去り行く日々の足音に 09

 映画は、淡々と進んでいた。
 家族や周囲の人々との関係が上手くいかず、衝動的に家を飛び出したフランス人の若い女性と、車を走らせた先で出会ったドイツの深い森に住む木こりの青年の、ぎこちなく始まる交流を描いたストーリーは芸術作品に分類されるものなのだろう。
 スクリーンに映し出される映像は、田園風景の光と森の輝きに満ちて、どこまでも切なかった。
 フランス語しか話せない主人公と、ドイツ語しか話せない青年との会話は、言葉ではなく身振り手振りといったもので、ストーリーの後半は台詞は殆どなく、そのせいか人の表情や目というものは、これほどまでにも饒舌なものか、と獄寺は改めて目をみはった。
 主人公の、そして相手の男の小さなまなざし一つで、それが問いかけを意味しているのか、感嘆を意味しているのか、見ている者に伝わる。
 そして、家族の中では常に緊張してこわばり、決して美しくは見えなかった主人公の顔が、深い森の中で初めての笑みを浮かべ、ゆっくりとやわらいでゆくのを獄寺は不思議な気持ちで見つめた。
(十代目は、何を思ってこの映画を選んだんだろう?)
 ──『現代の大人のためのおとぎ話』
 綱吉が見ていた雑誌の短いレビューには、そう評されていた。
 綱吉が何故、この映画に惹かれたのか、分かりそうで分からないものの、この映画のとりわけ後半に満ちている静かな美しさ、優しさに触れたいと思ったのかもしれない、と思い。
 ふと、彼がどんな表情でこの映画を見ているのか気になり、さりげなくスクリーンから視線を外して隣りを見た瞬間。
 獄寺は、魂を丸ごと鷲掴みにされたような気がした。

 ──スクリーンの明かりを受けて青白く見える頬を、静かに伝い落ちる雫。

 反射的に脳裏でそれまでの物語を反芻したが、主人公と家族の激しい衝突が描かれていた前半に対し、後半はただひたすらに深い森の中での情景が描かれていたばかりで、特に涙するような場面は思い浮かばなかった。
 だが、そんなことは問題ではなく、ただまっすぐにスクリーンを見つめる瞳から零れ落ちた雫と、それをぬぐうこともしない横顔は、スクリーンにあるものと同じ静謐さに満ちていて。
 ただ、うつくしい、と感じた。
 言葉もなく横顔を見つめ、それから獄寺はそっとまなざしをスクリーンに戻す。
 彼の涙を見てはいけないものだとは思ったわけではない。
 そうではなく、彼が今いるだろう静謐な空間を、不躾な視線で壊してはならない。そう感じたから、獄寺は黙ってスクリーンを見つめ続けた。



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