SACRIFICE
-ultimate plumage-

9. across again

 記憶にあるものと、風景はなんら変わってはいなかった。
 北の平原と森林はどこまでも広く、白と灰色に閉ざされている。その只中にそびえている要塞は、まるで巨大かつ無骨な氷山のようだった。
 どこまでも無彩色で、吐く息までも白い。絶えず動いていなければ、末端から凍傷にかかってしまう。
 北の大地は、人間というちっぽけな存在を拒む、そんな世界だった。

*     *

「無事にティルデン要塞には入れたみたいだね。手紙が来たよ、呂望」
 地下に建設された極秘の研究室は、動力面でも徹底的にカモフラージュが施されている。備え付けられた専用の発動機から主要な動力を得、足りない分は表の研究所の配線を通して密かに補っているのである。
 だが、いくらカモフラージュしてあるとはいえ、使用するエネルギーは小さければ小さい程、発覚の危険性は低くなる。それゆえに、地下研究室の照明はいつでも極限まで抑えられていた。
 今も、発光しているのは中央に据えられた円筒形の培養槽と、モニターのパネルだけである。
 それらの形作る淡い青の光の中で、太乙は手のひらサイズの端末に移植した手紙を開いた。


『……そちらも空と乾いた大地しかありませんでしたが、ここはそれ以上に何もありません。特にこの季節は天候の悪い日が多く、今日も外は雪が降り続いています。
 空気が極端に乾燥しているせいもあるのでしょう、ここの雪は、ほとんど結晶の状態で降ってきます。雪は行動の障害物(敵の攻撃を撹乱する遮蔽物でもありますが)に他なりませんが、それでもこんな戦闘もない静かな夜には、天から落ちてきた半ば透き通った小さな結晶がひどく美しく感じられます。
 ──この何もない、白い世界でならば、もしかしたらあの本能的な畏怖と恐怖を抱くことしかできなかった翼をも、』


「美しいと感じることができたでしょうか、か。彼もけっこう詩人だね」
 微笑未満の声と表情でそう言い、太乙は端末を閉じる。
 何重にも暗号化されて太乙宛てに届けられた電信は、検閲を考慮したのだろう。戦況そのものについては何も書かれておらず、むしろ戦場とは懸け離れた詩的な表現に満ちていた。
 兵士達が送受信する手紙に対する検閲が、実際のところ、どれくらいの厳格さで行われているのかは分からない。基地全体を見渡した感じとしては、真面目にチェックされている時と、ひどく杜撰な時とが入り交じっているようではあったが、決して明かすことのできない秘密を抱えている以上、用心するに越したことはなかった。
「ねえ呂望、楊ゼンはまだ、悔やみ続けているようだよ。同じ稀人だと思って親しくなった相手の正体が、実は稀人以上の化け物の守護天使だなんて、普通は受け入れられなくて当たり前なのにね。彼の反応は、まだマシな方だった。──君は彼のことを覚えているかい?」
 大きな培養槽の中で、一歳程の幼児がくるりと小さく回転する。
 未だ覚めない眠りにたゆたいながら、ごく淡い青の光に包まれて、静かに。
「君は、君を受け入れることができなかった彼を一度は許した。諦めたと言った方が正解かもしれないけどね。そして、私が古い名前で君を呼ぶことも許した。結果的に君を苦しめることでしかなかったのにも関わらず。
 ならば、今度は君を受け入れる以上のことをしてしまった彼を──私を許すことができるんだろうか?」
 声にも口調にも何の感情をも乗せることなく、太乙は静かに問いかける。
 培養槽からの発光に照らし出される、淡々とした表情からも何も読み取れない。
 嘆きも悔いも。
 喜びも哀しみも。
 存在するのか否か、存在するのであれば、それはどれほどの深さのものか。
 すべてを湖の水面のような静けさの底に閉ざしたまま、太乙は無言で眠り続ける呂望を見つめていた。










