狼たちの挽歌 04

 獄寺の後姿が一つ目の街路灯の向こうへと消えるまで見送ってから、山本は自宅である店の中へと戻った。
 勝手口をくぐると、そこはもうカウンターへと繋がるたたきで、藍染ののれんの向こうから水音と父親の声が聞こえてきた。
「話、終わったのか?」
「ああ。洗いもん、代わるよ」
 親父は明日の仕込みにかかってくれと、流し場に入る。
 そして、丁寧に器を流水ですすぎながら、父親に話しかけた。
「親父」
「ん?」
 父親は、乾物の入ったタッパーを開け、干ししいたけの中から形の良いものを選び出している。食材は、野菜でも魚でも肉でも不思議に姿形の良いものが美味い。
 そして、その上等の干ししいたけを一晩かけてゆっくり戻した出し汁で作った茶碗蒸しは、竹寿司の人気メニューの一つだった。
「俺、三月になったらイタリアに行くことになった」
「おう、そうか」
 親子どちらも、ちょっと近所まで買い物に行く、と言ったのに答えるのと大差ない調子だった。
「皆、一緒なんだぜ。ツナも獄寺も笹川先輩も」
「そりゃあ賑やかでいいな」
「だろ?」
 へへっと嬉しげに笑った山本に、父親はちらりと温かなまなざしを向ける。そして、またすぐに干ししいたけの選別に戻った。
「イタリアには確か、バカ強い剣士がいるんだろ? 中学ん時に戦った……」
「ああ、スクアーロな。あいつはもう仲間っつーか、敵じゃあねーけど、手合わせはできると思う。それもすっげー楽しみにしてんだ」
「そうさな。強い奴とやるのはワクワクするもんだ。父ちゃんも若い頃はそうだった」
「親父だって、まだ強えじゃんか」
「まぁな。まだお前にゃ負けねえよ。けど、こんくらいの年になると、なかなか新しい相手には会えなくなるからな。年々、わくわくすることも減ってくる」
 父親に言われて、山本は、言われてみればそういうものかもしれない、と一瞬考える。
 だが、それは自分にはまだまだ遠い先の話のように思えた。
「じゃあ、まだこれから山程わくわくできる俺は、ラッキーってことかな」
「そうだ。ツナ君たちに感謝しろよ? お前から言ってこない限り、父ちゃんはお前に剣を教えるつもりはなかったんだからな」
「……それじゃ俺、親父のすごいとこの半分を知らずじまいになるところだったってことか?」
「その通りよ」
 父親はうなずき、含め煮にする里芋をむき始める。
 巧みな包丁さばきのもとで次から次に黒っぽい皮に包まれた芋が、白く丸い形に生まれ変わってゆくのは、幼い頃から父親の手元を見続けている山本の目から見ても、まるで魔法のようだった。
「時雨蒼燕流は、あの通り、一撃必殺の殺人剣だ。生半可な覚悟じゃ身につかねえし、継承者にもなれやしねえ。第一、時雨金時が抜けねえだろうが」
「そっか。言われてみりゃそーだな」
「だろ? まあ、父ちゃんとしては、結果的にお前に時雨金時を渡せて嬉しいけどな。父ちゃんも、ツナ君に感謝せんといかんな」
 父親は、にかっと白い歯を見せて笑う。
「で、武。イタリアに行くのは三月って言ったな?」
「ああ。高校の卒業式が終わったらすぐだと思う」
「よし。なら、それまで毎日、板場に入れ。父ちゃんの寿司作りの全部を教えてやる。あっちも魚がうめぇんだろ? ツナ君たちにとびっきり美味い寿司を食わせてやれるようにな」
「親父……」
 父親の言葉に、山本は顔を輝かせる。
 今も、巻物やちらしの他に、扱いの易しいネタを握ることは許されている。だが、コハダや大トロの炙りといった加減の難しいネタは、父親が全てを手がけていて、これまで扱いを許されたことはない。
 それを教えてもらえるということは、剣の型を教えてもらうのに匹敵する喜びだった。
「ありがとな、親父!」
「おうよ。春になったら、父ちゃんの剣の極意と寿司の極意と、その両方を持って胸張ってイタリアに行くんだ。できるだろ?」
「ああ」
 山本は勢いよくうなずく。
 そして、嬉しげに少年のような仕草で鼻の下をこすった。
「やっぱ、親父は世界一の親父だぜ」
「お、そうか?」
「おう。本気だって」
「そりゃ嬉しいな。そうか、父ちゃんは世界一か」
 息子からの最高の賛辞に、父親は顔を赤くして笑み崩れる。
 そんな父親を温かな目で見やり、山本は綺麗に拭き終えた器を片付け始める。
 それから小一時間も経った頃、竹寿司の一階店舗の明かりが消え、並盛の夜は静かに更けていった。

End.

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