去り行く日々の足音に 08

 映画を見るのは、久しぶりだった。
 最近のシネコンとは違う、小さくて古い上映室。クッションのへたりかけた座席。
 そういえば、イタリアの映画館はこんな感じのところが多かった、と獄寺はスクリーンを見つめながら思い出す。
 生家である城を飛び出し、一人で街を彷徨っていた頃、手持ち無沙汰によく映画館で時間を過ごしていた。
 暗くて狭い室内と、白布のスクリーンに映し出される映像と、音響に混じって聞こえる映写機の回るカラカラという乾いたかすかな音。
 その現実世界から切り離されたような空間にいる短い間だけ、獄寺は自分を取り巻いているものを忘れることができた。
 映画が好きだったのかと問われると、それは良く分からない。
 嫌いでないのは確かだったが、求めていたのは映像や音ではなく、空間そのものだったからだ。そして、それを求める心すら、ひどくすさんだ部分から生まれたものだった。
 それが今は、と思う。
 誰かと一緒に映画を見る、という行為は、日本に来てから覚えたことだった。
 二人であったり、大勢であったり。
 さほど頻繁にではなかったが、映画を見に行くときには、いつも同じ人が隣りにいた。
 彼に出会わなければ、きっと一生、誰かと映画を見ることも、映画館を出た後、ファーストフード店で感想を語り合う楽しさも知らないままだったろう。
 彼──沢田綱吉に出会った時から、獄寺の世界は大きく広がったのだ。
 裏世界の情報や慣習、武器爆弾の扱いには長じていたが、それ以外のことは何も知らず、知ろうともしなかった獄寺の前に現れた、沢田綱吉という人間と彼を取り巻く日常生活は、獄寺の世界観や価値観を根底からひっくり返したといっていい。
 それまで獄寺の知る人間という生き物は、薄汚く暴力的で、惨めな存在だった。
 尊敬に値する人間がまったく居なかったわけではないが、それは極わずかな例外で、獄寺にとって世界の殆どは唾棄すべき汚物溜めだった。
 だが、その極わずかな例外であるボンゴレ九代目の命に従って日本に来て。
 そこで出会った綱吉や彼の周囲の人々は、命あるものだけが持つやわらかな温かさ、そして、他人を思う優しさから生まれる強さを獄寺に見せてくれたのだ。
 人間という生き物の、一番美しい部分。
 それを知らずに生きてきた獄寺にとって、沢田綱吉という存在は、まさに奇跡に等しかった。
 彼がその優しさを見せてくれるたびに心が震え、だが、それには喜びばかりではなく、かけがえなく尊いものに対する畏敬も含まれていることに気付いたのは、いつのことだったか。
 カトリック教会総本山のお膝元に生まれて生誕直後に洗礼も受けていながら、まともに神に祈りをささげたことなど一度もなかった獄寺が、人が祈る意味を、その心を初めて理解したのは、故郷を遠く離れた異国の空の下でのことだった。



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