、一度で十分だろ。それよりも俺は、もっと上に行きたい」
 肩を並べて戦う。背を預けられる。
 それは、戦場に生きる男にとっては、命を預けるのと同じことだ。
 そして山本は、それが欲しいという。
 あの孤高にして絶対の強さを誇る二代目剣帝からのそれを。
「……馬鹿だ馬鹿だと思ってきたが、てめーは正真正銘の馬鹿だな。それも、俺が思っていたよりよっぽどヤバい馬鹿だ」
「かもな」
 心底呆れきった溜息交じりの獄寺の声に、山本は怒らなかった。むしろ、自分でもそう思うとばかりに笑う。
 そんな山本を横目で見ながら、獄寺は手にした煙草の灰を軽くアスファルトに落として、言葉を続けた。
「だが、てめーの言い分は分かった。そういうことなら勝手にしろ。ただし、十代目には絶対に迷惑をおかけするな」
「分かってるよ。これは俺の我儘だからな。お前もツナには言わないでくれな」
「言うかよ、こんなくだらねぇ話」
「ははっ、サンキュ」
 獄寺の冷ややかな言葉にも、山本は笑う。
 そして、思い出したように続けた。



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