「このドアは、昔から在ったよ。──ずっと前からね」
 その言い方に引っかかるものを覚えた楊ゼンが向けた視線に答えないまま、太乙はドア横にある電子ロックに暗証番号を打ち込む。
 十二桁のコードを入力し終えると同時に、ロック解除を告げる小さな音がし、ドアが横にスライドする。
 その向こうに現れたのは、ほんの小さな空間だった。
「エレベーター……?」
「そう」
 一足先に中に入った太乙に手招きされ、楊ゼンもエレベーター内に足を踏み入れる。
 と、太乙が操作盤の開閉スイッチを押し、ドアが閉まった。
 降下し始めたエレベーターの作り出す重力を感じながら、楊ゼンが操作盤に目をやると、階層の表示はどこにもない。
 つまり、エレベーターの行き先は一つということだ。
「──私が、このエレベーターの存在を知ったのは、ガーディアンの保守管理者として赴任してから、半年くらいが過ぎた頃だった」
 白衣のポケットに両手を突っ込み、壁に背を預けた格好で太乙が語りだす。
「理由なんか知らない。多分、あの子が私を信用する気になってくれたんだろうと思うけど……。据付けだと思っていた棚の後ろに、これが隠されていることをあの子が教えてくれた」
「ですが───」
 少なくとも自分が研究室を訪れた時には、『壁』は隠されていなかった、と楊ゼンが言おうとした時、またふっと太乙が微笑し、視線を流して楊ゼンを見やった。
「いつでもドアはあそこにあったよ。いちいち棚を動かすのは面倒だからね」
 薄い唇がゆっくりと動く。
「君も、いつもここに来るたびにドアを見ていたはずだよ。ただ、君の記憶に残らなかっただけだ」
「な……」
「それが私のもう1つの能力なんだ。対象物を意識のシールドで覆い、あらゆる物理的精神的な影響を遮断することができる。障壁能力と言えばいいかな」
 淡々と太乙は告げた。
「この能力は公表してない。どんな攻撃でも防げる、どんな隠密行動でもできるなんてバレたら、面倒なことになるからね。複数の能力を持つ稀人はただでさえ寿命が短いのに、これ以上行動を制約されたくない。
 知っているのはあの子と君だけだ。玉鼎はいい奴だったけど、根っからの軍人だったから、打ち明けるわけにはいかなかった」
「────…」
 驚きに言葉を失った楊ゼンの脳裏を、ふと何かがかすめる。
「では……、あの実験場も……」
 初めて太乙の研究室を訪れた折。
 光剣の実技テストをした部屋のことを思い出して問いかける。
 と、太乙は微笑した。
「そう。あの操作盤はただの張りぼてだよ。内部の配線は何もない。君の技が放った衝撃を防いだのは、私の作った意識の壁だ」
「それは……」
 確かにとてつもない能力だった。
 そんな能力を持っていることを軍が知ったらどうなるか。火を見るよりも明らかだ。
 ただでさえ電脳並の演算能力を持つということで、軍から生涯解放されない立場にあるのに、更なる異能力など公表できるわけがない。
 軍は確かに、特異能力を持つ稀人に居場所を与えてくれる。
 だが、それは同時に、特異能力を都合のいいように利用されるということでもあるのだ。
「────」
 それを明かしてくれたということは、自分が軍に服従している模範的な軍人ではないということを太乙が見越しているからだろう、と楊ゼンは理解する。
 もしかしたら他に生きる術もあるのかもしれないが、軍隊という世界で己の能力を利用し、利用される生き方を選んでいることに、諦めと苛立ちを同時に感じている。
 更には『彼』を利用するだけ利用した軍の上層部に怒りを持っている、そんな人間が、他者が隠している異能力を他に漏らすはずがないと。
 それは一種の信頼でもあり、冷徹な判断でもあって。
 そうか、と理解が、あっけないほどにすとんと楊ゼン胸の内に落ちてくる。

 同じ匂いを持っているのだ。
 自分も、太乙も。
 ───望んで稀人と生まれたわけではない。
 望んで軍人となったわけではない。
 だが、この世界では他に生きる術がなかったことに。
 他の生き方を選べなかった己に、諦めと苛立ちと怒りとが入り混じり、心の奥底に渦を巻いている。
 そのことに、太乙はおそらく最初から気付いていたのだ。
 ───そう。
 稀人には、稀人同士にしか分かり合えないものがある。
 世界と己に苛立ちを持っている者同士にしか、感じられないものが。

 エレベーターは旧式のものらしく、かなりゆっくりと降りてゆく。
 それでも随分と長い時間降下し続け、ようやく小さな衝撃とともに静止し、自動的にドアが開いた。
 薄暗い、と目の前に現れた空間に、反射的に楊ゼンは感じる。
 照明は点灯していないようで、ただ広い空間の中心にあるものから放たれている淡い光だけが、ぼんやりと周囲を照らしている。
「研究室……?」
 淡く浮かび上がっているのは、実験器具らしい道具類、機械類と、幾つもの棚。
 日常使われているものではないのか、まるで何かの廃墟のような気配があたりを押し包んでいた。
「そう。ここは研究室だよ。ここでガーディアンは生まれた。生み出された、と言うべきかな」
「え……」
 薄闇の中に足を踏み出しながら告げた太乙の言葉に、楊ゼンは目をみはる。
「非道な人体実験は、いつだって自国の領内ではなく占領地で行われるものだよ。ガーディアン計画が立案された当時、カシュローン基地は建設の真っ最中で、極秘の研究室を作るのには都合が良かったんだ。記録は当時から既に抹消されていたから、もう誰も、この事を知らないけどね」
 よほどここに慣れているのか、太乙は迷いのない足取りで研究室内部へと歩いてゆく。
 楊ゼンも慌てて後を追った。
「ここは本当に極秘の施設で、ガーディアンを作り出した初代の研究者が死んだ後、この部屋のことを知る者は、ガーディアンたち以外には誰もいなかった。私があの子に教えてもらうまで、六十年間足を踏み入れた者はいないそうだよ。……そして、君が二人目の六十年ぶりの来訪者だ」
 部屋の中央まで来て太乙は足をとめ、楊ゼンを振り返る。
「私があの子を人間扱いしたから、ガーディアンの真実を教えてもらえたのだとしたら……私がしてきたこと、しようとしていることは、あの子の意思に背くことかもしれない。あの子の望みは、人間に戻れず、機械にもなりきれないのなら、あとはせめて生き物として死ぬことだったから」
 その微笑を淡い青さで照らし出しているのは。
 直径が1メートル、高さは2メートル近い大きな円柱型の水槽のような形をしたもの。
 内部に満たされた液体がぼんやりと発光している、その幻想的な美しさに楊ゼンは目を吸い寄せられた。
「ドクター……」
 水槽のようなものに目を向けたまま、楊ゼンは低く問いかける。
「これは……何ですか?」


「これはね、呂望だよ」


 目をみはる楊ゼンに構わず、太乙は円柱の外部に取り付けられている操作盤に手を触れる。
 と、どんな仕組みになっているのか透明な外壁の一部が変化した。






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