『……先日の返信、ありがとうございました。依頼した新しい光剣の開発は順調とのこと、とても喜ばしく思います。当分の間は無理でしょうが、いずれ完成のあかつきには上部の許可を得て、そちらまで受け取りにいきたいと考えていますので、労をおかけしてしまいますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 こちらも最近、ようやく遅い春が訪れたようです。重苦しく空を覆い続けていた灰色の雲が晴れ、青い空がのぞくことに、こんな戦場にあっても嬉しさを感じます。
 ですが、雪解けによるひどいぬかるみには、既に前回の赴任時で慣れたことではありますが、実に閉口させられます。そちらで久方ぶりの雨が降った後の状況を思い浮かべていただければ近いでしょうか。
 異なるのは、そちらでは一時ぬかるんでも、数日で再び乾ききってしまうのに対し、こちらでは数週間を経ても一向にぬかるみが消えないということでしょう。もう少し、本格的に暖かくなってくるまでの辛抱ではあるのですが、今は一歩屋外に出れば、何もかも泥まみれです。
 こんな状況でも相変わらず、敵襲はやむことがありません。正直な所、吹雪いていようがぬかるんでいようが、律儀に攻撃を仕掛けてくる敵の司令部には一種の感嘆を禁じ得ません。
 戦場という非人間的な地にいながら、こんなことを考えるのは笑止ですが、もう少し人間らしい感覚で天候を判断し、攻めて来てくれたならこちらとしても楽なのですが……』





『……夏になると、こんな北の地でも鳥や獣たちが元気に鳴き交わす声が聞こえます。やはり降水量が年間を通して安定しているためでしょう、そちらの乾燥地帯に比べると、動植物の種類は格段に豊富です。
 だからといって、それらを愛でているような余裕はありませんし、動植物の名前さえも自分には分からないのですが。
 それでも、こうして定期的に手紙を書くようになったからでしょうか。以前に比べると、周囲に戦場としての環境を確認する目的以外の観察の目を向けている自分を感じます。軍人として、それが良いことかどうかは判断に苦しみますが、それでもそういう自分を無理に止めようとは思いません……』





『……短い夏は、もう終わりを迎えたようです。窓の外を見ると、日に日に落葉樹の葉の色が変わっていっているのが分かります。獣たちも冬ごもりの準備を始めたのでしょう、森の中もどことなくせわしない感じで、獣たちが立てる物音につい警戒をしてしまうことが多くなりました。
 夏も冬もなく、銃器類で武装して戦い続けている自分たちには、季節の移り変わりも動植物の営みも、いずれも関係ないことでしかないのですが……。
 しかし、あまりにも長く続いてきたこの戦争が、最後はどこに向かうのか、最近はそんな一介の軍人が考えても仕方のないことが妙に気になります……』





『……また最近は、連日の雪です。今日も昼間、わずかに晴れ間が見えましたが、今はまた白いものが窓の外を舞っています。
 ここの寒さにはとうに体も慣れましたが、時々、カシュローン基地の屋上で感じた、荒野を吹き抜けてゆく乾いた風が懐かしくなることがあります。
 あの人気のない屋上で、彼はいつも、何を見、何を聞いていたのでしょう。そして、最後に何を思ったのか。あの日に戻って尋ねることができたらと、あれから一年以上が過ぎたのに、今でも考えずにはいられません……』





『……今年は例年にも増して、春が遅いようです。昨年の今頃にはもう溶けていたはずの南側の雪が、まだ相当量に残っていますし、日中の気温も上がりません。
 北の地では、どうしても酒に逃避したり、鬱病になる人間の割合が多いといいますが、分かるような気もします。あまりにも冬が……重苦しい灰色の雲に閉ざされる時間が長いのです。その一方で、暗い冬を精一杯に楽しく過ごそうと、陽気にふるまう人間も北生まれには多いのも事実ですが……。
 明るい話題を書くことができなくて申し訳ないのですが、今年もなかなかそちらには戻れそうにありません。依頼してあった新しい光剣も完成したところで受け取りにいけるかどうか、はっきりしたことは言えないのが実情です。
 それでもいつか近いうちに必ず、そちらへ行く機会を作りますから、製作の方はどうぞよろしくお願い致します……』



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